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2013年4月9日火曜日

セルゲイ・ポルーニン失踪と自傷癖

Stellaも好きなダンサーのひとり、セルゲイ・ポルーニンの何だか悲しいニュース。でも、Stellaはポルーニンが嫌いになれない。心配だけど、きっと近い将来ハッピーに踊る彼が見られると信じてる。

英Telegraph紙より。
先週Peter Schaufuss監督によるMidnight ExpressがLondon Coliseumで開幕(4/9)する直前(先週木曜)に失踪した事件で世間を賑わしたポルーニン。彼と同時に降板になった(姿を消した)イーゴリ・ゼレンスキーと2人でSchaufuss監督と仲違いをしたからというだけでなく、精神的に鬱のような状態だったという噂も流れている。

ちなみにこのバレエは1978年にトルコの刑務所で起きた事件を元に制作されたそうな。中にスキャンダラスな同性愛的内容も含まれているとか、振付やそのアーティスティック・ディレクションに賛同出来なくてプロダクションから降板することになったとか、いろいろ噂されている。

英国ロイヤルバレエのプリンシパル最年少の栄光も突如捨て去って世間を驚かせた彼ですが、若いのかなんなのか、自分の内面を語ることも臆さないもよう。
失踪前のインタビューでは、"アドレナリンを出すため"に自分で自分の体を傷つけたりしていたと告白。自ら、鬱状態だったことや、またそういう時の自分にとって自傷行為が一番良い方法だとも語った。
両親の離婚では精神的ショックを受けたものの、以来「自分を哀れに思ったり、何かを悲しいと思うのはやめた。そういう感情を殺した」という。

ウクライナ出身、現23歳の天才的ダンサー。2012年1月に急に英国ロイヤルを退団。翌月に日本で同バレエ団のプリンシパルらが参加する「アリーナ・コジョカル ドリームプロジェクト」にはコジョカルらの奔走でかろうじて出演出来た。
ロイヤルのプレッシャーの大きさに耐えきれず、「頭の中に火事が起きたような」状態だった彼は、ナイトクラブで遊んだり、コカインを服用して舞台に立ったことも認めている。今は「ほとんどドラッグは辞めた」というが…。

バレエはもっと気楽なスタンスでやり、友人と所有するタトゥーの会社でビジネスをやりたいと当初話していたが、その後ミュージカル「オペラ座の怪人」に出演してその卓越したダンスの健在ぶりを披露。また二月のタマラ・ロホ(元ロイヤルのプリンシパル)のフェアウェルでも「マルグリットとアルマン」でROHへカムバックを果たし、「以前よりも踊るのが楽しい」と発言していた。
現在、イーゴリ・ゼレンスキー率いるモスクワのStanislavsky Music Thater (スタニスラフスキー・ミュージック・シアター)およびNovosibirsk State Academic Opera and Ballet Theater (ノボシビルスク州歌劇舞踏劇場)のプリンシパル。

Sergei Polunin spoke of depression and cutting himself before walk-out

Sergei Polunin, ballet’s prodigal son, spoke of his bouts of depression and cutting himself before he walked out of his latest British production - Midnight Express.

Sergei Polunin rehearsing in Moscow in January
Sergei Polunin rehearsing in Moscow in January Photo: Davide Monteleone/VII Photo
 
The Ukrainian dancer caused a stir last week by disappearing just days before the opening night of the Peter Schaufuss ballet Midnight Express.
He was said to have fallen out with the director, while friends hinted at depression playing a part in his decision.
In an interview given before his walk-out, he spoke of an inner turmoil, speaking openly about the cuts he has inflicted on his own body to get “adrenaline rushes”.
He told today’s Sunday Times Magazine: “You get to feel good. You do it when you’re kind of down, sort of depressed.
“You just go to sleep normal. You don’t do it when you’re happy. It’s the best therapy for myself, I find.”

The 23-year-old previously walked out on the Royal Ballet in January last year after the pressure became too great, and later admitted he had spent his nights clubbing and even performed while on cocaine.
In his most recent interview, he recalled feeling as if “I got a fire going into my head. And one more thing and that will be it, you know. I will just walk out.”
But he took drugs to satisfy his curiosity, to think about things and “just to learn something”, rather than to party, he insisted. At the time of the interview, he said he had “pretty much” stopped doing it, however.
Earlier in his life he had managed to suppress the pain he felt at the break-up of his parents’ marriage by dint of what he describes as determination.
“I said I would never feel sorry for myself or feel sad about anything again,” he said. “And from thereon…I killed that feeling.”
Hundreds of Midnight Express ticket-holders were left disappointed when he disappeared on Thursday, with fans fearing they will not get their money back from the English National Opera despite his departure.
The production, based on a 1978 Turkish prison drama, is scheduled to open at the London Coliseum on Tuesday, with tickets costing up to £120.
http://www.telegraph.co.uk/culture/9977234/Sergei-Polunin-spoke-of-depression-and-cutting-himself-before-walk-out.html

2013年3月28日木曜日

デイヴィッド・ホールバーグ写真館 3月号

ご無沙汰してます。
最近、我らがT子(Stellaのマブダチ)のLOVE、デイヴィッド・ホールバーグ氏の記事や写真がわりと盛んにアメリカのメディアに出没している。

あと三週間もすれば五反田ゆうぽうとで生を見られるという氏ではあるが、なかなかイイ写真もあったので、解説なしの手抜き投稿と言わずにお楽しみ頂きたい。

ちなみに、ABT(American Ballt Theater)の2013 Spring Seasonも公表に。王子の出番が多いのはよいことだ。
http://www.metoperafamily.org/metopera/season/abt/index.aspx
このリンクはNew York Times(March 8)に出たインタビュー記事。
http://www.nytimes.com/2013/03/10/fashion/david-hallberg-the-prince-of-tights-leaping-onto-a-new-world-stage.html?ref=fashion&_r=1&



さて、ここからは鬼のように写真をアップしたのでご覧あれ。

American Vogue April, Dancing with stars
By Annie Leibovitz
(3 photos)
これ、色使いがすごく素敵です。





Exhibition Magazine Dorian issue
Photo: Daniel Jackson
Editor: Tiina Laakonnen
(8 photos)
T子、鼻血ちゅうい!!王子のせくしーお写真。
















どのメディアか不明ですが
by Daniel Sannwald
(2 photos)



Carine Roitfeld's CR Fashion Book Issue #2
"A fearless instructor and her devoted pupil"
Photography: Kacper Kasprzyk
http://crfashionbook.com/post/43150315580/once-upon-a-dance-a-fearless-instructor-and-her





以下、StellaがLINE Cameraで遊んじゃった版。(T子に殴られそう)


クリソツ。




最後は、WSJ (Wall Street Journal)なぞというハイソなメディアに出た時の、じぇーむずでぃーん風?王子でお別れです!


fin.

2013年1月25日金曜日

パリオペ新監督に「ブラック・スワン」のバンジャマン・ミルピエ

NY Timesより。
http://www.nytimes.com/2013/01/24/arts/dance/benjamin-millepied-to-be-paris-opera-ballet-director.html?_r=1&

【記事概要】
2013/1/24朝、ガルニエ宮にてオペラ座総支配人Nicholas Joel氏より、1995年よりバレエ部門の監督を務め2013-2014シーズンを最後に引退するブリジット・ルフェーヴルの後任について発表があった。
数ヶ月に及ぶ推測や噂ののち、ミルピエ氏の指名はむしろ驚きであった。たいていの場合はパリオペの現役または元ダンサーから選ばれるところを、指名されたのは2014年に引退するエトワール、ニコラ・ル・リッシュでもなく、同バレエ団のダンス・マスターを務めルフェーヴル氏の右腕でもあるローラン・イレールでもなかったからだ。
バンジャマン・ミルピエ氏はボルドー出身の35歳、リヨンのコンセルバトワールで訓練を受けたのち、10代でSchool of American Balletへ入学、キャリアの大半をNYシティバレエで積む。すぐに頭角をあらわし2002年にプリンシパルに昇格、2011年に引退し振り付けに専念していた。LAへ移り昨年みずからLA Dance Projectを設立。

ミルピエ氏は水曜日、NYのホテルでインタビューを受けた際、現在ミラノ・スカラ座の芸術監督で2015年にパリ・オペラ座総支配人を継承するStéphane Lissnerから、そう遠くない11月半ばに話を持ちかけられたと語った。パリオペのバレエ部門の監督は、芸術面での方針について総支配人と合意することになっているが、近年そうではないケースも見らた。
「最初は他に候補がいるのを知っていたので驚いたが、ステファンとの芸術に関する会話が非常にエキサイティングだと感じるようになった。しばらくすると、自分はかなりの確率でこのポジションに指名されるのではないかと思った。そしたら頭がぐるぐるしだしたよ」とミルピエ氏。


それも無理のない話。…と記事は続く。
NYタイムズの論調はミルピエ氏が失敗すると言わんばかり。ま、この意外な「外部」からの指名に、メディアの大半は批判的でしょう。バレエ団からの風当たり強そう…(⌒-⌒; )

長年続いているブリジット・ルフェーヴルが例外的で、「パリオペのバレエ監督は皆ハエのように逃げ出すのが通例」と辛辣な同紙。あのルドルフ・ヌレエフは波乱万丈の6シーズンを80年代に務めたが、John TarasやViolette Verdyなどはたったの数シーズンしか続かなかったそう。


ミルピエ氏は映画「ブラック・スワン」の振り付けと、主役ナタリー・ポートマンとの結婚で有名になったけれど、振付家としては、パリオペを含め、アメリカン・バレエ・シアター、NYシティバレエなどに作品を提供しているものの、監督としては音楽家やダンサーと小さなフェスティバルをオーガナイズしたくらいの限られた経験しか持たない。

ミルピエ氏は自ら立ち上げたLA Dance Projectは向こう3年間の財源確保が出来ており、パリオペ新監督として仕事を始め、ナタリー・ポートマンと息子と共にパリへ移住した後も同プロジェクトが続くことを望んでいる。
ブリジット・ルフェーヴル氏は電話インタビューに答え、「(監督任命は)常にギャンブル。私が就任した時だって人々は不平不満があったことでしょう。彼(ミルピエ)は本当の芸術に対する繊細さと素晴らしい好奇心の持ち主。オペラ座の伝統と革新との間で、自分なりのやり方を見つけなければならないでしょう」と語った。


あとの記事は面倒だから訳しないけど、ミルピエ氏自身は結構余裕っていうか楽観的みたい。どうなるのかなぁ、パリオペ。ボリショイのフィーリン監督みたく激しくイジメられませんように。
Stellaの北京旅行以来のお友達、マリアちゃんなんか、「ニコラかローランだったらシルヴィをパリオペに呼んでくれるはずなのに!」と残念がっていた。Stellaはむしろ、スカラ座のStéphane Lissnerが総支配人着任の暁にはマッシモをパリオペにもう一度呼んで欲しいわねっ。

fin.

2012年7月2日月曜日

デヴィッド・ホールバーグ便り July

じゃじゃん!

アメリカからDance Magazineをゲット!

