ラベル Roland Petit の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Roland Petit の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年1月28日土曜日

Roland Petit comments on Giselle by Mats Ek

イタリアの新聞Corriere della Seraより。

1997年にマッツ・エック版「ジゼル」の主役アルブレヒトをスカラ座で踊ったマッシモ・ムッルについて、振付家のローラン・プティがインタビューされた記事です。
訳が拙い部分もありますがお許し下さい。

一般メディアや多くの人がヌードにばかり注目し騒ぎ立てたのに対し、自身もそのアヴァンギャルドさゆえにスキャンダラス(とされる)な振りや演出を用いて表現するローラン・プティの見方はやはり違います。
それでも新聞側は、なんとかスキャンダラスなボキャブラリーを使って書き立てようとしているのが嫌らしいですが・・・


【記事本文】

スカラ座で上演中の、ヌードシーンもある革新的な「ジゼル」の主人公は巨匠ローラン・プティの"教え子"である。

「僕はマッシモ・ムッルが舞台でジゴロという'わらじ'を履き、あのフラッチを赤面させるのを見たし、彼はチャイコフスキーの『白鳥』初のアブストラクトな白鳥役を演じることになるだろう」。

「マッシモ・ムッル?スキャンダラスな役に最適だよ」。

振付の巨匠ローラン・プティはマッツ・エック版「ジゼル」で完全に新解釈された裸体の王子に太鼓判を押した。先週水曜日にスカラ座で初演された(テレビ放映は修正版第2幕と無修正の第1・3幕)。

「ムッルは心をかき乱された人物を具現化するために生まれてきたようなダンサー。それに素晴らしいテクニックに恵まれている」とプティは請け合う。「コレット(フランス人作家)の作品にインスパイアされ、2年前『シェリ』での(カルラ・)フラッチのジゴロ役に選びました」。

このキャリアで最初の大抜擢により、ムッルは"ライバル"であるもう1人のスカラのプリンシパルダンサー、ロベルト・ボッレに大胆な一撃を食らわした。

Fracci and Petit, Cheri rehearsal

「リハの最中僕はムッルに、年上のレアに対するシェリの肉欲を身体で表現するように言った」。

プティはその当時を語る。

「しかし脚の付け根にちらりと視線をやるだけで十分だったのです。フラッチが本当に恥じらったのでね。マッシモは性格的に暗くて控え目だと思っていたので驚きました」。

全裸の王子の次は、またショックな役柄が当てられていると、予告したのはプティ本人である。

「ムッルはこれから私のチャイコフスキーによる『白鳥の湖』で、逆の役を演じます。ジークフリート王子ではなく、伝統的には女性が演じる白鳥の役です。
王子役にはペテルブルクのキーロフバレエ団のエトワール、アルティナイ・アシルムラトワを選びました。このバレエは3月にマルセイユで幕を開け、イタリアにも間もなくやってきます」。

Asylmuratova and Murru, in Swan Lake and its Evil Spells

何故役を逆にしたのですか?

「なぜなら現代では本当の白鳥、繊細で弱い生き物は男性だから。人生でもダンスでも、女性が支配する立場にある。もちろんこれははっきりしない白鳥で、女性を甘やかに扱うよりもオスの仲間たちと群れをなす方を好むという、何の魅力もない王子です。
面白くて怖いストーリーになると思います。ちょっと30年代のベラ・ルゴシのホラー映画みたいな雰囲気で。この作品に『白鳥の湖とその呪い』というタイトルを付けましたが、『白鳥の湖とその曖昧さ』と呼ぶこともできるでしょう」。

革新的なバレエ作家であるあなたにとって、スキャンダルを起こすことは何を意味しますか?

「私の『カルメン』は1950年代のカナダではポルノだと見なされ、警察が幕を降ろせと言ったほどでした。しかしその後長きにわたって成功を収めている」。

fin.


【訳者補足】

「白鳥の湖とその呪い」について
マッシモがアシルムラトワと組んだプティのアブストラクトな「白鳥」については、前にYouTubeで画像を見ていったいこれは何?と不思議に思った記憶が。

ここにきて思いがけずプティ本人からその作品背景(なぜ男女の役を逆にしたのか)が聞けて、興味深かったです。

「白鳥の湖とその呪い」は1998年3月28日にマルセイユで初演されました。

四半世紀以上にわたりマルセイユ国立バレエの監督を務めたプティからの、バレエ団へのフェアウェルでもあったこの作品は、1995年から3シーズンコントラクティド・ゲスト・アーティストとして同バレエ団で踊った名バレリーナ、アシルムラトワ*の為に作られたもの。

そしてアイルムラトワのマルセイユでの舞台はこれが最後となりました。アシムラトワはプティのマルセイユ監督辞任に関してこう述べています。「今世界に数少ない才能ある振付家の一人で、非常にもったいないこと。彼は難しい人だけれど本当に才能があるし、マルセイユバレエ団のために全てを行いました。ストゥディオをオープンし、学校も作った。26年という歳月は一生の大部分です」。

この辺のプティに関するコメントは、マッシモがContrappunti Massimo Murruで語っていた「難しい人だ(った)けれど才能豊か」というのと一致!ですね。


Altinai Asylmuratova
チュチュやポワントシューズを一切履かずに踊るこの作品。ポワントを取り除くというアイディアは実はアシルムラトワから発案されたのだとか。
現役時代はさぞかし美しいダンサーだったのでしょう!

