もちろんローラン・プティによる、カルラ・フラッチと共演した「シェリ」ですね。それは僕にとっての通過点であり成長期間でした。プティはどの振付師よりも多くを僕のために作ってくれた。フォーサイスも、自分とは一つの作品しかありません(スカラ座での「Quartetto」 by Ferri, Maximiliano Guerra, Desmond Richardson, and Massimo Murru, Sep 8-17, 1998) が、素晴らしかった。マッツ・エックと彼の振付けた「ジゼル」を作り上げた(彼との作品も一つのみですが)こと、それ以前にもコヴェント・ガーデンでの「カルメン」に取り組んだことも、非常に重要な経験でした。
ベジャールとはどうだったのですか*?
ベジャールは今日最も偉大な振付師の一人です。約50年のキャリアと数多くの作品。その全てが完璧な成功を収めたわけではないかもしれませんが、クリエーターとしての才能に疑いの余地はありません。まず「ボレロ」について話しましょう。ボレロは彼の作品の中では珍しく、振付という観点からはあまり優れているとは言えませんが、メディア的視点からは大成功した作品です。今日、ラヴェル作曲の、かつベジャール振付による「ボレロ」は、その丸テーブル**に上がる者は皆、凡庸なダンサーからルチアナ・サヴィニャーノやシルヴィ・ギエム(のような非凡なダンサー)まで全ての者が成功しています。まさにルチアナ・サヴィニャーノやシルヴィ・ギエムは(他の作品でも)センセーショナルだけれど、(ベジャールの「ボレロ」はその)あまりに強い印象のために、誰でも成功に導くことができます。
*マッシモは「さすらう若者の歌」「春の祭典」などのベジャール作品を踊っている。 **ベジャール振付による「ボレロ」は赤い円台の上で主役が踊る。
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Luciana Savignano in "Boléro"
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| Sylvie Guillem in "Boléro" |
自分はモダンな作品に適応しているダンサーだと思いますか?
モダンなダンサーという意味がよくわからないな・・・すべてのダンサーは現代的でなくてはなりませんから!モダンなダンサー、またはコンテンポラリーなダンサーというのはつまりはその時代のダンサーだと思います。この定義が自分に当てはまるかどうかわかりません。どんなラベルを貼るのか僕の判断に委ねるとすると、モダンなダンサーというのは、王子の役が出来る、悲劇の中の役も踊れる、抽象的な作品にも対応出来るダンサーですね。
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| パリ・オペラ座の天井画(マーク・シャガール) |
ミラノ、パリ、ロンドンなどあらゆる劇場で踊ってきて、どのような違いを感じましたか?
パリ・オペラ座は巨大なマシーンのように、何が起ころうとも停止することなく、ひとりでに機能するようにできています。ヌレエフが道筋を示し、以来車輪は回り続けている。組織は大規模で、(労働)時間は安定かつ固定しており、規律も厳しく守られています。
対して英国ロイヤルバレエでは、(ダンサー達は)奴隷のように働いています!ただ恐らくバレエ団の質的レベルはやや落ちると思う。キーロフバレエ(マリインスキー・バレエ)を例に取りましょう。彼らは揃って身長180cmで、皆モデル並に美しい。パリ・オペラ座のダンサーは180もありませんが、皆美しく均一です。ロイヤルバレエではこうはいかない。バレエ団の質に均一性はありません。しかし彼らの働き方は驚異的です。
仮にリハが10:30からだとしたら、レッスンは9:30に始まり、リハは18:00まで続き、本番が19:30に始まるのです。
僕がコベントガーデンに居た時目にしたバレリーナ達は、レッスン室からまた次のレッスン室へ、「白鳥の湖」のバリエーション、「眠りの森の美女」、そして「オネーギン」のパドゥドゥ、「カルメン」の練習をこなし、夜の「バヤデール」の舞台へと向かって行った。僕はびっくり仰天してしまった。問題は、日中5つのバレエを踊ると、夕方にはもう自分が誰だか分からなくなる。衣装を身につけ、すべきことをするだけです。もちろん自分の役柄は強く感じられますが。
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| Royal Opera House (Covent Garden) |
週に8つ上演し、世界ツアーをたった一日の休みのみで移動して廻るという、非常に強靭なバレエ団を目にしているのだと強く意識させられます。それが彼らの長所であり、また彼らにとってはそれが普通なのです。
コベントガーデンでは、観衆もまた異なりますよね。
その通りです。彼らはオフィスを出た後まるで映画に行くかの如く劇場へ行く。皆そう言っているし、本当にそうなのです。彼らはバレエを熟知し、ダンサーの解釈・表現に対してとても厳しい。初めてコベントガーデンに行った時はゾクゾクしましたね!終演後人々がシルヴィ(・ギエム)のところへ来てこう言いました。「あなたはもうこの演目は踊っちゃいけない、それこれを踊るべきだ!」と。良くも悪くもイタリアでは考えられないシチュエーションです。
あなたの演じる多くの有名な役の中でコンテンポラリーでないものに「マノン」のデグリュがあります。このバレエの成功要因は何だと思いますか?