フランス・イタリアに続いて、今度はアメリカからダンス雑誌をゲットしたよ。
これもホールバーグファンであるマブダチT子のため。

1ヶ月以上かけてどんぶらこっことStellaのもとに届いたこの雑誌、何を隠そう購入せずとも全記事がオンラインで読めてしまうというよく分からないスタイルをとっている。
http://www.dancemagazine.com/issues/May-2012/The-Classicist-Who-Dared


それにしてもナゾなのは、まだ一度も実物を見たことがないのにとってもホールバーグ王子ラブ♥なT子。
曰く
「王子のあのいたずらっ子な笑顔でニヤッとされたら、多分」

だそうである。
でも昨年来日したばかりのホールバーグ王子はなかなか再訪してくれそうもない。

そんなT子のために。
行くよ!
ホールバーグ王子長編インタビュー!
(長編だよ、長編。訳するほうも大変さぁ~)

【記事】

It’s simply never been done before. Period.

An American had never been asked to join the Bolshoi Ballet at the principal level until last September, when the insular Russian company—home of legends like Plisetskaya and Ulanova—announced that it had hired American Ballet Theatre star David Hallberg. It was a shocker to the ballet world, making headlines in the global media (even prompting a slot on The Colbert Report, where Stephen Colbert satirically interrogated Hallberg about being “a double agent”). Talent had filtered out of Russia via defections during the Soviet Communist regime, and then flowed out after perestroika. But it was essentially a one-way stream—until Sergei Filin, two weeks into his artistic directorship of the Bolshoi Ballet, invited Hallberg to lunch and quietly asked him to become a premier danseur in Moscow.

Hallberg, who had once guested with the Bolshoi, partnering Natalia Osipova in Giselle, was as surprised as anyone. “In a sense, this Bolshoi offer came out of nowhere,” says Hallberg. “I wasn’t pursuing it. I didn’t want to go to the Bolshoi—it was just never a possibility. The Bolshoi was this traditional, historical entity.”

But Filin was determined to recruit Hallberg. He feels that Hallberg’s refinement distinguishes him from other dancers. “I think that he harmoniously combines the exquisite elegance of the French school with the freedom and modernity of American ballet dancers. He also mixes dramatic talent with great technique, free of showy jumps and other ‘circus’ attributes,” says Filin through a translator. “Obviously, his physique, which is perfect for classical ballet, didn’t go unnoticed either.”

それまでアメリカ人がプリンシパルレベルでボリショイバレエに誘致されたことは未だかつてなかった。昨年9月にプリセツカヤやウラノワら伝説のダンサーの家元でもある、この島国根性のロシアン・カンパニーがアメリカン・バレエシアターのスター、デヴィッド・ホールバーグを雇ったことを発表するまでは。バレエ界に衝撃が走り、世界のメディアのヘッドラインになった。才能あるダンサーはロシア共産政権中は亡命によって西へ逃げ、ペレストロイカ後も流出していたが常に東から西への一方通行だった。ボリショイの芸術監督に就任後わずか2週間のセルゲイ・フィーリンがホールバーグをランチに誘い、プレミア・ダンスールとして入団しないか、と静かに尋ねるまでは。


ボリショイでナタリア・オシポワとの「ジゼル」を一度客演していたホールバーグは誰よりも驚いた。「ある意味このボリショイのオファーは青天の霹靂でした。僕はボリショイに行きたいなんて考えたこともなかった。単にそれはあり得ないことだったから。ボリショイは伝統と歴史を重んじるカンパニーですし」


しかしフィーリンはホールバーグを入団させようと決めていた。ホールバーグの洗練さが他のダンサーとの決定的な違いだと思った。「彼はフレンチスクールの美しいエレガンスとアメリカの自由やモダニティーをうまく調和させている。そして演劇性とテクニックも。これ見よがしのジャンプや他のサーカス的な態度も一切ない」と通訳を通じフィーリンは語った。「もちろん、彼がクラシックにうってつけの身体を持っていることは言うまでもない」


Initially, Hallberg remained skeptical—with lots of questions. “I stayed very removed from the emotional side because I wanted to know what he had in mind,” says Hallberg. It would be a bold step for the Bolshoi and for Hallberg, who took two months to decide: “I was conflicted. I knew it could be a huge sacrifice for my lifestyle and career.”
After consulting with Kevin McKenzie (“He has always been supportive of my curiosity and my desire for more,” says Hallberg) and Alexei Ratmansky, who understood the historical significance of the decision, and back-and-forth negotiations, Hallberg signed a contract for a yearlong commitment. Rumors flew (the Paris Opéra? the Mariinsky?), but Hallberg restlessly sat on the story until it was officially released on September 20, 2011.

Hallberg, who still remains an ABT principal, had found the answer to his question, What’s next? “I saw this experience as something that was so different from ABT,” he says. “I was opening up this new world that I really knew nothing about that I was quite judgmental about before. I finally realized I needed to make my own experience.”
Different, indeed. Hallberg has had to make fundamental adjustments as a Bolshoi dancer. “The technique really is big—it’s exactly what ‘Bolshoi’ stands for,” says Hallberg. “There is a huge stage to fill and you have to alter your movement to fill that stage.” The Bolshoi also emphasizes an exaggerated style of jumping. The hips are opened to create an illusion of a longer line and the position in the air is held a millisecond longer to sustain a jump.
The port de bras? Also altered, far less square and matter-of-fact. “I’m used to just positions,” he says, demonstrating a first position with the arms perfectly rounded as if holding a beach ball. “For them it’s more about opening up a line,” he explains, lengthening his arms forward into an oval shape. “It’s more open and, in essence, bigger. I’m so open to all of that because I want to get the most out of learning the Bolshoi technique.”

初めの頃のホールバーグは懐疑的で、多くの疑問を抱いていた。「フィーリンが何を考えているのか知りたくて、感情的にならないようにしていた」と決断に2ヶ月かけたホールバーグは言う。「悩みました。僕の生活とキャリアとに大きな犠牲にもなりうることが分かっていたから」。この事の歴史的な意味を理解する(ホールバーグ曰く、常に彼の好奇心と向上意欲を支援してきた)ケヴィン・マッキンゼーとアレクセイ・ラトマンスキーへの相談と、幾たびかの交渉を経て、ホールバーグは一年間の契約にサインした。様々な噂(マリンスキーか?パリ・オペラ座か?)が飛び交う中ホールバーグは話を伏せ、2011年9月20日の正式発表を待った。


今もABTのプリンシパルであるホールバーグは、次は何か?という彼自身の問いに対する答えを見つけたのである。「以前は何も知らずに勝手に決めつけていたこの新しい世界が目の前に開けたんだ。自分の経験は自分で作っていくものとようやく気付いたんです」とホールバーグ。


異質な事は確かだ。ホールバーグはボリショイのダンサーとして根本から順応しなければならなかった。「テクニックは非常に大きい。ボリショイという言葉自体、大きいという意味だからね。大きなステージを満たすために、自分の動きを変えなくてはならない」。ボリショイはまた、誇張されたジャンプのスタイルを好む。より長いラインに見せるためにヒップは開かれ、0.1秒でも滞空時間が長く見せるよう空中でポジションを保つ。

ポール・ド・ブラ?これも変えられた。「僕は通常こうするんだけど」言って彼はビーチボールを抱えるような完璧なラウンド・シェイプを作って見せた。「ボリショイではどちらかというとラインを開くという感じかな」と、楕円形に腕を伸ばして見せる。「より開かれているというか、要するにより大きい。僕はボリショイから出来るだけ多くのテクニックを学びたいから、こうした違いもすべてオープンに受け入れているんだ」。

Hallberg has refused to allow the steep rake of the Bolshoi stage to throw him, although, because of his hyperextended legs, he needs to keep his weight over his toes to adjust. “I’ve never experienced such calf pain in my life,” he says. “I was using my lower calves to support my weight. You don’t do that on a flat floor, but I finally got used to it.”

During the global simulcast of the Bolshoi’s Sleeping Beauty on November 20 with Svetlana Zakharova (the telecast was essential to his contract with the Bolshoi), he suffered a sprained ankle at the beginning of the performance.

“I knew I had messed it up, but I didn’t let myself concentrate on how bad it was until the curtain went down,” he says stoically. “I had no choice. I had to keep going. I couldn’t fail.” Update: The injury has healed nicely.

しかしボリショイのステージの急な傾斜はかなりこたえた模様。「あんなに激しい痛みをふくらはぎに感じたのは初めてだった。ふくらはぎの下部で自分の体重を支えるのはフラットな床ではやらないこと。最終的には慣れたけれどね」。
11月20日に全世界へ生中継されたボリショイでのスヴェトラナ・ザハロワとの「眠れる森の美女」(テレビ放送は彼の契約の要であった)で、ホールバーグは冒頭に足首を挫いてしまった。


「やってしまったと気付いたけれど、カーテンが降りるまで決して悪い方へ考えないようにした。踊り続け、成功する以外の選択肢はなかった」とストイックに語る。その怪我は誰にも気付かれることはなかった。


Hallberg’s coach—the Bolshoi traditionally assigns them individually to principals—is Alexander Vetrov, a Bolshoi alumnus who spent part of his performing career in the U.S. and deeply plumbs the Bolshoi method. “He is in every rehearsal I do,” says Hallberg. “He has really offered moral support. That’s what I’ve needed for a long time—a really great coach, someone to explain all that to me.” Vetrov also teaches the company class that Hallberg regularly attends. (There are eight company classes a day to accommodate the 220 dancers of the Bolshoi, compared to around 90 dancers at ABT.)

Nonetheless, Hallberg feels that his early “very strict, very solid” Russian-based training with Kee-Juan Han (now director of The Washington School of Ballet) in Phoenix provided a foundation for his Bolshoi path. “I think all of that work ethic was instilled in me. Now, with the realization that I’m going to the Bolshoi, I know it’s going to take a lot of work,” he says. “You don’t go over there and say, ‘I do it this way, I do it that way.’ And that’s what fires me up and really interests me: finding a new way of doing something or figuring something out.”

彼の専属コーチ(ボリショイではプリンシパルにはコーチをつけるのが仕来たり)アレクサンダー・ヴェトロフはボリショイ出身でしかもアメリカでも踊った経験があり、ボリショイ・メソッドに精通している。「彼は僕の出る全てのレッスンに出る。そして精神面でのサポートもしてくれている。彼のような真に優れたコーチ、全てを
説明してくれる人をずっと必要としていたんだ」。ヴェトロフはホールバーグも参加するカンパニークラスを教えている(ABTの約90人に対しボリショイでは220人のダンサーのため、日に8つのカンパニークラスが開かれている)。

ホールバーグはまだフェニックスに居た若い頃Kee-Juan Han(現Washington school of Ballet監督)による"厳格でしっかりとした"ロシア流のトレーニングが彼のボリショイで歩む道の基礎をなしているという。「あの頃ダンサーとしての倫理が僕の中に形成されたと思う。これからボリショイに入団するにあたって、たくさん課題が待ち受けている。あっちへ行って、"自分のやり方はこうこうです"では済まないからね。まさにこれが僕を焚きつけるものなんだ。何かの新しいやり方や、全く新たなものを見いだすこと」。
The royal treatment of the Bolshoi principal dancers, however, has disconcerted Hallberg more than anything. His makeup is done for him. Any costume alterations are executed tout de suite. The company instantly provided him with a flat. Rehearsals generally last no longer than three hours daily, focusing on one ballet at a time, versus ABT’s packed rehearsal schedule. Even when he has requested more rehearsal time in a day, he has faced reluctance from management.

