2011年11月23日水曜日

About Massimo Murru (III)


「さすらう若者の歌」初演カーテンコール
 Una giornata con Massimo Murru
 ~Massimo Murru documentary~ parte 3 & 4

Una giornata con Massimo Murru (One day with Massimo Murru)と題し2010年に放映された、マッシモの独白によるドキュメンタリーの内容を3回にわたって書いていきます。本編はその第2弾。
残念ながらパート2は今日時点でYouTube上になく、見ることができません。
ですので今回はパート3と4の前半についてまとめます。

8分強のPart 3のリンクはこちら:Massimo Murru Documentary 3
10分弱のPart 4のリンクはこちら:Massimo Murru Documentary 4

 
Mestiere d'imaginazione 役作り

Part 3 はマッシモがヘアメイクをするシーンから始まります。
バレエダンサーは皆自分でメイクをするのですね、男性でも。

Roland Petitはマッシモに、舞台の練習にあたり一番初めにしなければならないことの一つが "mestiere d'imaginazione" だと教えた。

"mestiere"は、英語で言うところのcraft, profession。つまりは、イマジネーションのプロであれ、想像を極めろということ。
役柄の人生を想像することが役柄になりきり、感動を与えられるバレエを踊るために、とても重要なのである。


ここで最たる例として、マッシモは「ロミオとジュリエット」について語る。

当然のことながら、ロミオのような人生は誰の経験にも似ていないから、その人生を想像してなりきってみる。
「いわば嘘ではあるけれど、まったくの嘘というわけでもない」とマッシモは言う。


 
Romeo e Giulietta ロミオとジュリエット
Romeo and Juliet, with Sylvie Guillem

2008年3月のEmanuela Montanariとのバルコニーのシーンが流れる。

そして生前のRoland Petitとまだ若いマッシモや、カルラ・フラッチなどの美しい白黒写真が数枚紹介されます。

マッシモ曰く、「プティは自分が初めて出会った振付師。
出会ったころはまだとても若く、もし運命と言うものがあるのであればそれは運命だったし、それからのキャリアの間ずっとその運命は自分と一緒についてきた」

その間、ある意味プティはマッシモの成長を見守ってきたと言える。






プティとの出会い、そしてプティとの絡みによってマッシモはイタリア国外にも名を馳せるようになり、パリ・オペラ座やロンドン・コヴェントガーデンに招かれ、インターナショナルなバレエダンサーとなった。

Chéri rehearsal - Roland Petit, Carla Fracci, Massimo Murru

非常に高名なプティが若かりしマッシモに目を留め、数々の有名なプリマドンナとの共演を可能にし、いくつもの作品をマッシモのために・マッシモの意見を取り入れながら「共に」作りあげてきた。

そのためあらゆるインタビューで、マッシモはプティについて尋ねられることが多いしまた自らプティについて語るのは当然であるが、マッシモにとってプティは初めて出会った振付師であり、マッシモを成長させてくれた恩師であり、死してなおマッシモを各国の舞台に立たせてくれる、まさに守護神のような存在だと思う。


L'Arelesienne アルルの女

L'Arlesienne アルルの女
プティの言う 「mestiere」をやる意義を証明するものとしてマッシモは「アルルの女」を引き合いに出している。
なぜなら自分はある人物へと変わり、舞台で物語を語るのだから。
舞台の上では別の人間になれるという可能性を、マッシモは身をもって経験しているのである。

「アルルの女」のあらすじ:
南フランス豪農の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた女性に心を奪われてしまった。フレデリにはヴィヴェットという許嫁がいるが、彼女の献身的な愛もフレデリを正気に戻すことはできない。日に日に衰えていく息子を見て、フレデリの母はアルルの女との結婚を許そうとする。それを伝え聞いたヴィヴェットがフレデリの幸せのためならと、身を退くことをフレデリの母に伝える。ヴィヴェットの真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れてヴィヴェットと結婚することを決意する。2人の結婚式の夜、牧童頭のミティフィオが現れて、今夜アルルの女と駆け落ちすることを伝える。物陰からそれを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールがにぎやかに踊られる中、機織り小屋の階上から身をおどらせて自ら命を絶つ。
―Wikipediaより


最後の、気がふれて身を投げるシーンがここで流れます。 (2008年9月)
マッシモは先日(2011年10月)のシルヴィギエム・オンステージのガラでもこのシーンを踊っています。




La Dame aux Camélilas   椿姫 
Marguerite and Armand, with Sylvie Guillem

次にマッシモが語るのは、ノイマイヤーの「椿姫」のアルマン役。

この役を演じることは彼にとってある意味「発見」(una scoperta) だった。

ここでマッシモは昔、学校でバレエのビデオを観たことを回想している。
そして椿姫を観て「いつかこれを踊れたらどんなに素晴らしいだろう」と思ったが、いざその日が来るとひどく怖くなったという。



他のインタビューでもすぐに気づくことだが、マッシモはこのpaura(恐れ)という言葉を多用する。これは、個人的に非常に興味深い現象だと感じた。

完璧主義から来る恐れ、過去の偉大なダンサー達と同じ役を踊るプレッシャー、有名なバレリーナの相手役を勤める重責・・・
いろいろあるのだろうが、それらのチャレンジをエキサイティングなものとして興奮する、または自分を叱咤激励するというよりは、恐れを感じてしまう性格らしい。

そしてその気持ちをカメラやインタビュアーの前で吐露するバカ正直さ。。。(苦笑)
個人的にはそういうところが好感を持てますが、一般的には自信のないプロ?に見えてしまわないか、ちょっと心配になってしまう。


  ...to be continued.

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