2011年12月17日土曜日

Contrappunti Massimo Murru (II)


Contrappunti Massimo Murru e Roland Petit ~ parte 2

2010年にイタリアSkyのClassicaで放送された、マッシモ・ムッルのドキュメンタリー パート2です。

インタビュワーの太ったおじさん、一体この人誰?と思っていたら、ピアニスト・作曲家のCarlo Boccadoro カルロ・ボッカドーロさんでした。「黄金の口」なんてすごい名前。どうりでよくしゃべるわけだ…(^^;)
別にいいけど、マッシモが話し終わらないうちに畳み掛けるので、相手に対して失礼だしこっちは文の最後が聞き取りにくくてしょうがないよ…

Contrappunti パート2の動画へのリンクはこちら。
Contrappunti Massimo Murru part2

Carmen, choreography by Roland Petit

クラシック・バレエの限界と自由

プティがマッシモとラカッラに「ボレロ」の指導をしているのを見ながら、Boccadoroが質問する。
バレエの振付は記載されていることが少ないので記憶力が非常に問われるようだ。振付家はリハーサルの時にあれこれ変えたりするが、どこが固定されている部分で、どこが自由な部分なのか?

マッシモの答えはこうである。
幾人かの振付家と直で仕事をしてきたが、振付は常に変化していくもの。リハーサル時はもちろん、初演の後も。



「カルメン」練習風景(1997)
またこのパート2の冒頭では、マッシモが自分の言ったことが可笑しくて思わずちょっと笑ってしまうという珍しいシーンも。
"Grandi baletti di repertori, grandi balletti classici, ci sono della notazioni ,e poi credo che la danza e una dell'arte che si tramanda, verbalmente.
Con il tempo ci siamo organizati nel senso. (笑)
Anche noi a punto. Con i video, con le registrazioni televisive..."

著名なクラシック・バレエには"notazioni"(振付を記述したものと思われる)が存在する。
が、基本的にダンスは言葉で伝承されてきた芸術だと思う。
時とともに、我々はある意味前よりも系統だってきた。
ビデオ撮影やテレビ放映によってね。


(中略) 
バレエの振付けにも、楽譜みたいにやり方を記録する方法があるのでしょうか。どんななんだろう…

マッシモの語りは続く。


バレエは時間とともに変化する芸術である。
ダンサーもある意味進化してきており、パ(ステップ)のやり方も変化しいるし、30~40年前に作られた振付も、その当時と同じようには踊らない。つまりはその時代による変化が存在し、さらに(振付師やダンサーの)「スタイル」というものが存在する。

プティのバレエは特に(踊り手に)「スタイル」を要求する。そうでなければ誰が時代や踊り手を問わず、すべて同じになってしまう。
ボッカドーロはマッシモにさらに質問する。
プティは当初持っていたアイディアで君を踊らせてみて、いろいろと変えたり加えたりしていく。これは君がプティにアイディアを与えているからだと思うけど、自分がどのくらいプティの助けになったと思う?

マッシモは、「プティはダンサーと共に作品を作るタイプの振付け師である。ダンサーの意見を聞き、取り入れる。」とだけ述べ、自分の貢献度合いについては答えていない。

Carmenの練習風景(1997)

バレエ・ド・パリに居たころに作られた作品で、ドン・ジョゼ役はプティ自身が演じた。1947年だったと思う。
(*実際は1949年にロンドンで初演されている)
プティが「カルメン」を演じさせる度、常に前よりも改善し、さらに洗練されていく。


インタビューが続きますが、マッシモとプティの練習ビデオは流れていて、プティが熱心にマッシモに指導している声が切れ切れに聞こえてくるのですが、"Trop romantique" など力強さが足りないといった事柄中心のようである。

Carmen, Lusia Lacarra and Massimo Murru, 2008


ボッカドーロはマッシモがどのくらいプティ(の振付)に貢献したかと質問する。

マッシモは正直わからない、と。
プティはアーティストにありがちな複雑な性格だったので、心の底ではどれほど自分の言うことを聞いていたのかわからない、と答えている。

またプティに出会ったころ、プティは「大人」だったのが自分にとって幸運だった、とマッシモは言う。・・・

礼儀正しい彼は慎重に言葉を選んで説明しているが、要するに歳をとって丸くなったということだ。
マッシモがプティに出会ったころ既にプティは70代。そして80代にかけて共に仕事をしている。
若いころは”Tiranno (暴君)”の要素もあったらしい。
(名声も確立して)そこまで自分の何かを誇示する必要がなくなったのだろう、とマッシモ。


ここで、2008年のマッシモとルシア・ラカッラによる「カルメン」の映像が流れる。

Carmen, Lucia Lacarra and Massimo Murru, 2008

ローラン・プティはマッシモがプロのバレエ・ダンサーとして大きな成長を遂げた大事な時期に関わった振付家である。
ここで簡単にプティの紹介を。

Roland Petit

【Roland Petit Profile】
パリ・オペラ座付属学校に入学し、1940年にオペラ座に入団。在団中から振付を始め注目を浴びる。

1944年、ディアギレフの友人であったコクノや、バレエ批評家のイレーヌ・リドヴァとともに、バレエ・デ・シャンゼリゼを結成するために退団した。バレエ・ダンサー兼振り付け師として活躍し、48年脱退してバレエ・ド・パリを結成した。
1954年、バレエ・デ・シャンゼリゼ以来彼の作品で踊っているバレエダンサーのジジ・ジャンメールと結婚。1952年に映画『アンデルセン物語』、1955年にフレッド・アステア主演映画『足ながおじさん』の振付を担当した。

1966年にバレエ・ド・パリは活動を停止。1972年にマルセイユ・バレエ団の創立と共に招かれる。同バレエ団はのちにローラン・プティ・マルセイユ・バレエ団に改称した。1993年には自伝を発表している。
2011年7月10日、スイスのジュネーブで死去。87歳没。
Roland Petit e Carla Fracci
......to be continued.

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