“In America, as a principal dancer you are forced to take it upon yourself—it’s the American way,” he says. “You are ambitious and humble. In Russia, they kind of baby you, and I have a hard time with that.” Nonetheless, he notes that the concentration on fine-tuning one role at a time is refreshing. “When you are preparing four or five different ballets, you can’t give it 100 percent all the time.”

Filin continually picks Hallberg’s brain about choosing new repertoire: “He says, ‘Who do you want to work with? Tell me!’ ” says Hallberg, who is accustomed to American directors dictating repertoire. “I’m just not used to this, but I’m here to take advantage of it. I want to bring in certain choreographers and possibly co-productions with ABT.”

しかしながらボリショイのプリンシパルダンサーに対するチヤホヤぶりにはホールバーグも当惑した。彼の為のメイクアップがされ、衣装の変更も直ちに行われたし、住居もすぐさま充てがわれた。リハのスケジュールがタイトなABTに対し、ボリショイでのリハーサルはひとつの演目に集中して行われ、日に3時間以上続くことはない。ホールバーグがそれ以上の時間を希望しても、経営陣の反応は意欲的でない。

アメリカではプリンシパルダンサーは義務を追います。野心的かつ謙虚なのです。ロシアでは、子供扱いするというか、それは僕にとって辛かった」。しかしひとつの役のブラッシュアップに集中出来るのは新鮮だと言う。「4つか5つの作品を同時に準備していると、常にそれぞれに100%かけるのは不可能です」。


フィーリンはいつも、新しいレパートリーを選ぶのにホールバーグの意見を聞く。「誰と仕事をしてみたいか言ってみて」と。レパートリー選択においては監督が絶対権利を持つのがアメリカ式。「単にこういう扱いに慣れていないだけなんだ。でもこの機会を活かすべくしてここに居るわけだから、ある振付け家を取り入れたいし、ABTとの共同制作もやってみたい」。


The response to Hallberg’s unexpected career move from his American colleagues has been mixed. “Subliminally—I’m not stupid—I know who is excited about it and who’s not,” he says. “But everyone has remained pretty supportive. ABT’s my home. I have true friends there. If anything, it has kind of challenged their path or what they want out of their experience.”

In Moscow, the Bolshoi dancers seem polite to him, but opaque. “I find Russians are sort of hard to get through to,” he admits. “I’ve noticed the dancers are very inquisitive and very curious. I do feel them watching. I feel like they are interested to see how I work, how I dance. I definitely had to prove myself.”

Filin says Hallberg has already found his place in the company. “The Russian public and press have received David with great interest and, I would say, love,” he says. “I think that his Russian fan club is already underway.”

ホールバーグ移籍に対するABTの仲間たちの反応は様々だった。「僕もバカじゃないから、誰がハッピーで誰がそうじゃないかくらい分かる。でも皆がかなり支援的だったし、ABTは僕のホームです。本当の友達もいる」。


ボリショイのダンサーは皆きわめて礼儀正しいように見えるが、あけすけではない。「ロシア人は打ち解けにくいと思う」とホールバーグも認める。「彼らは詮索好きで好奇心旺盛。彼らの視線を感じるし、僕がどう働きどう踊るのか知りたがっているんだ。必ず自分の力を証明してみせなければ」。

フィーリンによればホールバーグは既にカンパニー内で自分の居場所を見つけたという。「ロシアの大衆とプレスはホールバーグを大いなる関心と、そして愛をもって迎えた。彼のロシアでのファンクラブはもう形成されつつあるだろうね」。


Of course, Osipova, whom Hallberg befriended and hoped to partner (although they don’t speak a common language), made her own headlines when she and Ivan Vasiliev were plucked from the Bolshoi by banana tycoon Vladimir Kekhman and his Mikhailovsky Ballet. Partnering Osipova had been a consideration in Hallberg’s signing with the Bolshoi. (Svetlana Zakharova remains his primary partner.)


Left: Hallberg and Natalia Osipova in ABT’s Romeo and Juliet. Photo by Gene Schiavone, Courtesy ABT. Right: With Zakharova in the Bolshoi’s Sleeping Beauty. Photo by Damir Yusupov, Courtesy Bolshoi.

“She and Ivan were this energetic force of the Bolshoi, redefining standards,” says Hallberg. “It was disappointing for me because we wouldn’t be a part of it together.” Still, he adds, “I hope they have the success that they want.” With Osipova, he will still have a partnership at ABT and elsewhere.


Has Kekhman contacted Hallberg? “He definitely has announced to the press he’ll snatch me up,” says Hallberg with one of his unexpectedly wicked smiles. “He hasn’t made a proposal yet. By the time we go to press maybe this will change.”

もちろん、ホールバーグが(同じ言語は話せないものの)踊りたいと願うオシポワはイワン・ワシーリエフと共にバナナ王ウラジミール・ケフマンに引き抜かれ、ミハイロフスキーへ。
オシポワとのパートナーシップはホールバーグがボリショイとの契約にサインした際の考慮に含まれていたのだが。(彼のメインパートナーはザハロワであることに変わりはない)


「彼女とイワンはボリショイの武器であり、レベルを押し上げていた。僕にとっては同じバレエ団の一員となれないのは残念だけれど、彼らが望む成功を手にすることを祈る」。オシポワとは、ABTや他でもパートナーとして組み続けることになる。


ケフマンはホールバーグに連絡を取ったのか?「彼はプレスに僕を誘拐すると宣言していたよ」といたすらっぽく笑う。「まだ提案を受けてないけど、どうなるかな」


When Hallberg was a teenager, he had studied at the Paris Opéra Ballet School and had a famously difficult experience. Was he concerned about déjà vu? “I’m again putting myself out of my comfort zone,” he says. “I know no one. I don’t speak the language. It’s a completely different technique than I am used to.” But he realized what the Paris Opéra experience had taught him and, as an adult, is prepared for this challenge.

For ABT’s spring season, Hallberg is cast in the classics, in addition to Onegin, The Dream, Apollo, The Bright Stream, and Ratmansky’s new Firebird. In May, he will appear in the Bolshoi company premiere of Balanchine’s Jewels, dancing “Diamonds.” “It’s so fascinating having an American dancing Balanchine in Russia,” he says. (And in August, he continues his curiosity quest by appearing with experimental choreographer Jonah Bokaer at Jacob’s Pillow.)

Of bouncing between New York and Moscow, Hallberg says, “I feel like I am living kind of a double life.” He’s tied to New York (“It’s such a beating heart”), but he’s also a foreigner in Russia whose life is restricted. “I work my ass off, then I go home and rest. I am definitely seeing things as an outsider.”

How does he feel about representing Americans? “I’m definitely aware of it,” he says. “I’m in it for my own reasons. And I’m also in it because I hope in a small way I can make a contribution.” Or maybe even in a big—as in Bolshoi—way.

ホールバーグは10代のころパリ・オペラ座のバレエ学校で学んだ際、非常に困難な時を過ごした。今回も同じ辛い経験が待っていると?「僕は再び自分が快適な居場所の外に身を置こうとしてる。誰も知り合いは居ない、言葉も喋れない、彼らのバレエは僕の知るテクニックと全く異なる」。しかし彼はパリ・オペラ座から何を学んだのか分かっているし、成熟した大人として今回の挑戦に備えている。


ABTのスプリング・シーズンでホールバーグは「オネーギン」「ザ・ドリーム」「アポロ」「ザ・ブライト・ストリーム」などクラシック演目と、ラトマンスキーの新作「Firebird」に出演。
5月にボリショイ初演のバランシン作「Jewels」のダイヤモンドを踊る。「アメリカ人がバランシンをロシアで踊るなんて素晴らしい」とホールバーグ。(8月には新鋭振付家Jonah Bokaerの作品をJacob's Pillowで踊る)


NYとモスクワを行ったり来たりの生活は「二重生活のよう」とホールバーグ。「脈打つ心臓のよう」なNYに基盤がありつつ、つつましい生活を送るロシアでは異国人。「仕事に専念し、あとは家に帰って休む。僕は外部者として物を見ています」
アメリカを代表する気分は?「その自覚はものすごくあります。僕は自分の為にこの道を選んだけれど、少し何かに貢献出来ればと思っています」。


Joseph Carman is a senior contributing editor of Dance Magazine.


Where to See Him (partial listing)
At the Bolshoi, Moscow: “Diamonds” in Jewels, May 7 and 11
At the Met with ABT: Giselle, May 19 • Bayadère, May 26 • The Bright Stream, May 29 and June 1 • Onegin, June 5 and June 9 matinee • Apollo, June 11 • Romeo and Juliet, June 18 • The Dream, June 23 • Swan Lake, June 26 and 29 • Corsaire, July 3
At Jacob’s Pillow: The Pillow Gala, June 16 • With Jonah Bokaer, Aug. 1–5
In Buenos Aires: Sleeping Beauty with Gillian Murphy at the Teatro Colon, Aug. 10 and 12

2012年6月23日土曜日

シルヴィ・ギエム”マドモワゼル・ノン”

皆様おはようございます
本日イタリア時間の6/22夜、ヴェネツィアにて、シルヴィ・ギエムの6000 miles away!マッシモ・ムッルと組んで「Rearray」が上演されます。(http://i-diari-di-stella.blogspot.jp/2012/06/6000-miles-away.html)
というわけでStellaはマッシモに応援テレパシー送ります。。。

今日のテーマはシルヴィ・ギエム!
またまたイタリアの新聞Corriere della seraの記事のご紹介します。

わたくし、Stellaもバレエに微塵こくらいの興味も無かったはるか昔、「シルヴィ・ギエム」の名を知ったのは、どこかの雑誌で「マドモワゼル・ノン」の異名を取る人物として一般誌に書かれていた記事を読んだときでした。
並外れたアクロバティックなパフォーマンス、チュチュやトゥシューズなどクラシックバレエに付き物とされていたステレオタイプを拒否することなどで物議を醸す人物のイメージでしたが、ちゃんと知ってみると人道家であたたかくて知性のある素晴らしいアーティストですね。

まずはシルヴィのインタビュー動画をご覧ください。
すんげぇフランス語訛り強い・・・


こちらはマッツ・エックのインタビュー。
Bye(Ajö)についてちょこっと語った1分未満の短いビデオです。


シルヴィはシンガポールで2011年10月7~16日におこなわれた【da:ns festival】なるものに出演し、6000 miles awayとTalk with Sylvieというイベントがあったみたいです。
残念ながら(残念って、めちゃ私的な見方ですが)この時のパートナーはマッシモ・ムッルではなくニコラ・ル・リッシュでした。Hope Japan tourと時期が近いからひょっとしてマッシモだったのかなーなんて一瞬期待したのに。

詳細はこちらです。今年も10月にあるみたいですが、演目など詳細はまだアップされておらず。
http://www.dansfestival.com/2011/


さて、本題。

【Corriere dela seraの記事内容】
なぜシルヴィ・ギエムはいまだに「マドモワゼル・ノン」なのか。


"物理の法則に抗い、ダンサーのフォームをリ・デザインした"として、明日ヴェニスにおいてゴールデン・ライオン賞を授与されるシルヴィ・ギエム。
Corriere sella seraのValeria Crippaがインタビューした。


「水の気まぐれな流れのままに浮き沈みするコルクのような自分で終わっていたかもしれないけれど、私は自分の人生の舵を取り、大海の嵐の中に漕ぎ出した。
ルドルフ・ヌレエフが19歳の私をパリ・オペラ座のエトワールに任命した時、多くのダンサーに取ってはそれが最高の憧れであったかもしれないけれど、私にとってそれは今も私が生きているこの夢の始まりでしかなかった」。

なんてかっこいいの!シビれるぅ~

「自分自身が満足出来る限り踊り続け、その後は他の事をするでしょう。環境保護団体に献身するとか、犬の為のホームをオープンするとか。まだ誰にもわからないわ!」


彼女のニックネーム"マドモワゼル・ノン"は"ムッシュー・ノン"(ヌレエフ)に因んで英国のプレスが付けたもの。
「ヌレエフは非妥協的な人で、彼から多くを学びました。安全で快適すぎると芸術が死んでしまう。危機の訪れた時こそ、クリエイティビティが最も豊かになるのです。ダンスがベストの状態にあるためには、高いレベルの必要性と厳格さを要します。


映画「Brazil」のように、今日では多くの劇場が役人の手中にある。例えばスカラ座。2011年に「マノン」を踊ったとき公言したの。ある条件でならまたスカラに戻ってもいい、と…その後何も返事がないけれど。幸いイタリアは素晴らしい国で、何もかも悪い方へ向かっていたのが、奇跡的に良い方向へ向かっているみたい。これもあの国が好きな理由の一つね」。

この記事を読んで今頃スカラ座の芸術監督Stéphane Lissnerは契約書をしたためていることでしょう!