ケネス・マクミラン(「マノン」の振付師)はストーリーにふさわしい解釈の鍵を見つけることに成功したと思う。パドゥドゥが受ける強力な時代の試練に耐えるバレエです。 マクミランは知らないけれど、初代デグリュであるアンソニー・ダウエルとロンドンでこの作品に取り組みました。
初めて「マノン」を踊ることになり、プリンシパルダンサーになった。翌年またマノンを踊る時、何も理解していないと感じる。そしてロンドンでダウエルと仕事をする機会が訪れる。
「マノン」はいわば彼の為に作られた作品です。そしてやはり何もわかっていなかったと気づくのです!そして全く新たな作品に取り掛かるかのように一から始めるわけです。
「マノン」は非常にインパクトの強いバレエです。理由の一つは踊り手が解釈を強いられること。もし人物の解釈をしなければその踊り手はおしまいです。観客は映画にでも行った方が、より安いしより楽しめるでしょう。
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| The original Manon and Des Grieux: Antoinette Sibley and Anthony Dowell in 1974 |
アンソニー・ダウエルと仕事が出来たのはとてつもない幸運でした。彼はもうかなり前にロイヤル・バレエの監督を引退しています。僕が彼に出会えたのは、彼がG.M.役を演じる為に(ロイヤルに)招かれており、シルヴィが僕たちの練習を見に来て欲しいと頼んだからです。それに「マノン」はロイヤルバレエ団に属する作品です。このバレエはロイヤルオペラハウスで生まれたのです。舞台には特別な雰囲気があり、それがプラテア(平土間)まで伝わってくる。
ところで、あなたのイメージはというと控えめなアーティストで、名声を鼻であしらうとか。あなたはシャイなのですか、それともスターダムが好きではない?
(真の)スターダムが今も存在するとは思えません。もしも自分が誰かを語るために良いイメージを作るのが役立つんだったら、スナップショットやインタビューというのが助けになるでしょうし、ダンサーを職業とする人がたいてい持っているナルシシズムの欲求を満たしてもくれるでしょう。しかし僕は今日のメディアやジャーナリズムで目にするスターダムの在り方は好きではありませんね。僕は物事を軽く捉えたくはないですね、長期的にはそれが(人々に自分が)重く感じられる危険性はありますが。
下着姿でテレビに出るくらいなら家に居た方がよっぽどマシです。今日では視認性が欲しければ何らかの方法で自己宣伝をしなくてはならないご時世なのは解っています。しかし誰にも選択権はある。当然50年代のスターダムにはそれなりの魅力がありましたが、契約上結婚したり付き合ったり好きなように食べたりできない男優や女優たち・・・ただし今のスターダムはこれとは比較になりません!僕は本業のパフォーマンスを可能な限り良くしようと努力していますから、それ以外のことに興味はありません。
マッツ・エック版「ジゼル」を踊った時、あらゆるニュースに自分が載った。Striscia la notiziaやNovella 2000の見開きに、僕のお尻を最前面に出してね。ありえません!こうした事全てが僕は好きではないのです。だから今まで色々な提案が来ても断りました。例えばファッション系のスタジオでシャツの前をはだけて写真を撮る依頼が来たりした時。僕は観客がバレエを観に劇場へ来てくれること、自分がどれだけ良いパフォーマンスが出来るかで劇場に来てくれることを願うのみです。開いた脚や、胸板を見るためではなくてね。
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| Rudolph Nureyev (1938-1993) |
あなたのことをシャイで捉えどころのないイメージに仕立て上げているメディアの声を否定するということですね。
その通りです。クラシックバレエのダンサーの中で、エトワールはテレビや時の俳優たちを軽蔑し批判するけれど、いざ誌面に写真が載る機会があると何をおいてもそれを得ようとする。少し矛盾しています。もしメディアを好まず出ないと決めたなら、そうした機会が訪れても飛びつかないはずでしょう。
