ラベル フラッチ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル フラッチ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年2月19日日曜日

Massimo Murru Interview (Nov. 2000)



 
練習風景  (アレッサンドラ・フェリ、マッシモ・ムッル)

★Stella、浮気疑惑★


先ごろ、デビッド・ホルバーグ氏(ボリショイのダンサー)について「かっこいい」とコメントしたところ、法務のマドンナにあらぬ疑いをかけられてしまった。

心外ですわ。

Stellaは中身(性格)を知らずに画面や舞台見ただけで好きになったりしません。
今月頭に出逢って気に入ったパリオペのダンサーだって、良い子そうだなって思ったから好きなんです。

マッシモは中身が素敵。外見も中身も美しいダンサーなんですもの
ずっとしたためていた今回のご紹介記事でも伺い知ることができます。
インタビューは長いですが、一番最後の段落、Stellaはものすごく感動してますます好きになりました。

後悔はありません。謙遜から"ない"と言うのではなく、実際にないのです」。
「ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。(...)僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。...」



ところでさ、Stellaがアメリカから送ったマッシモへの愛のチョコ、まーーーーだ届いてないみたい。
まだミラノ市内にさえも到着してないのよう・・・
んもー。。。。


★マッシモ・ムッル インタビュー、再び★


久々に翻訳業務(笑)復活の今回はイタリアのバレエ・ファンウェブサイト、Balleto.netより。 
なんと、11年前!!の記事です。(2000年11月)
若~~~い頃のマッシモのお宝写真も!笑

マッシモは1994年にスカラ座のプリンシパルに昇進してから2003年にエトワールとなるまでの間、スカラ座専属ではなく、ゲストという形の契約でスカラとは"付かず離れず"の状態だったようです。
彼に目をかけていた振付家ローラン・プティは1998年までフランス・マルセイユバレエの監督でしたから、マルセイユでも踊っています。

その頃のことや、半月板を損傷した頃のことが語られています。


【インタビュー】

キャリアにおける重要な出会い

Elizabetta Terabust & Luigi Bonino
"Cheek to Cheek" by Roland Petit
僕がスカラ座バレエ団に入った時のディレクターはッジュゼッペ・カルボーネでした。
僕のキャリアの上で大きな意味を持つ出会いは3つあります。
エリザベッタ・テラブスト、ローラン・プティ、カルラ・フラッチとの出会いです。コール・ドとして4シーズンを経た後、エリザベッタ・テラブストの意向で(「マノン」で)プリンシパルダンサーとなったのです。
(ムッルは1990年スカラ座バレエ学校卒業と同時に同バレエ団入団、1994年にプリンシパルに昇進)


その頃すでにスカラのプリマバレリーナだったアニタ・マジャーリ*と組んで「マノン」を踊ったりと、彼女と経験を積むことができました。
すでに経験のあるアーティストとペアを組ませて若いダンサーを舞台デビューさせるのはよくあることです。こうすることでミスキャストになるのを防げるからです。
アニタは僕にとって学生の頃からの憧れで、彼女がヌレエフなど偉大なダンサーたちと踊るのを観ていました。だから僕の番が来た時、すごく張り切りましたね。



*Anita Magyari(1959~):ハンガリー出身の元バレリーナ。ブダペスト国立芸術アカデミーでディプロマ取得後、モスクワのボリショイでさらにバレエを学び、モスクワ・オペラ座のソリストとなる。1982年にイタリアへ移住しスカラ座バレエに入団、1986年にプリマバレリーナに昇進。ルドルフ・ヌレエフ、マキシミリアーノ・グエラのような国際的に著名なエトワールと組み80年代(ドン・キホーテ)および90年代(ケネス・マクミラン版「マノン」)のレパートリーで主役を務めた。


アニタ・マジャーリ、マッシモ・ムッル他による、コンテンポラリー作品 "Tout Satie" by Roland Petit, in Scala

テラブストが僕に与えた2つ目の機会はローラン・プティのオーディションでした。
僕はスカラ座のための作品「シェリ」を踊る若者を探していたローランの気に入り、何日かの練習の後カルラ・フラッチにも気に入ってもらえた。
この作品に取り組んでいる頃、僕はローランとカルラという2つの柱の間に挟まれていました。20歳を過ぎたばかりの僕はプレッシャーで自分が潰れていくような気がしました。でもこの冒険の中に身を投じると、そのうち全てがより自然に感じるようになりました。
根底にはすでに大人のレアと若いシェリの人物像は既に存在していたので、(役柄を作りあげる作業よりも)むしろそれまで僕の夢の中での存在だった人たちとの連帯感を醸成するための期間でした。



テラブストとはいつもものすごく気が合って、互いに尊敬もしていました。しかしながら、彼女は僕のディレクターで、そこを発端にしてさらに先へと行かなければいけなかったというか、行くことができたのです。
カルラとローランとはまた違いました。彼ら二人がこのバレエのストーリーの二本柱となり、レッスン室内では僕たちの間に師弟関係という縛りはなかった。一緒に仕事をし、共同関係を築いてより良いバレエを踊ろうと思うのならば、ハグやキス、愛情表現があって然るべきです。