*アルティナイ・アシルムラトワ:1961年旧ソヴィエト、カザフスタン生まれ。ワガノワ・コレオグラフィック・インスティチュートで学んだのちキーロフバレエに1987年入団、4年でプリンシパルに昇格。世界各国でゲスト・アーティストとして活躍。2000年にワガノワ・アカデミーのアートディレクターに就任後、舞台は引退。

参考:http://www.kirov.com/hstories/altyroland/altyroland.html

 

【原文】

http://archiviostorico.corriere.it/1997/dicembre/20/Roland_Petit_quel_ballerino_nudo_co_0_97122012874.shtml

IL CASO Il protagonista che appare svestito nella rivoluzionaria " Giselle " in scena alla Scala (ripreso da tutti i tg) e' il " pupillo " di un grande maestro

Roland Petit: quel ballerino nudo, perfetto per ruoli choc

Il coreografo: " Ho scoperto io Murru: sul palco imbarazzo' la Fracci nei panni di un gigolo' . E sara' il primo cigno ambiguo di Ciaikovski "

----------------------------------------------------------------- IL CASO Il protagonista che appare svestito nella rivoluzionaria "Giselle" in scena alla Scala (ripreso da tutti i tg) e' il "pupillo" di un grande maestro di VALERIA CRIPPA Roland Petit: quel ballerino nudo, perfetto per ruoli choc Il coreografo: "Ho scoperto io Murru: sul palco imbarazzo' la Fracci nei panni di un gigolo'. E sara' il primo cigno ambiguo di Ciaikovski" "MMARSIGLIA assimo Murru? Perfetto per ruoli scandalosi". Parla Roland Petit, il primo grande coreografo che ha "puntato" sul principe nudo ripreso da tutti i tg nella Giselle di Mats Ek, presentata per la prima volta alla Scala mercoledi' scorso (e trasmessa in tv in versione censurata dal tg 2 e senza dissolvenze da tg 1 e tg 3). "Murru - assicura Petit - e' nato per incarnare personaggi derange', disturbati, ed e' dotato di una meravigliosa tecnica.
Infatti l'ho scelto due anni fa per interpretare il gigolo in Cheri, ispirato al racconto di Colette, accanto alla Fracci".
Quel primo grande ruolo della sua carriera Murru l'aveva soffiato al "rivale" Roberto Bolle, l'altro primo ballerino di punta della Scala, con un audace "colpo di mano": "Avevo chiesto a Murru, durante le prove del balletto, un gesto che rendesse il desiderio carnale di Cheri nei confronti della matura Lea - aveva raccontato Petit all'epoca del debutto - ed e' bastato che si sfiorasse l'inguine con la mano, perche' la Fracci manifestasse sincero imbarazzo. E' stato sorprendente, tanto piu' che Massimo appare, come persona, cupo e riservato". Dopo il principe nudo, e' in arrivo per lui un altro personaggio - choc. Ed e' proprio Petit ad anticipare la notizia:
"Murru sara' il protagonista del mio Lago dei cigni di Ciaikovski con ruoli invertiti. Non interpretera' il principe Sigfrido, ma il Cigno, ruolo tradizionalmente affidato a una donna. Per quello del principe, ho scelto Altynai Asylmuratova, etoile del Kirov di Pietroburgo .

Il balletto debuttera' a Marsiglia in marzo, ma arrivera' presto anche in Italia". Come mai questo scambio di ruoli? "Perche' oggi i veri cigni, creature sensibili ed eteree, sono gli uomini: nella vita come nella danza, e' la donna a dirigere. Questo e' evidentemente un Cigno ambiguo che preferisce unirsi a un gruppo di pennuti maschi piuttosto che concedersi alla donna - principe per la quale non prova alcuna attrazione.
Ne uscira' una storia divertente, mi auguro, e un po' mostruosa, calata negli anni '30 in un'atmosfera da film horror di Bela Lugosi. L'ho intitolato il Lago dei cigni e i suoi malefici, ma avrei potuto chiamarlo Il Lago dei cigni e le sue ambiguita". Per lei, autore di balletti rivoluzionari, cosa significa fare scandalo?
"La mia "Carmen" negli anni '50 in Canada fu considerata pornografica tanto che la polizia mi impedi' di alzare il sipario. Per la prima volta si vedevano due amanti a letto. Ma il suo successo e' rimasto inalterato negli anni".*
Crippa Valeria
Pagina 37
(20 dicembre 1997) - Corriere della Sera

2012年1月11日水曜日

Chéri 1996

2012年を迎えまして、気持ちも新たにブログしていきたいと思います!
コメント、大歓迎です。
最近はバレエというか、マッシモ・ムッルのことしか書いてませんが、そのうち他のことも書きます。(^_^;)