つまりいわゆるスターダムのこうした側面に関して言えば、何を受け入れ何を拒否するかという事になります。少なくとも僕がプールでのテレビ撮影を頼まれた時にはそうしています。
我々はクラーク・ゲーブル*ではないのです!もしくは人々に平手打ちを喰らわせに出て行ったヌレエフでもない。我々は皆、何よりも自分たちの仕事に専念しなくては。
*Clark Gable(1901~1960): 30年代を代表するアメリカの映画俳優。 「風と共に去りぬ」のレット・バトラー役として非常に有名
ではこの類の名声はダンサーの役には立たないと思われますか。
スカラ座にとってマッシモ・ムッルがカレンダーになる必要はないでしょうし、ましてやロイヤルオペラハウスやパリ・オペラ座は言うまでもありません。スカラは毎日、誰が舞台に上がる日であろうと、どの階も満席です。イタリアではどんな時でも個々人の好みが尊重されます*。(*特定の有名スターが演じる時のみ満席になったりしないことを揶揄)
ロンドンでは劇場側が擁するアーティスト達のイメージを前面に押し出しています。タマラ・ロホやアリーナ・コジョカル(共にロイヤルバレエのエトワール)が雑誌のカバーを飾り、演目のポスターが展示され売られています。スカラではこうした事は起こらない、もしくはあったとしても滅多にありません。
1週間に4~5回舞台があるような多忙な時期、例えばロンドンで2回ミラノで3回とかそんな時は、仕事以外はどういった生活をしていますか。
そういう時は生活全てが仕事漬けです。朝6時に起きてロンドンでのリハに間に合う唯一の飛行機に乗り、舞台で踊り、ディナーに出かけて、ホテルに戻って目覚ましを5時にセットする。その時間に起きてタクシーに乗らないと、ミラノでの次の舞台に間に合う唯一の飛行機を逃してしまうから。こうした時期は疲れを感じないメカニズムが働いていて、疲れを感じません。後になってリラックスした時初めて疲れに気付くのです。そういう時どっと疲れが出たりします。でも真っ只中にいる時は進むしかない。一日でものすごいスケジュールをこなしたことがあります、もちろん東京ではそうはいかないけれど、ロンドンではままあることです。
ロンドンに朝10時に着いて地下鉄に乗り45分後にはロイヤルに着いて、すぐにリハが始まる。そして5時半になるとマッツ・エック(当時僕らは「カルメン」の練習をしていた)に頼んで、まだあと30分リハが残っているけど、9時にミラノ行き最終便に乗らなければ、翌日プティ版「ノートルダム・ド・パリ」を踊れないから一足先にあがらせてくれと頼む。これが1週間に2回もありました。スカラで舞台があるのに、ちょうどその日程にマッツがロンドンで時間が取れることも知っている。ロンドンに行くか、舞台をキャンセルするか。あとで考えて初めて自問する。"一体僕はどうやってやりくりしたんだ?"と。もちろんこのような時に映画やショッピングに行く方が楽しいのになどと考える余裕はありません。
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| プティ版「ノートルダム・ド・パリ」練習風景 (ルグリ、ムッル他) |
いずれにしてもそんな状態は長くは続けられませんね。
はい。たとえ肉体的に耐えたとしても負担が大きいですし、遅かれ早かれ何かの形で代償を払うことになるでしょう。踊りに全てを捧げて、引退した時には疲れ果ててしまったという話は、伝説的なダンサーだけのものではありません。それに、もし恋愛や友情を本当に知らなければ、舞台上で何が語れるでしょう?愛はキャリアの二の次・・・でもどうやって?僕達はいつも相反する力の間でバランスを取るポイントを見つけなくてはならない。全てを解決する数式は存在しないけれどね。生涯ただ待ち続ける人もいるけど、大恋愛は訪れない。これは職業は関係ないですけどね!
非常に多くのダンサーがバレエ団の同僚の中から恋人を見つけていますね。
そうですね、ある意味便利ですから。それに恐らく、一生涯の恋人が劇場の前を通り過ぎたとしても、「白鳥の湖」を練習していて巡り会う事が出来ないのかもしれない。でもそれは職業を問わず誰にでも起こりうる事ですけどね!
パートナーと(解釈について)同意出来なくても踊ることができますか?