スカラ座にシルヴィが出るなら・・・・もちろんパートナーはマッシモ!!!でしょう!!
そうなったらなんて嬉しい


Stellaはその日を夢見て…♥
毎日頑張ろうっと。

あとの部分はマッシモに関係ないから割愛。⇦超勝手

【原文】
Sylive Guillem will be in Venice tomorrow to receive from the Biennale  the Leone d’oro  (Golden Lion) for “having redesigned the form of the dancer, defying the laws of physics”.
Valeria Crippa  of the Corriere della Sera talked to her about aspects of her career.
I could have ended up like a cork bobbing along on the water at the whim of the currents. Instead I preferred to take the helm and steer my life into the open sea and its storms.
When Nureyev nominated me étoile at the Paris Opera when I was 19 it would have been, for many dancers, the maximum aspiration, but not for me. It was only the beginning of a dream that I’m still living through.
I will continue to dance as long as it gives me satisfaction, then I’ll move on to something else. I’ll devote myself to environmental groups or open a dogs’ home. Who knows!
Her sobriquet ‘Mademoiselle Non’, which the British press quickly gave her on learning of her infamous temperament, was inspired by ‘Monsieur Non’ himself:
Nureyev was intransigent and I learnt a lot from him. Too much security and comfort is the death of art, it’s better to stay constantly on the precipice. The most fertile periods of creativity are in times of crisis. To be at its best, dance must have a high level of necessity, of severity.
Today I see theatres in the hands of bureaucrats, like in the film Brazil: La Scala, for example. I said publicly the last time I was in Milan for Manon in 2011, that I would return, but on certain conditions… I’ve heard nothing further from them. Fortunately, Italy is an incredible country, it seems that everything is going badly then, miraculously, things seem to turn around. I love it also for this.
After reading that, La Scala’s Artistic Director Stéphane Lissner is surely drawing up a contract right now! Guillem doesn’t worry; after having largely left the classical repertory her modern choreographic ventures have largely been largely overseen by Sadler’s Wells Theatre in her old home, London (she is now based in Switzerland).
I leave the organisation to Sadler’s Wells in London. But I don’t think about marketing, and I don’t dance to be recognised in the street: dance alone must be enough.
While opening a dogs’ home may never happen, she is already involved in various causes.
I’ve given my backing to Sea Shepherd, a marine wildlife conservation organization, to fight against whale hunting. Non-profit organisations today fill the role that politics has turned its back on. Even if it is a Utopia from Don Quixote I like to devote my time to them, with the same commitment that I have for my dance.


fin.

2012年6月13日水曜日

マッシモ・ムッル、ベンチ入り?

皆様、グッモーニン!!
「今週はマッシモ記事を紹介する」と宣言したものの、仕事は引き続きハイパー忙し、今日も7:50からブレックファースト・ミーティングだかに呼ばれていい迷惑。こんな真面目に働いていいのだろうか。

果たして誰が楽しみにしてくれているのかイマイチわからないStellaブログですが、律儀に約束守ってせっせと通勤電車で綴っております。

今回はとても気になっていたことを取り上げた記事をやっと見つけたのでシェアしたいと思います。時間の都合上ざっくりとした内容のご紹介になりますがご容赦下さい。

これまでも何度かマッシモ記事、バレエ記事を紹介してきました、イタリアの新聞≪Corriere della sera≫で2012/4/29に掲載されています。

タイトルが何ともプロボカティブというか、ファンは冷たい手で心臓掴まれた気分です。"マッシモ・ムッル、ベンチ入りか?イエス!…誰もが否定するけれど。"

まあ、言い得て妙ですね。まさにそういった状況なのでしょう。
先日お目にかかることの出来た本人は、別にアンハッピーな風でもなく、落ち着いていたので、大丈夫と信じたい。

http://archiviostorico.corriere.it/2012/aprile/28/Massimo_Murru_panchina_tutti_negano_co_7_120428070.shtml

【概要】
ボッレ、ザハロワと並びエトワールであるマッシモ・ムッルは来シーズンで説明のつかない"ベンチ入り"となった。
わずか数日前発表になった2012-2013プログラムからその名が消えたが、今Makhar Vasiev監督の口から2013年2月のローラン・プティ版「ノートルダム・ド・パリ」でカジモド役を演じることが発表された。エトワールのランクにある者にとってただ一度の登板など取るに足らない。
これは彼とスカラ座経営陣との溝の広がりを示している。Vasievがそれを最小限に留めているにしても。曰く「別に秘密などありません。皆で行った決断です」。
これに答えムッル「すべてを犠牲にしてまでスカラ座の舞台に居たいとは思わない。外でシルヴィ・ギエムと仕事をしている方が良い」。

そんなわけでファンとしては非常に心配!ヽ(´o`;
マッシモに心から幸運を祈ります。

【原文】
Massimo Murru in panchina? Sì, ma tutti lo negano

S i accende il caso Murru, ieri a margine della presentazione del Dittico. Il terzo ballerino étoile della Scala insieme a Bolle e alla Zakharova finisce inspiegabilmente in panchina per la prossima stagione: sparito fino a pochi giorni fa dal programma del 2012-' 13, il suo nome viene ora annunciato del direttore del ballo Makhar Vaziev nel «Notre Dame de Paris» di Roland Petit in cui Massimo Murru, 40 anni, tornerà in febbraio a interpretare il gobbo Quasimodo, ruolo da lui affrontato con sensibilità magistrale. E sarà l' unica, fugace apparizione della stagione, un' inezia per chi ricopre l' ambito rango di étoile. È un segnale evidente delle crescenti divergenze tra l' odierna direzione e l' étoile milanese, anche se Vaziev minimizza: «Non abbiamo segreti. È una decisione comune» e Murru ribatte: «Non voglio esserci a tutti i costi. Ballo solo se ho qualcosa da dire. Preferisco danzare fuori dalla Scala con Sylvie Guillem. Andremo anche in Cina». RIPRODUZIONE RISERVATA

Crippa Valeria

Pagina 15
(28 aprile 2012) - Corriere della Sera

fin.

2012年4月17日火曜日

コジョカル、AERAの表紙に。

アリーナ・コジョカルがアエラの表紙に・・・!!


英国ロイヤルのプリンシパル、アリーナ・コジョカルが昨日4/16発売の「アエラ」の表紙になっています。
得意の小首をかしげた上目遣いでもうキューンな感じですね、男だったらこういうの好きなんだろうなあ。

「表紙の人」として巻頭にショートインタビューが載るのがお決まりなのですが、内容を簡単にまとめますと:
先日の「アリーナ・コジョカル・ドリーム・プロジェクト」では企画運営まで行なって大変だったがいい経験になった。
両親はおてんばな彼女に器械体操をやらせたが学校が1年で閉校になりバレエを始めた。
ロシアに留学するときはロシア語がわからず、英国に留学するときは英語が話せず、苦労したが「稽古場と舞台があれば大丈夫。バレエは全世界共通の言語ですから」と健気な一言。
首の故障から回復して以来、踊れる喜びを噛み締めていること。
くつろぐときは愛犬との散歩や音楽(ジャズ、クラシック他)を聞くこと。レディー・ガガやリアーナが大好き(なーんだStellaと一緒じゃん)で、以前ピカソとバレエのコラボがあったように、何かできたら良いと思っている・・・

というようなことです。
「アエラ」読者でこれだけを読んで彼女のすごさがわかる人なんて居ないだろうなあ。
やっぱり舞台を観たことある人じゃないとこの記事読んでも猫に小判ですね。

ポルーニンが1月24日にロイヤルを退団したため、英国の就労ビザが即切れて、直後の「ドリームプロジェクト」公演のために日本に来日できるのか、また来日したあと英国に再入国できるのかなど、確認作業に追われて大変だったらしい。
ポルーニン、迷惑かけてんじゃん・・・は置いといて、あの素晴らしい舞台を見られたのはひとえにコジョカルやコボー(ちょっと株上昇)のお陰なのですね。多くのファンがポルーニンが来日出来るのか、ハラハラしたと思いますが、予定通り出演出来たのは本人より多分周りの尽力のお陰…
改めてあの感動を与えてくれたコジョカルと出演者の皆様に感謝です。

ところで4月15日まで演劇や舞台の「ゴールデン・マスク・フェスティバル」が開催されていました。
http://eng.goldenmask.ru/gm.php?id=99

昨日受賞者が決まったみたいで、部分的に把握していますが、個人的にはマウロ・ビゴンゼッティのベスト・コリオグラファーとしての受賞が嬉しい。受賞作「CINQUE」ってどんなだろう、見てみたいですねー。

Stellaが初めて見たビゴンゼッティ作品は、マッシモ・ムッル主演の「メディテラネア」2008年版。
2月末にNYでおこなわれたKings of the Danceについて、ちょっと前のブログで書かせてもらいました。
ホールバーグ、ワシーリエフ、サラファーノフ、マトヴィエンコ、コテ、ゴメスというヨダレが出そうなメンツでおこなわれたこの公演の振り付けを担当したのがビゴンゼッティ。

Stellaはこれから行くイタリア(・∀・)ウフフ( ´∀`)ウフフ(’-’*)で、コンテンポラリーの「ロミオとジュリエット」を見ます。
楽しみじゃ。

Golden Mask Awardsでノミネートされた人々(バレエ関連のみ抜粋)