さて今日は、マッシモにとって「思い出深い作品No.1」、ローラン・プティ振付、カルラ・フラッチとマッシモ・ムッル主演「シェリ」Chéri について。
ますは、マッシモへのインタビューではなく、作品自体のレビューのご紹介から。
海外版Dance Magazine (June 1996)に掲載の英文記事の訳です。


このバレエ作品、残念ながらDVDになっていないので、数少ないながらも探し出した断片的なイメージと画像とから得られるイメージしかなく、2009年映画化された「わたしの可愛い人―シェリ」を参考に観てみました。
この映画では最後にシェリは銃で自殺したことになっていますが、おそらく「シェリ」(1920)続編の「シェリの最期」(Fin de Chéri, 1926)でそういう結末だったのだと思います。「シェリ」自体では、シェリが他の女性と結婚しレアと一旦別れたものの、忘れることができずレアの家に戻ってくるが、レアは結局シェリを追い返すというところまでです。


前置きがやや長くなりますが、「シェリ」原作を書いた作家について、面白いのでご紹介したいと思います。

コレットはフランス人女性作家です。(Sidonie-Gabrielle Colette, 1873~1954)
これまたユニークな人生を送っており、20歳で結婚した15歳上の旦那は有名なバイセクシュアル、33歳の時に不実な夫と別れて女性作家のところに一時住んでいましたが、この女性(生涯友人だった)や、あの有名なジョセフィン・ベーカーとも(恋愛)関係を持っています。
コレットは、恋人の女性(Marquise de Belbeuf)のコネでパリのミュージック・ホールで仕事を始め、1907年には「エジプトの夢」(Rêve d'Egypt)を恋人と二人でムーランルージュで踊っています。しかし作品中のキスシーンが劇場内に暴動を起こし、警察沙汰になり上演は中止、二人はもう公には同棲できなくなったものの、二人の関係は5年間続いています。
その後39歳で再婚し、さらに3度目の結婚もしているという!
当時のフランスにはこういうドラマチックな人生を歩んだ芸術家が沢山いますが、はっきり言って・・・「シェリ」もいいけどあんたの人生のほうがよっぽどドラマでしょ!!とツッコミ入れたくなりました。
こんなにハチャメチャなのに・・・3度も結婚しながらレズビアンカルチャーを公にしていたのに、ベルギーやフランスの権威ある(ほとんど神々しい)文学アカデミーのプレジデントやシュバリエに任命されているという*
フランスの寛容さと芸術への理解の深さに脱帽です。
ともあれ、こうした作家のプロフィールを知ると、女主人公のレアが元高級娼婦、シェリの母親も然りという設定も、得意とするところだろうなと思いますよね。


コレット自身による「エジプトの夢」ポスター
 *ベルギー王立アカデミー会員 (1935), ゴンクール・アカデミーのプレジデント (1949) (また1945年に女性初のメンバーになっている),レジオン・ドヌールのシュヴァリエ (1920)、グランド・オフィサー (1953) を歴任。
(参考)http://en.wikipedia.org/wiki/Colette


【ダンス・マガジン 記事 1996年6月】

「シェリ」レビュー ミラノ・スカラ座 1996年2月14~26日
by シルヴィア・ポレッティ

1996年にカルラ・フラッチは人生における二つの重要な節目を迎えた。
60歳の誕生日とスカラ座との50周年である。このバレリーナへの贈り物として、スカラはローラン・プティを迎え、フランス人作家コレットの小説にインスパイアされた全一幕の作品「シェリ」を作らせた。

Carla Fracci
今のフラッチにレアはまさに適役だ。成熟した魅力的な高級娼婦のレアは若いシェリに惚れ込んでしまう。彼女はシェリに傷つけられるだろうことを承知の上で、最後の情熱を彼に傾ける。コレットが描く通り、彼はあまりに若くハンサムでスポイルされているため、エゴイストなのだった。驚くまでもないが、シェリはレアを捨て、若い金持ちの女と結婚する。実はレアこそが彼の生涯の恋人であることを悟らずに。戦争から戻り、退廃したシェリはレアの元へ帰って来るが、そこには寂しい老女の姿があるだけだった。

プティはフラッチの女性としての夕暮れ時の美しさと、マッシモ・ムッルの若々しい色気を対峙させている。この組み合わせにより、悲劇的なまでに全く異なる感情を抱いた2人のラブシーンを、ドラマチックで興味をそそるものに仕立てている。

ダンスはいつものプティらしく流れるようにエレガントかつ官能的で、ダンサー達の解釈により特に興味深く作り上げられていた。コレットが描いたような、シェリの大胆さを面白がり惹かれていく洗練された高級娼婦を演じるのでなく、フラッチはもっと母のようで優しい。そのせいで最後のシェリとの再会の劇的さは弱まる結果となっているが、フラッチが非常に巧みにレアの無言の絶望を表現しているため、彼女の脆くはかない存在が観客の方へと飛び離れ、彼女の悲劇へと巻き込むのである。