同意できないというのがどういう意味なのか考える必要があります。問題があってもお互いへの敬意があれば踊れます。議論があるかもしれないし、話し合いや、したければ言い争いをしてもいいでしょう。でも根底にプロとしての敬意がなくてはなりません。火花が散るのは求めないけれど僕の人生で2回だけありました。それでもプロの敬意は保っていましたけどね。もしこの敬意がないと、すべてが非常に困難になります。このような場合、僕は一緒に踊るのを極力避けます。それが不可能な時は”ヒキガエルを呑み”ますね*。しかしそういう時はパフォーマンスが上手くいかないし、(パートナー間に問題があるのは)見ていて明らかです。*(とても嫌なことを我慢する例え)
あなたが「ジゼル」のクラシック版、シルヴィ・ギエム版、マッツ・エック版を踊ったように、同じ物語でも振付の異なる作品を踊る時、変わるのは踊りだけですか、それともバレエの雰囲気が何か変わりますか?
雰囲気自体が変わりますね。「ジゼル」が今日まで生き続けてこられたのはその極めてシンプルな、ありきたりとも言えるストーリーゆえです。ある観点からは間違いなく秀逸なバレエですが、ストーリーは非常に凡庸です。エック版、ギエム版のように、同じ物語を元に、異なる解釈をし、独自のバージョンを生み出すことができるというのは非常に興味深い。これらはクリエーションではなく、単に一時的にお互い結ばれただけです。
シルヴィ・ギエム版のもっとも大胆な点は、舞台の上での”言語”を作り出す能力と意欲です。それに対しエックの「ジゼル」は色調の違いであり、ストーリーにあまり沿わない変化形を提示しています:ジゼルは第1幕の終わりで死んで精霊という形になって再び登場するのではなく、混乱して大騒ぎします。ここではサブスタンス(実質)ではなくフォーム(形式)を変化させています。僕は、最初から最後までただ一つの音調も変えることなく「ジゼル」を再解釈したエック版は、非常に素晴らしいと思います。
中でも特に思い出深い舞台というのはありますか?
もちろんです。考えてみると不思議な感じです、例えば拍手の記憶というのは曖昧なものです。でも「シェリ」の初演はいつでも鮮明に思い出します。コベントガーデンでの「マノン」もよく覚えているし、最近だと2005年11月のロンドンでの「ロミオとジュリエット」ですね。スカラ座での初の「ジゼル」も挙げておきましょう。それらは全て強い感情を伴った記憶で、今でもその感情は自分の中に残っています。
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| Sylvie Guillem, Massimo Murru in "Manon" |
- Alessandro Bizzotto
(fin.)
【原文】
MILANO – All’ingresso artisti della Scala sembra non correre il rischio di essere riconosciuto. Esce solo, jeans e giacca scura, senza arie o occhiali neri. Eppure in scena Massimo Murru è abituato a mandare in delirio fan e appassionati; per un autografo dopo gli spettacoli fanno la fila alle stage door di mezzo mondo, dalla Royal Opera House del Covent Garden londinese all’Opéra di Parigi, fino a Tokyo e a New York.
Ètoile al Teatro alla Scala dal 2003, Massimo esporta il talento italiano da oltre dieci anni. Dai classici di repertorio alle creazioni contemporanee, ha saputo distinguersi non solo per tecnica, ma anche per spessore e intelligenza interpretativa.
sguardo sveglio, il garbo sottile, l’intelligenza acuta, Murru solleva il discorso dal pantano del luogo comune: difende le sue scelte con convinzione, affonda con lucidità il bisturi nelle carni del divismo nostrano, parla di sé senza mai prendersi troppo sul serio. Sopra due tazze di cappuccino la conversazione parte in quarta, allungandosi oltre la scaletta dell’intervista standard.
A che età hai capito (o deciso) che danzare era la tua strada professionale, non solo una passione da coltivare?
A che età… non saprei dirtelo! Ho iniziato giovanissimo, entrando a dieci anni alla scuola della Scala. Non sapevo a cosa andavo incontro, non avevo mai visto un balletto, i miei genitori non erano appassionati di teatro. Mi sono trovato in questo posto stranissimo, e passo dopo passo ho compiuto il percorso che mi ha portato al diploma. Non ho mai pensato “Diventerò étoile, ballerò Il lago dei cigni”; le cose si sono evolute in modo graduale. Sono entrato subito in corpo di ballo, ho iniziato a ricoprire i primi ruoli da solista e poi da primo ballerino; nel 1994 sono stato promosso Primo ballerino, sotto la direzione di Elisabetta Terabust…