BALLET/BEST PRODUCTION
  • CHROMA, Bolshoi Theatre, Moscow
  • CINQUE, Bolshoi Theatre, Moscow
  • DUENDE, Mikhailovsky Theatre, St. Petersburg
  • HERMAN SCHMERMAN, Bolshoi Theatre, Moscow
  • SEEING THE MUSIC, Opera and Ballet Theatre, Perm
  • POR VOS MUERO, Stanislavsky and Nemirovich-Danchenko Musical Theatre, Moscow
  • CARMEN, Opera and Ballet Theatre, Novosibirsk
  • LE PARC, Mariinsky Theatre, St. Petersburg
  • PRELUDE, Mikhailovsky Theatre, St. Petersburg
  • THE LITTLE MERMAID, Stanislavsky and Nemirovich-Danchenko Musical Theatre, Moscow
  • ILLUSIONS PERDUES, Bolshoi Theatre, Moscow

    CONTEMPORARY DANCE/BEST PRODUCTION
  • KREIS, Smirnov Eccentric Ballet, Yekaterinburg
  • PUNTO DI FUGA, Dialogue Dance, Kostroma and CIE Zerogrammi, Italy

    BALLET/BEST CONDUCTOR
  • Alexander VEDERNIKOV, ILLUSIONS PERDUES, Bolshoi Theatre, Moscow
  • Igor DRONOV, CHROMA, Bolshoi Theatre, Moscow
  • Felix KOROBOV, THE LITTLE MERMAID, Stanislavsky and Nemirovich-Danchenko Musical Theatre, Moscow

    BALLET/CONTEMPORARY DANCE – BEST BALLETMASTER/BEST CHOREOGRAPHER
  • (受賞)Mauro BIGONZETTI, CINQUE, Bolshoi Theatre, Moscow
  • Ivan YEVSTEGNEEV, Yevgeny KULAGIN,
  • Stefano MACCOTTA, Emanuel SHANNAMEA PUNTO DI FUGA, Dialogue Dance, Kostroma and CIE Zerogrammi, Italy
  • Nacho DUATO, PRELUDE - Mikhailovsky Theatre, St. Petersburg
  • Douglas LEE, SEEING THE MUSIC (SOUVENIR) - Opera and Ballet Theatre, Perm
  • Alexei RATMANSKY, ILLUSIONS PERDUES, Bolshoi Theatre, Moscow

    BALLET/CONTEMPORARY DANCE/BEST ACTRESS
  • Diana VISHNYOVA, Leading dancer – LE PARC, Mariinsky Theatre, St. Petersburg
  • Anna ZHAROVA, Carmen – CARMEN, Opera and Ballet Theatre, Novosibirsk
  • Yekaterina KRYSANOVA, Florine - ILLUSIONS PERDUES, Bolshoi Theatre, Moscow
  • Svetlana LUNKINA, Leading dancer - CHROMA, Bolshoi Theatre, Moscow
  • Natalia MOISEEVA, Leading dancer SOUVENIR - SEEING THE MUSIC, Opera and Ballet Theatre, Perm
  • Anna OKUNEVA, Leading dancer - HERMAN SCHMERMAN, Bolshoi Theatre, Moscow
  • Natalia OSIPOVA, Coralie - ILLUSIONS PERDUES, Bolshoi Theatre, Moscow
  • Maria SEMENYACHENKO, Henrietta - THE LITTLE MERMAID, Stanislavsky and Nemirovich-Danchenko Musical Theatre, Moscow
  • (受賞)Anna KHAMZINA, Little Mermaid – THE LITTLE MERMAID, Stanislavsky and Nemirovich-Danchenko Musical Theatre, Moscow

    BALLET/CONTEMPORARY DANCE/BEST ACTOR
  • Igor ZELENSKY, Don Jose - CARMEN, Opera and Ballet Theatre, Novosibirsk
  • Dmitry ROMANENKO, Poet - THE LITTLE MERMAID, Stanislavsky and Nemirovich-Danchenko Musical Theatre, Moscow
  • (受賞)Denis SAVIN, Leading dancer - HERMAN SCHMERMAN, Bolshoi Theatre, Moscow
  • ヴィシニョーワ、オシポワやルンキナがノミネートされてるのに、ザハロワとかの名前が見えないのは意外でした。とっくの昔(1999年)に取ってるから?
    バレエ素人のStellaは残念ながら受賞者の男女お二人、アンナ・カムジナとデニス・サヴィン(読み方さえ定かでない)を知りませんー。

    fin.

    2012年4月5日木曜日

    ホールバーグ 移籍決断の裏側 (2)

    ディヴィッド・ホールバーグのボリショイへの移籍に関して多くの記事が出ていますが、こちらHuffington Postの英文記事を訳したものです。

    (続き)

    http://www.huffingtonpost.com/mobileweb/2011/11/03/david-hallberg-bolshoi_n_1073380.html

    ホールバーグの家族は、彼が他でバレエを学ぶ機会を提供されても、息子を家につなぎ留めていた。
    「デイヴィッド自身はもう準備は出来ていると感じていたけれど、私達はまだだと思ったの」と母は振り返る。
    人間的に成熟し、ダンスのレベルも上達する時を待っていたのだ。
    「でも正直、息子がどれほどその道に長けていたか、私達は正確に解っていなかった」


    それでも17歳の時、両親の許しを得てパリ・オペラ座バレエ学校のオーディションに応募。ビデオを送った2週間後、フランス語のレターと招待状が届いた。


    ホールバーグは孤独な1年をパリで過ごした。
    言葉も分からず、友達は打ち解けにくかった。家には惨めなハガキが何通も届いた。
    だからデイヴィッドがクリスマス休暇で家に戻って来た時、家族の皆から"無理して戻る必要はない"と言ったが、彼は「もちろん戻るに決まってるさ!」と憤慨した。そうしたら「じゃあ、もう湿っぽいハガキは送らないで!」と言い返されたそうな。笑

    パリオペ学校の後は、物事は早いスピードで進んだ。
    ABTは彼に、ジュニアチーム、メインチーム見習い、コール・ドと、次々とポストを与えた。

    ホールバーグ本人が自覚するように、それでも彼は急いでいた。
    「僕は最初からプリンシパルになりたかったし、それを言外にすることを厭わなかった」。屈辱感を味わうこともあった。


    ABTのマッキンゼー監督は言う。
    「デイヴィッドは非常に才能に恵まれ、またとても頭が良かった。しかし、準備が整う前に進めば、ただの"ポテンシャルがあった(のに伸びきれなかった)人"になってしまう」


    コール・ドで3年、ソリストとして1年ののち、2005年にプリンシパルに昇格。彼のエレガントでクリーンなライン、王子的な物腰、浮力を伴ったかのような軽快なジャンプに磨きがかかり、評価も高まっていった。

    デイヴィッドは「ジゼル」のアルブレヒトや、「白鳥の湖」のジークフリート王子などのクラシックの役にぴったりだ。多くのバレリーナと組んだが、オシポワがボリショイ(注:オシポワはその後デイヴィッドとほぼすれ違いでマリインスキーに移籍)からやって来た時には特別な何かが起こったと皆信じている。
    Osipova and Halleberg in Giselle

    「あれが彼に火をつけてしまった」とマッキンゼーも同意する。

    このダークヘアーの、小柄で驚くほど身体能力の高い、激しく感情的なバレリーナはホールバーグにぴったりのパートナーのように見える。
    2人は記憶に残る「ジゼル」を演じた。しかし、昨年7月の胸の潰れるような「ロミオとジュリエット」には、誰も心の準備が出来ていなかった。
    しかもそれは、オシポワのジュリエット初役だった。

    舞台は2人の恋人の死で幕を閉じる。ジュリエットは胸を刺して墓石の上に倒れ、ロミオは毒に命を奪われ床に横たわっている。
    カーテンコールに起き上がった時、彼らは涙に打ち震えているように見えた。ステージメイクが顔をつたい流れ落ちていた。


    「僕たちはむせび泣いていました」とホールバーグは今告白する。
    「僕たちはある意味正反対です。彼女の持つ炎と、僕の抒情的な柔らかさと」。



    その9カ月ほど後、ホールバーグはボリショイでゲスト出演していた。
    ある日芸術監督のセルゲイ・フィーリンからランチに誘われ、そこで仕事のオファーを受けた。

    「僕は非常に驚いて、とにかくありとあらゆる質問をしました」

    デイヴィッドはマッキンゼーに相談した。
    厄介なスケジューリング問題を除けば、彼は大賛成だった。

    「彼より他に、あちらへ送り込む代表としていい候補などいるだろうか?と考えました。
    潮の流れを逆向きに変える、歴史的な出来事なのです」。

    「デイヴィッドが他からオファーを受けることは想定内だったけれど、驚いたのは、それをしてきたのがボリショイだったということです。。。。あのバレエ団はアメリカより3~4年古い歴史を持っているのですからね!」
    マッキンゼーは言う。
    「そして移籍は非常にうまく行った。フィーリンの行動は勇敢でしたね」
     
    Vail Dance Festival 2009 August
    それからホールバーグは家族と先生に相談し、数か月の間、複数のシナリオを想定して悩んだという。

    そして9月、遂にニュースが公開されると、バレエが一斉に注目を浴びた。
    ホールバーグにはインタビューの要求が殺到し、The Colbert Reportにまで出演することになった。

    *デイヴィッドは「コルバートに一緒に踊ってくれと頼むと思う」と言ったそうですが、実際にとても面白い番組に仕上がっています。
    http://www.colbertnation.com/the-colbert-report-videos/403810/december-07-2011/david-hallberg

    「ロシア人はバレエの見識が深く、それぞれがクラシックバレエとは何かについて意見を持っている。だから僕はダンサーとして誇らしく感じます。そしてこれは、あなたがどこから来ようと、バレエはバレエだという証。
    僕はサウスダコタ生まれで、有名なバレエ学校に行った訳ではないけれど、家族のサポートとこの上ない先生たちに恵まれた。必要なものが全てあったのです」。

    ホールバーグの家族は、ボリショイでの「眠りの森の美女」を観に駆け付ける予定だ。

    「私達が最も嬉しく思っているのは、デイヴィッドが人としてしっかり地に足のついた人間になってくれたことです。この人となりは、今回の移籍によって変わったりしないと思うのです」と母親は語る。

    そして、ハン先生はきっとこう言うだろう。
    デイヴィッドは特別な人間の1人。長く活躍するダンサーとなるだろう、と。

    fin.


    2012年2月27日月曜日

    スティーブン・マックレー

    アリーナ・コジョカル「ドリームプロジェクト」の興奮と感動冷めやらぬ毎日。

    バレエファン歴の浅~いStellaは、今まで見た公演数は少ないけれど、なにせ(同僚Mさんのお陰で)珠玉のセレクション!エヘ

    バレエ団としてはボリショイ、パリオペ、今回の英国ロイヤル、また単体で来日したスター達(ギエム、マラーホフ、リアブコ、そしてムッル)を見てきて、バレエ界のまだ見ぬ財宝達に出会うのが楽しみでしようがない。

    ボリショイの層の厚さとダイナミックさに感心し、しかもボリショイにはザハロワもいるし、ボリショイ断然注目!と思った矢先に、パリオペのうら若き麗人達にクラクラと浮気心が。そして圧倒的な英国ロイヤルの実力の高さとタフさにはホント、ひれ伏して拝みたいくらいである。

    という事で、マッシモ(・ムッル)のことばかり探究してたけど、これまで出会った素敵なダンサー達にまた会いたいから、彼らの事もちょっと勉強しよう。

    まずは今、Stellaの中で1番ホットなロイヤルのプリンシパル、スティーブン・マックレー氏から行ってみよー!