細部のタッチにより、プティはレアの浅はかな取り巻きに性格を持たせ、また当時の社交ダンスを描き出すことにより世紀末の時代背景を表現することに成功している。ルイザ・スピナテッリの舞台装飾は世紀末のパリを彷彿とさせ、ポーレンクによる音楽がふさわしいメランコリーな雰囲気をもたらしている。

若きプリンシパルダンサー、マッシモ・ムッルはアーティストとして急速に成長している。また特筆すべきはプログラムの幕開けで「シャブリエの6つのダンス」 Les Six Danses de Chabrier ("Six Dances by Chabrier")でソリストを務める20歳のロベルト・ボッレである。長身、ハンサムで大胆、テクニックに優れたボッレは、注目すべき才能だ。


【補足コメント】
実はバレエ作品としての「シェリ」は、プティが最初ではなく、ピーター・ダレル振付により1980エディンバーグフェスティバルでスコットランドバレエにより初演され(音楽:デビッド・アール)、1989年に香港バレエによりリバイズ版が上演された。他、ミュージカル化及び先述の2009年の映画以前にも1950年に映画化されている。


【訳者感想】
訳してみて思うのは何よりも、「舞台が観てみたかった!!」の一言です。
そこまでマッシモの心に刻まれる作品。
技術的・表現的には今の方がはるかに優れているのは間違いないですが、やはり若い時、そして初めて大物振付家の振付で名バレリーナ(フラッチは「スカラの至宝」とされていた)を相手に踊る、弱冠25歳。プリンシパルに抜擢されて2年後の話(エトワールになるのは2003年のこと)。
ものすごいプレッシャーだったことでしょう。
でも、監督のテラブストの信頼、プティの信頼、パートナーのフラッチからの信頼。これらを裏切らないようにきっとものすごーく頑張ったんだろうなぁ・・・などと想像するのみです。
今や40歳、「シェリ」役はちょっと厳しいかもね。その分素敵になっていますが。ふふふ。



【原文】

by Silvia Poletti

LA SCALA BALLET TEATRO ALLA SCALA, MILAN FEBRUARY 14-20, 1996
REVIEWED BY SILVIA POLETTI
In 1996 Carla Fracci celebrates two important milestones in her life: her sixtieth birthday and her golden jubilee with La Scala.
As a gift for the ballerina the theater invited Roland Petit to create Cheri, a one-act ballet inspired by the work by French novelist Colette.
The principal role of Lea is exactly right for Fracci today. Lea is a mature and fascinating woman of the demimonde who allows herself to be captivated by a young man, Cheri.
She lives out her last passion with him, though she knows that Cheri will hurt her. As Colette writes, he is too young, too handsome, too spoiled not to be an egoist. Sure enough, Cheri leaves her to marry a young heiress, not understanding that Lea is the true love of his life.
Returning from war, when he realizes his decadence and returns to Lea, he finds only an old woman lost in loneliness.
Petit counters Fracci's twilight beauty with Massimo Murru's fresh cockiness, a mix that makes the love scenes an intriguing dramatization of the very different feelings in the hearts of this tragically mismatched pair.
The dancing, as always with Petit, is flowing, elegant, and sensual made particularly interesting here by the dancers' interpretations. instead of the sophisticated courteson amused and attracted by Cheri's boldness, as described by Colette, Fracci is more motherly, more tender.
This makes Lea and Cheri's final meeting weaker dramatically, but Fracci is so effective at expressing Lea's mute despair that her tiny, frail figure towers over the audience, involving all in her drama.
Small touches enable Petit to characterize Lea's frivolous entourage and to show the years rolling by the turn of the century by depicting social dances of the day. Luisa Spinatelli's set and decor ideally evoke fin-de-siecle Paris, and music by Poulenc provides the right melancholic atmosphere.
A young premier danseur, Murru is quickly maturing artistically. Also worthy of remark is twenty-year-old Roberto Bolle, a soloist in Petit's light and mannered Les Six Danses de Chabrier ("Six Dances by Chabrier"), which opened the program. Tall, handsome, bold, and technically strong, Bolle is a talent to encourage.
COPYRIGHT 1996 Dance Magazine, Inc.
COPYRIGHT 2004 Gale Group

2012年1月9日月曜日

ひと息 ~これまでの記事を振り返って

あけましておめでとうございます。
今年もStellaのブログをよろしくお願いします。


さて昨年10月、マッシモ・ムッルに「一目惚れ」して以来、彼についてできるだけのことを知りたいと思い、あらゆるところに彼を探し求め、見つけた記事と写真を片っ端から日本語にして紹介してきました。

だいぶ記事もたまってきたので、ここで感想を述べたいと思います。




訳していると自分の主観は入れないようにしているので、ブログを書いていながら自分はほとんど語らない。
マッシモの言葉ひとつひとつ噛み締めながら、この言葉はどういった背景から生まれて来るのだろう?と想像し、調査し、何度も読み込みながら、非常に乏しいバレエ知識と理解力との闘いみたいなものでした。自分でも「よくやるよ」と時々思いますが、そこはやっぱり、好きな人の大切なバレエを語る言葉、私にとってもすごく大事。


そんなこんなして膨大な余暇の時間を費やしていると、訳しながら色々思うこと・感じることがたくさん自分の中に蓄積されていきます。


10月26日、シルヴィ・ギエムのHope Japanツアー Aプロで初めてマッシモと出会ったわけですが、この2ヶ月強、彼について初心者ながら探究していく中で私が見たマッシモ・ムッルは、「真摯にバレエに向き合う人」、そしてその静かな佇まいとは裏腹の「ダンスと音楽に対して燃え尽きない情熱を抱く人」、また「非常に知的で考察と解釈に深みのある人」です。
「オネーギン」「マノン」「さすらう若者の歌」等々、解釈の難しそうな作品が彼の代表作ですものね。

 


「マノン」
"Intervista esclusiva"(http://i-diari-di-stella.blogspot.com/2011/12/intervista-esclusiva-massimo-murru.htmlで紹介しましたが、あの素晴らしいデグリュ役の影には多年に渡り重ねてきたレッスンと舞台での経験だけでなく、初代デグリュであるアンソニー・ダウエルから直接指導を得られたという幸運もあったのですね。
私はマッシモもダウエルも生で観たのは一度しかありませんが、それがシルヴィ・ギエムツアーでの「マノン」(2011年10月)でした。
2011年1月にスカラ座でやはりシルヴィ・ギエムと組んで「マノン」全幕を演じ、観客に大きな感動を与え大成功を収めた(http://i-diari-di-stella.blogspot.com/2011/11/about-massimo-murru-i.html)でご紹介しています)わけですが、ここまで長年踊り続けて、やっと「自分のものにできた」(ダンスマガジン2012年1月号のインタビューより)とマッシモ。


スカラ座ウェブサイトのビデオでも、マッシモが一人、長く語っています(http://www.teatroallascala.org/en/season/opera-ballet/2010-2011/histoire-de-manon_cnt_15398.html)が、内容をかいつまむと、「マノンと長年付き合っていくうちに自分の性格の変化とともにデ・グリューの性格も常に変化してきた。ひとつひとつのパ、動作、視線が毎晩同じことはなく、自分と一緒に生きているバレエ作品」と語っています。文字通り、作品と自分の人生が重なっているわけですね。彼の言葉がすごく情緒豊かで素敵です!






そして、あらゆるインタビューに繰り返し出てくる3人の人物。

エリザベッタ・テラブスト
ローラン・プティ
カルラ・フラッチ
です。

"Cheri" rehearsal, Roland Petit, Carla Fracci and Massimo Murru


シルヴィ・ギエムについては、(マッシモファンとしては言いにくいですが・・・やはり客観的に見ても)彼女のおかげで世界の舞台に立つ機会が得られてると思いますし、組む回数も多く長い付き合いな割に、コメント少なし。
勝手な推測ですが、彼女についてはマッシモが何も言わなくても百万個くらい色んな人による様々なコメントが言い尽くされてますし、大スターなだけに、パートナーなだけに、コメントには慎重にならざるを得ないのかな。


そう言えば、意外ですが、フラッチ以外の他のパートナー達に関しても特にコメントしているのは見たことありません。(1度だけ、モンタナリだったかしら?に関してポジティブコメントを見たのが印象に残ってますが)
個人的にはギエムはもちろん(個性の強い女王様だから演目選びますけど)、ルシア・ラカッラとの並びが好きです。やはり美しいものには美しいものを対峙させて然るべき。




Lucia Lacarra


いっぱいマッシモの記事を読みましたが、今更ながらすごいキャリア…そして名だたる名バレリーナを相手に幾多の舞台を踏んできたマッシモ。
2011,2012のスケジュールは余りに静かで心配になります。

これも推測でしかありませんが、先述のエリザベッタ・テラブスト(1994年にマッシモをプリンシパルダンサーに抜擢した)が一時期2回目のスカラ座芸術監督に返り咲いた(2007)ものの、再び監督交代になったのが大きいのではないかと…
彼女がスカラに戻った時、マッシモはさぞ嬉しかったことでしょう。「素晴らし過ぎて夢のようだ、信じられない」「彼女は僕にとって初恋の人みたいなもの」と言ってましたから、オイオイそこまでかい?と心の中でツッコミ入れたくらいです。(^_^;)

また別のインタビューでも、「エリザベッタとは素晴らしく気があって相性も抜群」「自分を最初に信じてくれた人」と述べていますし、第二の大切な出会い、プティと巡り会えたのもテラブストのお陰(遅かれ早かれ他の機会が訪れた可能性もありますが)ですから、確かに彼女は特別な存在なのでしょう。



Cheri, Carla Fracci and Roland Petit



こんな事言い始めたらキリがないけど、やはりマッシモ、プティ、フラッチの生まれたタイミングや、テラブストがスカラの監督に着任していた時期、これらがまた絶妙な重なりをもってマッシモに(そして皆に)好機と幸運をもたらしていたと思います。