    今回のスティーブンの記事、少し古いけどとてもいい事を語っているのでご紹介したいと思います。

    赤毛に近い髪の色(天然でしょうか)といい、Macから始まる名前といい、とってもオージーな感じがイイですね~

    この記事のお陰で、マックレーが2003にローザンヌ賞を獲得した当時のタップダンス映像を発見!タップでもすごい実力なんですね。
    若いっ!上手い!あなたはすごい!
    http://youtu.be/jaN9-bU-j84


    まずは英国ロイヤル公式サイトより。
    ★スティーブン・マックレー プロフィール★

    シドニーで生まれ、Alegria Dance Studioでヒラリー・カプラン(Hilary Kaplan)からフルタイムの指導を受けたのち、ロイヤルバレエ・スクール(2003–4)で学ぶ。カプラン師事中の2002年にRAD Solo Seal Award、及びAdeline Genée金メダル獲得、2003年にローザンヌ賞受賞。2004年英国ロイヤルバレエ入団、2年でソリストへ昇格、更に3年後にはファースト・ソリスト、その翌年の2009年、入団からわずか6年にしてプリンシパルとなる。

    英国ロイヤルで演じた主な役柄:
    アシュトン作「シンフォニック・バリエーション」のSide Couple、 「ランデヴー」パドトロワ、ウィル・タケット「Mr Bear-Squash-You-All-Flat」の猫、ダウエル作「白鳥の湖」の第一幕のパドトロワとナポリ、ヨハン・コボー版「ラ・シルフィード」のガーン、「ナポリ」ディヴェルティスマン、マクミラン版「マノン」の乞食頭、「うたかたの恋(Mayerling)」のブラットフィッシュ、 クリストファー・ウィールドン作「ポリフォニア」、キリアン「シンフォニエッタ」.ナタリア・マカロワ版「バヤデール」のマグダヴェーヤ、マクミラン版「ロミオとジュリエット」ロミオ、「スケートをする人々(Les Patineurs)」のブルーボーイ、「ピーターラビット」のリスのナトキンなど。

    初演演目:クリストファー・ブルース「3つの歌 – 2つの声」(2005)、アラステア・マリオットのTanglewood (2005) 、「アダムの子供たち」の弟、クリストファー・ウィールドン作品「オマージュ・トゥ・ザ・クィーン」より「Fire」の火の精霊、ウェイン・マクレガー「クロマ」。


    ★マックレー インタビュー★

    デジタル・ダンスマガジンのDance informaより、2009年10月のインタビュー記事。プリンシパル昇格直後、オーストラリアで公演やレッスンを行った模様 (^-^)

    【本文】
    (略)...スティーブン・マックレーはここ最近の夏休みでシドニーに帰り、舞台McDonald’s Challengeとマスタークラスでのレッスンで我々をインスパイアしてくれた。

    プリンシパル昇格おめでとうございます!早い昇進ですね。
    「他のダンサーに比べるとかなり早いけど、比べる相手にもよります。自分ではは長くかかったと感じます。紆余曲折ありで、まっすぐの道のりではありませんでした。そこにたどり着くまで色んな事を乗り越えねばならなかったけれど、それらが早いスピードで過ぎ去ってくれたことは、良かったと思ってます」。

    頂点へ登り詰めるまでの好調時・低調時について教えて下さい。
    「バレエ団に入団すると、また底辺に戻ることになるので、容易ではありません。学校からはトップで卒業するわけですから、こう思うでしょう。"これから先どこへ道が向かっているのか見えないし、遅々として進まない"と。しかしそんな折にチャンスは巡ってくる。たまに誰かが運悪く故障して自分に役が回ってくる事もあるけれど、僕の場合それが少し遅かったのでしょう。日々のクラスで常に自分が可能な限り最良の自分であるようにする事で、役柄に全霊を傾ける事が出来ました。もしあなたがある役の準備をしろと言われたら、常にチャンスに目を光らせながら、ひとつでなく2つ3つと準備してみてください。
    不運にも僕は大きな怪我をしました。左アキレス腱に問題があり、10ヶ月休養していた時は辛かったけれど、幸いに周囲で僕を支えてくれる人々がいました。逆の立場は御免だね、僕は10ヶ月間まるでモンスターだったからね!
    勿論、数々の素晴らしい役柄を舞台で演じたり、他所のバレエ団にゲストとして呼ばれ、優れたバレリーナとガラを踊ったりした時は非常に良い時でした。その間にちょっとした賞を貰ったことも良かった。ローレンス・オリヴィエ賞にノミネートされた事は光栄の極みですね。この賞は最も栄誉あるものの一つで、当時僕はたったの20歳でしたから」。

    怪我と回復について話してください
    「多くを学びますね。人生の見かた、キャリア、体に対する見かたがガラリと変わる。休養に入って7,8ヶ月経つと、実はこれは良い事なんだと悟りました。そんなに長くかかったのが残念だけど、考えがひっくり返りました。"落ち着け、この成功への情熱と欲望を保て、でももう少し大人にならなくちゃダメなんだ"と自分に言い聞かせました。将来のキャリアに対して目を開けることにもつながりました。プリンシパルであるだけでなく、勉強もしているのです」。

    何の勉強ですか?
    「ビジネス・マネジメントとリーダーシップのBA Honours degreeです。アート・マネジメント課程ではなく、一般的なビジネス・デグリーです。ダンスを学び、訓練し舞台で何年も踊るわけですから、舞台から降りた時ただ去るのでは勿体無い。
    このダンスの世界はいかようにも発展でき、様々な方向性があると考えます。自分がもしその一端を担えれば、非常にエキサイティングだと。僕はオーストラリアかロンドン、ヨーロッパで芸術監督になる事を目指しています。このコースを学ぶことで、僕はボードミーティングに参加し、各部署の人間がどんなことを投げかけてくるか理解出来る芸術監督になれる。ビジネス・マインドであることは重要だと考えます。ビジネス・デグリーの知識を持てば、より明確な芸術的選択が 出来る」。

    ダンサーそして役者として試されることについて。
    「それを要約するなら"ロミオ"がぴったりですね。テクニック的には男性にはとても難しく、最も難度の高いバレエの一つで、トップダンサーをして1番困難と言わしめるほど。 多くのバレエでは男性は女性の後ろに立って難しいパートナリングを務め、前に出てひとつか二つソロをやっておしまい。ロミオは常にオン・ステージです。足が吊ってもとにかく続けなくてはならず、パは難しい。パドゥドゥもやはりチャレンジングです。それらに加えて役柄も演じなくてはならない。ウェイン・マクレガーの『クロマ』も挑戦でしたが、演じる事ができてとても光栄でした。この作品はオリヴィエ賞や想像しうるありとあらゆる賞を受賞しました。これによってロイヤルバレエ団の新たな章が始まり、多くの扉が開けたのです。新しい振付家に訓練を受けるのが大好きです。ロイヤルバレエではこんなにも幅広い振付家陣と接点があるのが幸運ですね」。

    「テクニック的要素がある振付が好きです。ステージに上がってみて何かがうまくいかないかもしれないというくらいが良いのです。もし全てがどうなるか完全に分かり切っていたら、どんなにつまらないでしょう。役柄を体現しなければならないのもエキサイティングですね。幕が上がり舞台へ踏み出せばあなたは他の誰かになり、自分の人生からエスケープする。少なくとも3時間のあいだ、何がしかの人物でありながら、終われば家に帰って自分に戻り、カウチに足を乗せられるのです」。

    異なる振付家やスタイルの間でスイッチしていくことについて。
    「タフな時もあります。例えば白鳥の湖の公演中だとすると、僕なら朝ピラティスをしてから白鳥のクラスにのぞみます。その後少しジゼルのリハをして、それからクロマの練習をして(これは極端な例ですが)、その後で制作中の新しいバレエを学びに行くとなると、自分を殺すようなもの。更に最後の白鳥のリハをして、白タイツを取り出し完全なクラシックバレエを踊らなければならない。肉体的にものすごくハードでもありますが、それは挑戦でもあります。ダンサーにとっては重労働だけど、僕たちはそれが大好きなんです。もしそうでなかったら、僕らは皆つまらないと感じるでしょう。 自分のペース配分をする学習をしているに過ぎないのです」。

    オーストラリアでマスタークラスを教えてきましたが、教える仕事は好きですか?
    「僕は初日から驚くほど優れた教師達に恵まれていました。僕の最初の先生Naticha Celioは本当にただ凄くて、彼女のお陰で多分今の僕があるのです。彼女が僕にインスピレーションを与え、その頃存在しなかった今の僕という人間を引き出したのです。そんな素晴らしい教師達に学び、彼らがどれだけのことが出来るのかを見たことで、自分もオーストラリアに戻って同じ事がしたいと思うようになったのです。今はフルタイムでは出来ませんが、このように世界で最も優れたダンサーや振付家と働きながら、故郷に帰ってその情報を伝えないのは非常に強欲ではないですか?それが僕が教えている1番の理由です。ある時僕は子供達に言いました。『もし君たちがあるひとつのパについて自分に何百ものアイディアを投げかけ、たった一つ持ち帰る事が出来たら、それは成功と言うのです』と」。

    マクドナルズ・チャレンジの舞台にプロとして戻ってこれて良かったですか?
    このコンテストでは経験だけでなく、露出も得る事が出来ます。だからかつて僕が2つの奨学金をとりに舞台へ踏み出した時、全てが未知である事に威圧されましたが、今回は自分も楽しみ、オーディエンスを楽しませる事が出来ると分かっていました。勿論プロとしては常により良いパフォーマンスを望むけど、毎分毎分を心から楽しめる舞台に立つのも素敵なこと。僕が演じたソロは英国ロイヤルのレジデント・コレオグラファーであるウェイン・マクレガー によるもの。彼の作品がシドニー、メルボルンでのオーストラリアン・バレエのコンコルド・シーズンの一部を成すのは非常にエキサイティングなこと」。

    スティーブンは今年後半オーストラリアに再び戻り、ゲストとして「眠りの森の美女」のオーストラリアン・バレエと初の舞台が待っている。


    (fin.)