―1990年、フラッチは60歳の誕生日とスカラ座との蜜月50周年を迎え、スカラ座からの贈り物としてプティがフラッチのために振り付けたのが「シェリ」なのです。もちろん、当時の監督はテラブスト。彼女の勧めでプティのオーディションを受けたマッシモは見事、フラッチの若い"ジゴロ"、シェリ役を射止めます。
ここでプティはマッシモを見込み、のちにマッシモのために最多の作品を作ってくれます。

 
・・・それももう、20年以上前のこと。
2011年7月にプティは他界、マッシモにとってもっとも大きな意味をなす振付家はもうこの世にいない。そしてテラブスト監督という後ろ盾もなく、ましてやイタリアもヨーロッパも経済危機で劇場初め芸術分野の予算は削減。マッシモ御歳、40。
向かい風の嵐ですが、ファンとしてはエールを送り続けるより他ありません。

 予告編のようになりますが、今翻訳中の記事がいくつかあります。
時系列で追っているわけではないので、訳した主な記事・比較的最近の記事の中から重要と思われるトピックを引っ張ってきますので、芋づる方式に時間を行ったり来たりもあります。


これから訳したいと思っている記事は、表現者としての彼を開眼させた、そしてローランと・フラッチとの最初の記念すべき作品「シェリ」。
そして物議をかもした、しかし彼自身は芸術的に非常に高く評価している、マッル・エック版「ジゼル」。
これらに対するマッシモ自身そして周囲のコメントは非常に興味深く、また、必ずしも彼のキャリアはラッキーな出会いと若さと魅力に満ちたバラ色の人生だったわけではないと、改めて知らされます。
正直なところ、訳していて切なく、時には悲しくなったりもしました。
でも、それがかれにとってその時の真実であるならばそれを直視したいと思いますし、それらの全てを含めて、ダンサーとしての彼をやはり好ましいと感じています。


ちょっとフライングになりますが、私が最も心打たれたマッシモの言葉をひとつ、ご紹介します。
「ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。ダンスは間違いなくその助けになっています。まずは内面にある鏡です。人生では自分を隠すことを覚えますが、望もうと望むまいと、踊れば本当の自分が出てきます。それと自分が好きになれない性格(側面)を直す助けになります。
僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。でも演目の登場人物になろうとする時、役柄に入り込もうとする時、自分を投げ捨てるのは簡単になります。なぜなら外に出て来るのは僕じゃなくてデグリュやロミオ、シェリだから、何も恥じることはないのですから!」。


すでに、(私の知るほんのわずかの片鱗からも伺えるほど)奢らず、真面目で、優しいマッシモですが、同時にこういった心がけを常に忘れない人なんだと知りました。
この言葉には、彼という人柄がよく現れていると思います。
すべてのダンサーが、こんな風に考えているわけではないでしょう。稀に見る純真さというか、正直で、自分を飾らず弱いところも認めることができる勇気のある人。
外見やバレエにおいての表現だけでなく、内面も美しいダンサーと出会えたことに感謝しています。


ありがとう、マッシモ。
これからも、応援しています。
Grazie Massimo per tutti, ti mando mio sincero sostegno, per sempre.

2011年12月17日土曜日

Contrappunti Massimo Murru (II)


Contrappunti Massimo Murru e Roland Petit ~ parte 2

2010年にイタリアSkyのClassicaで放送された、マッシモ・ムッルのドキュメンタリー パート2です。

インタビュワーの太ったおじさん、一体この人誰?と思っていたら、ピアニスト・作曲家のCarlo Boccadoro カルロ・ボッカドーロさんでした。「黄金の口」なんてすごい名前。どうりでよくしゃべるわけだ…(^^;)
別にいいけど、マッシモが話し終わらないうちに畳み掛けるので、相手に対して失礼だしこっちは文の最後が聞き取りにくくてしょうがないよ…

Contrappunti パート2の動画へのリンクはこちら。
Contrappunti Massimo Murru part2

Carmen, choreography by Roland Petit

クラシック・バレエの限界と自由

プティがマッシモとラカッラに「ボレロ」の指導をしているのを見ながら、Boccadoroが質問する。
バレエの振付は記載されていることが少ないので記憶力が非常に問われるようだ。振付家はリハーサルの時にあれこれ変えたりするが、どこが固定されている部分で、どこが自由な部分なのか?

マッシモの答えはこうである。
幾人かの振付家と直で仕事をしてきたが、振付は常に変化していくもの。リハーサル時はもちろん、初演の後も。



「カルメン」練習風景(1997)
またこのパート2の冒頭では、マッシモが自分の言ったことが可笑しくて思わずちょっと笑ってしまうという珍しいシーンも。
"Grandi baletti di repertori, grandi balletti classici, ci sono della notazioni ,e poi credo che la danza e una dell'arte che si tramanda, verbalmente.
Con il tempo ci siamo organizati nel senso. (笑)
Anche noi a punto. Con i video, con le registrazioni televisive..."

著名なクラシック・バレエには"notazioni"(振付を記述したものと思われる)が存在する。
が、基本的にダンスは言葉で伝承されてきた芸術だと思う。
時とともに、我々はある意味前よりも系統だってきた。
ビデオ撮影やテレビ放映によってね。


(中略) 
バレエの振付けにも、楽譜みたいにやり方を記録する方法があるのでしょうか。どんななんだろう…

マッシモの語りは続く。


バレエは時間とともに変化する芸術である。
ダンサーもある意味進化してきており、パ(ステップ)のやり方も変化しいるし、30~40年前に作られた振付も、その当時と同じようには踊らない。つまりはその時代による変化が存在し、さらに(振付師やダンサーの)「スタイル」というものが存在する。

プティのバレエは特に(踊り手に)「スタイル」を要求する。そうでなければ誰が時代や踊り手を問わず、すべて同じになってしまう。
ボッカドーロはマッシモにさらに質問する。
プティは当初持っていたアイディアで君を踊らせてみて、いろいろと変えたり加えたりしていく。これは君がプティにアイディアを与えているからだと思うけど、自分がどのくらいプティの助けになったと思う?

マッシモは、「プティはダンサーと共に作品を作るタイプの振付け師である。ダンサーの意見を聞き、取り入れる。」とだけ述べ、自分の貢献度合いについては答えていない。

Carmenの練習風景(1997)

バレエ・ド・パリに居たころに作られた作品で、ドン・ジョゼ役はプティ自身が演じた。1947年だったと思う。
(*実際は1949年にロンドンで初演されている)
プティが「カルメン」を演じさせる度、常に前よりも改善し、さらに洗練されていく。


インタビューが続きますが、マッシモとプティの練習ビデオは流れていて、プティが熱心にマッシモに指導している声が切れ切れに聞こえてくるのですが、"Trop romantique" など力強さが足りないといった事柄中心のようである。

Carmen, Lusia Lacarra and Massimo Murru, 2008


ボッカドーロはマッシモがどのくらいプティ(の振付)に貢献したかと質問する。

マッシモは正直わからない、と。
プティはアーティストにありがちな複雑な性格だったので、心の底ではどれほど自分の言うことを聞いていたのかわからない、と答えている。

またプティに出会ったころ、プティは「大人」だったのが自分にとって幸運だった、とマッシモは言う。・・・

礼儀正しい彼は慎重に言葉を選んで説明しているが、要するに歳をとって丸くなったということだ。
マッシモがプティに出会ったころ既にプティは70代。そして80代にかけて共に仕事をしている。
若いころは”Tiranno (暴君)”の要素もあったらしい。
(名声も確立して)そこまで自分の何かを誇示する必要がなくなったのだろう、とマッシモ。


ここで、2008年のマッシモとルシア・ラカッラによる「カルメン」の映像が流れる。

Carmen, Lucia Lacarra and Massimo Murru, 2008

ローラン・プティはマッシモがプロのバレエ・ダンサーとして大きな成長を遂げた大事な時期に関わった振付家である。
ここで簡単にプティの紹介を。

Roland Petit

【Roland Petit Profile】
パリ・オペラ座付属学校に入学し、1940年にオペラ座に入団。在団中から振付を始め注目を浴びる。

1944年、ディアギレフの友人であったコクノや、バレエ批評家のイレーヌ・リドヴァとともに、バレエ・デ・シャンゼリゼを結成するために退団した。バレエ・ダンサー兼振り付け師として活躍し、48年脱退してバレエ・ド・パリを結成した。
1954年、バレエ・デ・シャンゼリゼ以来彼の作品で踊っているバレエダンサーのジジ・ジャンメールと結婚。1952年に映画『アンデルセン物語』、1955年にフレッド・アステア主演映画『足ながおじさん』の振付を担当した。

1966年にバレエ・ド・パリは活動を停止。1972年にマルセイユ・バレエ団の創立と共に招かれる。同バレエ団はのちにローラン・プティ・マルセイユ・バレエ団に改称した。1993年には自伝を発表している。
2011年7月10日、スイスのジュネーブで死去。87歳没。
Roland Petit e Carla Fracci
......to be continued.

2011年11月27日日曜日

Contrappunti Massimo Murru (I)

Contrappunti Massimo Murru e Roland Petit ~ parte 1 

2010年の春ごろに、イタリアのTV局Skyの番組Classicaで、スカラ座のエトワールMassimo Murruが、振付師Roland Petitについて語るドキュメンタリーが放送されました。
またこの番組は、2011年6月に再放送されたようです。(奇しくもプティが7月に他界する直前)

インタビュワーの質問にマッシモが答えながら、プティ作品を踊るマッシモの映像が多数挿入されています。

その主な内容について、数回にわたり記録します。
こちら、パート1動画へのリンクです。
Contrappunti parte 1


"La musica e la danza sono inscindibili.." 
音楽とダンスの切っても切れない関係


インタビューの冒頭部分は、音楽についての議論が続きますが、簡単にまとめさせていただきます。

音楽はarchitettura liquida (liquid architect)であるという定義についてどう思うか?というトピックで議論が始まりますが、マッシモはその定義は正しいとし、ダンスと音楽は切っても切れない関係にある、と述べています。