    出典:http://www.danceinforma.com/magazine/2009/10/steven-mcrae/


    2012年2月19日日曜日

    Massimo Murru Interview (Nov. 2000)



     
    練習風景  (アレッサンドラ・フェリ、マッシモ・ムッル)

    ★Stella、浮気疑惑★


    先ごろ、デビッド・ホルバーグ氏(ボリショイのダンサー)について「かっこいい」とコメントしたところ、法務のマドンナにあらぬ疑いをかけられてしまった。

    心外ですわ。

    Stellaは中身(性格)を知らずに画面や舞台見ただけで好きになったりしません。
    今月頭に出逢って気に入ったパリオペのダンサーだって、良い子そうだなって思ったから好きなんです。

    マッシモは中身が素敵。外見も中身も美しいダンサーなんですもの
    ずっとしたためていた今回のご紹介記事でも伺い知ることができます。
    インタビューは長いですが、一番最後の段落、Stellaはものすごく感動してますます好きになりました。

    後悔はありません。謙遜から"ない"と言うのではなく、実際にないのです」。
    「ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。(...)僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。...」



    ところでさ、Stellaがアメリカから送ったマッシモへの愛のチョコ、まーーーーだ届いてないみたい。
    まだミラノ市内にさえも到着してないのよう・・・
    んもー。。。。


    ★マッシモ・ムッル インタビュー、再び★


    久々に翻訳業務(笑)復活の今回はイタリアのバレエ・ファンウェブサイト、Balleto.netより。 
    なんと、11年前!!の記事です。(2000年11月)
    若~~~い頃のマッシモのお宝写真も!笑

    マッシモは1994年にスカラ座のプリンシパルに昇進してから2003年にエトワールとなるまでの間、スカラ座専属ではなく、ゲストという形の契約でスカラとは"付かず離れず"の状態だったようです。
    彼に目をかけていた振付家ローラン・プティは1998年までフランス・マルセイユバレエの監督でしたから、マルセイユでも踊っています。

    その頃のことや、半月板を損傷した頃のことが語られています。


    【インタビュー】

    キャリアにおける重要な出会い

    Elizabetta Terabust & Luigi Bonino
    "Cheek to Cheek" by Roland Petit
    僕がスカラ座バレエ団に入った時のディレクターはッジュゼッペ・カルボーネでした。
    僕のキャリアの上で大きな意味を持つ出会いは3つあります。
    エリザベッタ・テラブスト、ローラン・プティ、カルラ・フラッチとの出会いです。コール・ドとして4シーズンを経た後、エリザベッタ・テラブストの意向で(「マノン」で)プリンシパルダンサーとなったのです。
    (ムッルは1990年スカラ座バレエ学校卒業と同時に同バレエ団入団、1994年にプリンシパルに昇進)


    その頃すでにスカラのプリマバレリーナだったアニタ・マジャーリ*と組んで「マノン」を踊ったりと、彼女と経験を積むことができました。
    すでに経験のあるアーティストとペアを組ませて若いダンサーを舞台デビューさせるのはよくあることです。こうすることでミスキャストになるのを防げるからです。
    アニタは僕にとって学生の頃からの憧れで、彼女がヌレエフなど偉大なダンサーたちと踊るのを観ていました。だから僕の番が来た時、すごく張り切りましたね。



    *Anita Magyari(1959~):ハンガリー出身の元バレリーナ。ブダペスト国立芸術アカデミーでディプロマ取得後、モスクワのボリショイでさらにバレエを学び、モスクワ・オペラ座のソリストとなる。1982年にイタリアへ移住しスカラ座バレエに入団、1986年にプリマバレリーナに昇進。ルドルフ・ヌレエフ、マキシミリアーノ・グエラのような国際的に著名なエトワールと組み80年代(ドン・キホーテ)および90年代(ケネス・マクミラン版「マノン」)のレパートリーで主役を務めた。


    アニタ・マジャーリ、マッシモ・ムッル他による、コンテンポラリー作品 "Tout Satie" by Roland Petit, in Scala

    テラブストが僕に与えた2つ目の機会はローラン・プティのオーディションでした。
    僕はスカラ座のための作品「シェリ」を踊る若者を探していたローランの気に入り、何日かの練習の後カルラ・フラッチにも気に入ってもらえた。
    この作品に取り組んでいる頃、僕はローランとカルラという2つの柱の間に挟まれていました。20歳を過ぎたばかりの僕はプレッシャーで自分が潰れていくような気がしました。でもこの冒険の中に身を投じると、そのうち全てがより自然に感じるようになりました。
    根底にはすでに大人のレアと若いシェリの人物像は既に存在していたので、(役柄を作りあげる作業よりも)むしろそれまで僕の夢の中での存在だった人たちとの連帯感を醸成するための期間でした。



    テラブストとはいつもものすごく気が合って、互いに尊敬もしていました。しかしながら、彼女は僕のディレクターで、そこを発端にしてさらに先へと行かなければいけなかったというか、行くことができたのです。
    カルラとローランとはまた違いました。彼ら二人がこのバレエのストーリーの二本柱となり、レッスン室内では僕たちの間に師弟関係という縛りはなかった。一緒に仕事をし、共同関係を築いてより良いバレエを踊ろうと思うのならば、ハグやキス、愛情表現があって然るべきです。

    
    カルフーニ, ガニオ親子を映画化した
    (原題)comme un rêve(2008)
    

    それから多くのダンサーと踊りました。カルフーニ、アシルムラートワ、フェリ、ジャッフェ*・・・でもテラブスト、フラッチ、プティからもらった経験と教えは僕のキャリアにおいて欠かすことのできない通り道だったと言えるでしょう。
    (マッシモはフラッチとの「シェリ」初演後、カルフーニやアシルムラートワ相手に同演目を踊っている)

    *Dominique Kalfouni(1951~):フランス生まれの元オペラ座ダンサー。プリンシパルダンサーを経ずしてエトワールに昇格した異例の経歴の持ち主。現エトワールのマチュー・ガニオの母。80年代にプティ、バリシニコフと多くの作品を手掛けた。
    Altynai Asylmuratova(1061~):旧ソ連・カザフスタン生まれのバレリーナ。1978年キーロフ(現マリインスキー)バレエ団入団し4年後プリンシパルダンサーとなる。2000年ワガノワ・バレエ学校芸術監督任命と同時に現役引退。
    Sousan Jaffe(1962~):アメリカ出身の元バレエダンサーで、アメリカンバレエシアターの指導者。

    安定したプリンシパルダンサーからゲストアーティストへ。選択ですか、それとも必要性からですか?スカラ座との関係はどう変わりましたか?


    その時期に必要あって選択した決断だと言えましょう。(中略)

    結果的に自分の居る立場がもう信じられなくなり、働く場所を変えた方がいいと確信しました。これは誰に対する非難でもありません。大きなプロジェクトがない時期は舞台の数も前より少なかったし、バレエ団監督も不在でした。
    言い換えれば、新たな出会い・新たな視点が出来るだけ得られるような条件を探していたのです。それに、(ミラノに)居ながらにしてゲスト(ospite residente)という、アーティストとしての新しい形は、他でもないスカラから提案されました。(各シーズンに一定数の舞台への出演保証つきで)
    心の奥では間違いなく僕はスカラ座のバレエダンサーです!スカラに対する僕の批判は僕が現在結んでいる契約とは無関係です。


    ローラン・プティとウィリアム・フォーサイス、両者とも偉大な振付家ですが性格は違うようですね。あなたはそれぞれと作品を作ったわけですが、印象は?

    フォーサイス
    プティは彼の振付上の言語とその繊細な性格という点で自分に近いと感じます。フォーサイスとの出会いはまるで、高さ200メートルの壁を1時間で登るようなものでした。全く新しい経験だったし、またこういう出会いがあってほしい思う。僕が新しいと言うのは、ローランとの間では時には説明する必要がないこともあったけれど、ウィリアムの場合は彼の後を全速力で走ってついていかなくてはならなかった。
    プティとはより長い期間共に仕事をしたのに対し、フォーサイスとはごく短い間、四人のダンサー(デズモンド、グエラ、フェリと自分)ための作品*を振付けた時にスカラで出会いました(3週間足らず)。
    仕事をどうプランするか、またどうやってあらかじめ定めたゴールにたどり着くかは、2人の間でかなり違いの見られるポイントです。
    ローランは自分の小説のプロット、感情、アイディアに基づいて物語を語ります。舞台や照明、単刀直入な衣装の助けを借りて、動きを用いてこれら全てを語るのです。
    ウィリアムは抽象的な動きを基本にスペクタクルを繰り広げます。だからそれを可能にするために、練習の時には彼はストーリーを使い、アイディアを説明し、雰囲気を想像させます。片方のやり方はもう片方の到達点であり、逆もまた真なのです

    *Quartetto「カルテット」はアレッサンドラ・フェリのために作られ、スカラ座で上演されたフォーサイス作品。

    怪我、そしてその後の復活期をどのようにして乗り越えましたか?

    これに関しても常に、全然時間が足りません!特に復活のほうは。僕はスカラ座の団員ではなくゲストという契約でしたからね。
    手術の必要?大変結構!しかし明日はすぐそこなのです!僕の場合は常に故障がタイミング良く訪れてくれたし、深刻な怪我ではなかった。(わずか数年の間隔で両方の膝の半月板を損傷した)
    むしろ怖いのは回復期です。再びプリンシパルとして復帰するのが理想的なゴールです。でもそこからまた松葉杖を突く羽目になるのは乗り気のするものではありません。
    再び痛い思いをするという心理的恐怖よりも、物理的恐怖のほうが障壁となります。まるで体がその動きを避けようとし、その足をめいっぱい伸ばしたくないとか、ジャンプに踏み切りたくないというように。

    僕の場合はいつも、怪我の時は義務感にとらわれずに意識的に自分を鍛えることにしています。例えば「シェリ」で3週間のあいだ怪我をした時、自分を"投げ捨てる"ことに決めました。毎日4時間のピラティス、治療、基礎練習をこない、(半月板の)手術から20日後にそれらの結果がどうか、見ることにしました。
    もしも安静にしていなければすごく大事な舞台も諦めなければならないけれど、最も良い状態でいち早く復帰するためです。


    (中略)

     夢、計画、後悔

    後悔はありません。謙遜から"ない"と言うのではなく、実際にないのです。
    将来の計画はたくさんあります。来年はベルリン・バレエ団と新版「ロミオとジュリエット」、そしてナポリではローラン・プティの作品、またコムナーレ・ディ・フィレンツェとのコラボもあり、もちろんスカラ座でも出演します。
    夢・・・夢に見る以上のものですが、フォーサイス、エック、キリアンなどとのクリエーション。過去に経験したような冒険をくれる特別な人々との出会いを夢見ています。自分の内面がより豊かに、自分が成長出来るような、生産的な経験をできるだけ沢山持ちたい。
    これらはダンサーなら誰しもが持つ夢でしょう。

    ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。ダンスは間違いなくその助けになっています。まずダンスは自らが内面に持つ鏡です。人生では自分を隠すことを覚えますが、望もうと望むまいと、踊れば本当の自分が出てきます。それと自分が好きになれない性格(側面)を直す助けになります。
    僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。でも演目の登場人物になろうとする時、役柄に入り込もうとする時、自分を投げ捨てるのは簡単になります。なぜなら外に出て来るのは僕じゃなくてデグリュやロミオ、シェリだから、何も恥じることはないのですから!こうして僕は自分以外のアイデンティティーを装うアリバイを見つけ、情熱をより豊かにし、態度の修復をするアリバイを見つけたのです。



    【本文】
    I passaggi e gli incontri fondamentali della tua carriera.

    Sono entrato a far parte del corpo di ballo del Teatro alla Scala sotto la direzione di Giuseppe Carbone; i passaggi fondamentali della mia carriera coincidono con tre incontri determinanti: Elisabetta Terabust, Roland Petit, Carla Fracci. Dopo quattro stagioni come ballerino di fila, venni promosso sul campo (ne L'Histoire de Manon) primo ballerino per volontà di Elisabetta Terabust.
    Qui ho approfittato dell'esperienza e disponibilità di Anita Magyari, già prima ballerina dell'ensemble scaligero, in quell'occasione la Manon da affiancare.
    Spesso capitava di far esordire i giovani in coppia con artisti già esperti, non si rischiava quindi di andare allo sbaraglio. Anita è sempre stata un idolo per me, fin da quando ero allievo della scuola: l'avevo vista ballare coi più grandi, Nureyev in testa, e l'emozione che fosse arrivato il mio turno mi diede un forte incentivo.
    La seconda occasione che Terabust mi prospettò fu l'audizione da Roland Petit, in cerca di un giovane per il suo Chéri, creazione pensata per Carla Fracci alla Scala. Piacqui a Roland, e dopo qualche giorno di lavoro anche a Carla Fracci.
    In quell'occasione mi trovai fra due colonne: Roland e Carla.
    Io, poco più che ventenne, mi sentivo schiacciato in quell'atmosfera da un'emozione pressante. Tuttavia mi tuffai in quest'avventura, e tutto diventò sempre più naturale.
    I ruoli della già adulta Lea e del giovane Chéri in fondo già c'erano, si trattava piuttosto di trovare un affiatamento con chi fino ad allora era solo nei miei sogni!
    Con Terabust ad esempio c'è sempre stata una grande intesa, ed un forte e reciproco sentimento di stima: tuttavia lei era il mio direttore, ed oltre quella certa soglia non si doveva o poteva andare; con Carla e Roland fu diverso: sebbene loro siano due pilastri della storia del balletto, in sala non c'erano vincoli istituzionali tra di noi, si lavorava insieme e si cercava quell'intesa che rende vero un balletto; un abbraccio, un bacio, un amore da rappresentare.
    Ho ballato in seguito con molti altri nomi della danza, come Kalfouni, Asylmuratova, Ferri, Jaffe, ma l'esperienza e gli insegnamenti derivati da Terabust, Fracci e Petit, posso considerarli i tre passaggi fondamentali della mia carriera.

    1999: da primo ballerino stabile ad artista ospite. Scelta o necessità? E come è cambiato il rapporto col Teatro alla Scala?
    Direi sia stata una scelta dettata da una necessità che esisteva in quel momento.
    Per tutta una serie di circostanze mi trovavo in una compagnia che in quel momento non godeva più della sua solita unità, e di conseguenza vivere e lavorare in un posto in cui non credevo più tanto mi ha persuaso a cambiare orizzonte.
    Non è un'accusa rivolta a nessuno: in un momento in cui mancavano grossi progetti, il numero degli spettacoli era sempre inferiore al passato, dove si risentiva della mancanza di un direttore del Ballo, non poteva che crearsi questa atmosfera.
    In altre parole ho tentato di trovare quella condizione ideale per la quale sono più possibili nuovi grandi incontri, nuove grandi prospettive. Oltretutto l'offerta di una nuova posizione come artista, da interno ad ospite residente (con una serie di spettacoli garantiti per ogni stagione), è arrivata proprio dalla Scala.
    In fondo io sono un ballerino della Scala, per forza! L'attaccamento che sento a questo teatro non ha niente a che vedere col contratto che attualmente ho firmato.

    Roland Petit e William Forsythe, due grandi della coreografia, apparentemente diversi fra loro. Con entrambi una creazione: impressioni.
    Sento che Petit, per il suo linguaggio coreografico e per la sua sensibilità, è a me più vicino. L'incontro con Forsythe è stato come andare addosso a un muro a duecento all'ora! Un'esperienza assolutamente nuova, da rifare. Dico nuova perché mentre con Roland a volte non c'è neanche bisogno di spiegarsi ("sì, sì, così come hai fatto va bene..."), con William dovevo corrergli dietro il più velocemente possibile.
    E' vero anche che col primo ho lavorato molto più a lungo, mentre il secondo l'ho incontrato in Scala per un ristretto arco di tempo (tre settimane appena), e per una creazione per quattro ballerini (Desmond, Guerra, Ferri e me).
    Il modo di impostare il lavoro, di come raggiungere il risultato che si sono prefissati, è tra i due un altro elemento di forte diversità. Roland racconta delle storie, basa le sue trame su romanzi, su sentimenti, su idee, usando il movimento per raccontare tutto ciò, con l'ausilio di scene, luci e costumi sempre incisivi; William presenta al pubblico uno spettacolo basato sul movimento, astratto quindi, e per arrivarci, durante le prove usa storie, spiega idee, fa immaginare atmosfere.
    Il metodo di uno è il punto d'arrivo dell'altro, e viceversa.

    Come hai vissuto gli infortuni, e la seguente ripresa?
    Anche per quelli c'è sempre stato molto poco tempo! Specialmente per il secondo, fuori dal Teatro, con un contratto, come detto, da ospite. Bisogna operare? Benissimo, domani sono qui! Ho sempre trovato giusto affrontare con tempestività gli infortuni: nel mio caso non gravissimi (ho rotto i menischi di entrambe le ginocchia a distanza di pochi anni).
    Ciò che fa paura piuttosto è il recupero. Tornare come prima è il massimo traguardo auspicabile. Ritrovarsi con le stampelle poi, per un ballerino, non è certo incoraggiante.
    E più che della paura psicologica di rifarsi male, c'è l'ostacolo della paura fisica. Sembra che il corpo decida di evitare quei movimenti, che non voglia più stendere quella gamba al massimo, o saltarci sopra.
    Nel mio caso ho cercato sempre di forzare i tempi di ripresa, con la coscienza però di non farmi prendere dagli impegni. Quando ebbi l'incidente a tre settimane dagli spettacoli di Chéri, per esempio, decisi di buttarmi: quattro ore di pilates al giorno, terapie, prove a basso regime, e scadenza a venti giorni dall'operazione per considerare i risultati.
    Se non fossi stato tranquillo avrei rinunciato anche al più importante degli spettacoli, ma con la certezza di rientrare in corsa il prima e il meglio possibile.

    Enti Lirici Italiani: considerazioni.
    Oggi assolutamente non buone.
    Non trovo ci siano persone che investano a sufficienza nella ripresa dei teatri. Hanno potere, ma evidentemente sono soggiogate dal solito discorso di poca commerciabilità della danza, nel quale peraltro non credo molto, e si sforzano poco per risolvere il problema.
    In definitiva, l'arte è diventata un prodotto da vendere, i teatri delle fondazioni tenute da investitori, e chi deve amministrare il bene sembra più dedito a venderlo che a valorizzarlo in termini di tradizione e di valore culturale. Ho lavorato anche a Firenze, Napoli, Verona, Roma, e il disegno generale, per altro sfocatissimo, è il medesimo: tutto un polverone sotto il quale chi lavora tappa i buchi (un direttore di qua, un economo di là), piuttosto che fondare solide basi per ripartire, progetti.
    Speriamo che qui a Milano, con lo spostamento della Scala all'Arcimboldi, si crei un secondo spazio che resti utile anche al rientro.
    Gli altri teatri dovrebbero sfruttare le proprie peculiarità: Verona ad esempio incentra tutto sulla stagione estiva per sfruttare l'Arena; per la Scala vale il discorso della qualità nella conservazione della tradizione (ciò avviene soprattutto per l'opera però); ma progetti veri e propri di investimenti non ne vedo.
    Posizione della danza, e del ballerino, nella società odierna.
    Ballerino, danza, arte in generale, vale un po' lo stesso discorso; scontato se vogliamo, ma che non guasta fare, seppur con la dovuta cautela. La posizione che sento occupare come artista, è un po' di distacco all'interno della società, specialmente se l'analisi che stiamo facendo della stessa è impostata da un punto di vista materiale.
    L'artista non produce un bene di prima necessità, quindi viene messo o si autocolloca in un posto non proprio di secondo piano, comunque a parte. Prendiamo un esempio: la Gioconda. Sta lì, partono da tutto il mondo per vederla, pagano per ammirarla, non produce un bene indispensabile alla sopravvivenza, ma non è ignorata. Quando ballo il pubblico paga un biglietto, assiste allo spettacolo a teatro, ma non risolve alcuna sua necessità fondamentale, soddisfa piuttosto una sua passione, un suo desiderio.
    Quindi se io decido di non ballare, non è come uno sciopero dei ferrotranvieri, o delle banche, in grado di bloccare il sistema, no! Ed il punto a cui si arriva allora è forse proprio questo.
    Più di inquadrare l'arte nella società, vediamo un po' qual è il sistema che governa la società stessa.
    A me sembra che ci sia una frenesia totale nel modo di vivere di oggi. Ci si preoccupa di sapere poco ma di tutto, e non il contrario. Per me artista invece è proprio questo il lavoro, sapere il più possibile di "particolari cose". Un'opera d'arte ha bisogno di tempo per formarsi e per farsi capire. Non posso dire "vuoi vedere un balletto?, eccolo: che ne pensi?", perché isolato così non ha neanche ragione di esistere.
    Detto ciò, uscendo dal punto di vista prettamente materiale del discorso, e di come vive la società, è significativo ricordare ad esempio che dopo la Seconda Guerra Mondiale, la prima cosa ad essere ricostruita è stata proprio la Scala. Manifestazione di recupero di ciò su cui la società poggia, la sua tradizione, la sua cultura, i suoi simboli. Allora sì, qualcosa di essenziale, di indispensabile.
    Bisogna capire da che punto di vista vediamo la cosa. C'è ancora un'altra realtà che vorrei evidenziare, ed è quella delle persone che non possono vivere nella maniera del resto della società. Per esempio ho conosciuto una signora che viene sempre alla Scala in lettiga, per problemi di salute: dalle sue parole ho capito che quello che faccio, per lei è motivo di vita, è un incentivo per trovare la forza di subire la sua condizione, di reagire. Niente di più bello.

    Sogni, progetti, rimpianti
    Rimpianti nessuno. Non vorrei peccare di modestia ma non ne ho.
    Progetti per il futuro tanti: il prossimo anno sarò con la compagnia di Berlino per un nuovo Romeo e Giulietta, a Napoli per una creazione di Roland Petit, collaborerò ancora col Comunale di Firenze, e sarò ovviamente in Scala .
    Sogni... più che sognare delle creazioni con Forsythe, Ek, Kilyan etc, sogno di avere la possibilità di incontrare gente speciale, che possa darmi tanto come è avvenuto in passato. Avere esperienze produttive, al massimo, che mi arricchiscano dentro, che mi facciano crescere insomma.
    Questi sono sogni che qualunque collega credo abbia. Di sogno personale ce n'è invece uno che rincorro, e non solo al lavoro. Diventare una buona persona.
    La danza mi aiuta senz'altro a lavorare a questo. In primo luogo è lo specchio di ciò che hai dentro: nella vita si impara a mascherare, ma quando balli, esce fuori il tuo vero Io, che si voglia o meno. Inoltre ti aiuta a correggere, a modificare cose del proprio carattere che magari non ti piacciono.
    Io sono sempre stato chiuso, riservato, un ragazzo con uno sguardo quasi assente, ma quando lavoro ad un personaggio, quando cerco di entrare in un ruolo, è più facile buttarmi, perché non sono io quello che verrà fuori, ma Des Grieux, Romeo, Chéri, niente da vergognarsi! Così facendo ho trovato degli alibi per riuscire a vestire altre identità, e a carpirne eventualmente passioni ed atteggiamenti, arricchendo o modificando i miei.

    21/11/2000
    Andrea Boi, Andrea Piermattei