ローラン・プティの何がここまで彼を個性的にしていると思うか?という質問に対しては、「クリエーターとしての天賦の才能の持ち主であること以外に、彼が作り出す作品(振付)の特徴は、今日他に例を見ない、Coreografi narratoriであること」だとしています。
すなわち彼の振付けは、物語を語る力がある、とマッシモは評しているのです。




続いてパート1ではプティ振付の「ボレロ」を中心にインタビューが進行します。

Prove di Boléro a Marsiglia  
マルセイユでの「ボレロ」 (1997)


1997年、マッシモ・ムッルはLucia Lacarra ルシア・ラカッラと共にRoland Petit によるRavelの「ボレロ」をマルセイユの屋外ステージで踊っている。
まずはその屋外ステージでのリハのシーンが挿入される。
パートナーのLucia Lacarra (マドリード出身) の美しさはリハであっても目が釘付けになります。

マルセイユでの「ボレロ」本番をフルで観たい方はこちらのリンクをどうぞ。全長17分強です。
Bolero Lacarra-Murru 1/2
Bolero Lacarra-Murru 2/2




リハーサルの中で、プティはふたりに向かって、「君たちはエレガント過ぎる。互いにたいする戦闘的な感じが足りない」
と指導しています。
プティは動物、いや獣のような、ぶつかり合う二人の野性的な力を表現したかったのでしょう。


番外編: ボレロ、カルメンの練習風景

インタビューContrappuntiとは少し離れますが、こちらは中国の誰かがネットに上げてくれた、カルメンとボレロの練習風景。
"Il talento semplicemente"と題されたドキュメンタリーのようです。

フランス語で進む会話に、イタリア語字幕がついています。
(といっても一方的にプティが指導してマッシモは黙って聞いているだけですが・・・。マッシモは他の映像を見ても、普通にプティの仏語による指導を完璧に理解しているっぽいのですが、自分が仏語を発しているのを聞いたことがありません。。。。)

2パートに分かれる割と長い練習シーンです。冒頭にCMが入ってしまう仕組みのようですがご容赦を。
パート1: Massimo Murru Carmen/Bolero Lesson 1
パート2 :Massimo Murru Carmen/Bolero Lesson 2

パート1冒頭で、プティが「マァーーーッ!」と叫んだ後に、"Massimo, je te tue!" マッシモ、君を殺すよ!
と言っているのがなんかウケますが、真剣そのものの綿密な指導が延々と続きます。


このパート2の冒頭で、マッシモが語っています。キャップをかぶって、まだとても若いマッシモ。
今と声質も少し違います(!)。当たり前か。。。1997年といえば、14年前。マッシモは当時26歳(!)です。

ここでもやはり、マッシモに対し、プティは「もっと力強く、もっとマッチョに!」と厳しい指導をしています。途中マッシモの肩をドン、と押して突き飛ばすところが印象的です。

厳しい練習を重ねてのこの美しい結果なのですね。




Roland Petitによる「ボレロ」

Maurice Ravel作曲の「ボレロ」はベジャールによる振り付けのほうが有名ですが、このプティの振り付けも私は個人的に好きです。
踊っている二人(マッシモとラカッラ)が美しいからというのも手伝ってますが・・・

ベジャール版も本当に素晴らしいと思いますが、同じ音楽でも振付が違うとここまで別の世界を見せてくれるんだなーと感心します。
別のインタビューでマッシモは、ベジャール版に関してややネガティブな見解を示していましたが、プティと自分とで作り上げた作品への愛着や入れ込み方と、他の振付師によるボレロとは、比べものにならないでしょうね。



このプティ版「ボレロ」、作品の始まり方がまた面白い。

リングに上がる2人のボクサーのように、MM、LLのイニシャル入りのローブをまとったマッシモとラカッラの姿がステージに現れ、ゴングが鳴る。
ゆっくりとローブを脱ぐマッシモに、観客から野次が飛ぶ。(さすがマルセイユ)
Bolero in Marseille, 1997.

衣装も脚がむき出しの、レスリング選手を思わせるレオタード。
初めて見た時ちょっとプッと笑ってっしまいましたが(マッシモ、ごめん)、これはやはり、二人のぶつかり合い、「闘い」が根底のテーマとしてあるから選ばれた衣装なのでしょう。

 

ベジャールのボレロに比べるとやや地味な感じはありますが、よくよく見ると、難しいリフトや振りが盛りだくさんで、これを完璧に踊るマッシモとラカッラには本当に拍手したいです。


ラカッラの体の柔軟さと、脚の長さ(マッシモとほぼ一緒)にも注目したいところ。
日本に来てくれないかしら・・・


そして、フィニッシュのポーズ。


うーん。美しい。
若く美しい二人のダンサーに拍手。


楽しんでいただけたでしょうか? だといいなっ。


........to be continued❤