カルフーニ, ガニオ親子を映画化した
(原題)comme un rêve(2008)


それから多くのダンサーと踊りました。カルフーニ、アシルムラートワ、フェリ、ジャッフェ*・・・でもテラブスト、フラッチ、プティからもらった経験と教えは僕のキャリアにおいて欠かすことのできない通り道だったと言えるでしょう。
(マッシモはフラッチとの「シェリ」初演後、カルフーニやアシルムラートワ相手に同演目を踊っている)

*Dominique Kalfouni(1951~):フランス生まれの元オペラ座ダンサー。プリンシパルダンサーを経ずしてエトワールに昇格した異例の経歴の持ち主。現エトワールのマチュー・ガニオの母。80年代にプティ、バリシニコフと多くの作品を手掛けた。
Altynai Asylmuratova(1061~):旧ソ連・カザフスタン生まれのバレリーナ。1978年キーロフ(現マリインスキー)バレエ団入団し4年後プリンシパルダンサーとなる。2000年ワガノワ・バレエ学校芸術監督任命と同時に現役引退。
Sousan Jaffe(1962~):アメリカ出身の元バレエダンサーで、アメリカンバレエシアターの指導者。

安定したプリンシパルダンサーからゲストアーティストへ。選択ですか、それとも必要性からですか?スカラ座との関係はどう変わりましたか?


その時期に必要あって選択した決断だと言えましょう。(中略)

結果的に自分の居る立場がもう信じられなくなり、働く場所を変えた方がいいと確信しました。これは誰に対する非難でもありません。大きなプロジェクトがない時期は舞台の数も前より少なかったし、バレエ団監督も不在でした。
言い換えれば、新たな出会い・新たな視点が出来るだけ得られるような条件を探していたのです。それに、(ミラノに)居ながらにしてゲスト(ospite residente)という、アーティストとしての新しい形は、他でもないスカラから提案されました。(各シーズンに一定数の舞台への出演保証つきで)
心の奥では間違いなく僕はスカラ座のバレエダンサーです!スカラに対する僕の批判は僕が現在結んでいる契約とは無関係です。


ローラン・プティとウィリアム・フォーサイス、両者とも偉大な振付家ですが性格は違うようですね。あなたはそれぞれと作品を作ったわけですが、印象は?

フォーサイス
プティは彼の振付上の言語とその繊細な性格という点で自分に近いと感じます。フォーサイスとの出会いはまるで、高さ200メートルの壁を1時間で登るようなものでした。全く新しい経験だったし、またこういう出会いがあってほしい思う。僕が新しいと言うのは、ローランとの間では時には説明する必要がないこともあったけれど、ウィリアムの場合は彼の後を全速力で走ってついていかなくてはならなかった。
プティとはより長い期間共に仕事をしたのに対し、フォーサイスとはごく短い間、四人のダンサー(デズモンド、グエラ、フェリと自分)ための作品*を振付けた時にスカラで出会いました(3週間足らず)。
仕事をどうプランするか、またどうやってあらかじめ定めたゴールにたどり着くかは、2人の間でかなり違いの見られるポイントです。
ローランは自分の小説のプロット、感情、アイディアに基づいて物語を語ります。舞台や照明、単刀直入な衣装の助けを借りて、動きを用いてこれら全てを語るのです。
ウィリアムは抽象的な動きを基本にスペクタクルを繰り広げます。だからそれを可能にするために、練習の時には彼はストーリーを使い、アイディアを説明し、雰囲気を想像させます。片方のやり方はもう片方の到達点であり、逆もまた真なのです

*Quartetto「カルテット」はアレッサンドラ・フェリのために作られ、スカラ座で上演されたフォーサイス作品。

怪我、そしてその後の復活期をどのようにして乗り越えましたか?

これに関しても常に、全然時間が足りません!特に復活のほうは。僕はスカラ座の団員ではなくゲストという契約でしたからね。
手術の必要?大変結構!しかし明日はすぐそこなのです!僕の場合は常に故障がタイミング良く訪れてくれたし、深刻な怪我ではなかった。(わずか数年の間隔で両方の膝の半月板を損傷した)
むしろ怖いのは回復期です。再びプリンシパルとして復帰するのが理想的なゴールです。でもそこからまた松葉杖を突く羽目になるのは乗り気のするものではありません。
再び痛い思いをするという心理的恐怖よりも、物理的恐怖のほうが障壁となります。まるで体がその動きを避けようとし、その足をめいっぱい伸ばしたくないとか、ジャンプに踏み切りたくないというように。

僕の場合はいつも、怪我の時は義務感にとらわれずに意識的に自分を鍛えることにしています。例えば「シェリ」で3週間のあいだ怪我をした時、自分を"投げ捨てる"ことに決めました。毎日4時間のピラティス、治療、基礎練習をこない、(半月板の)手術から20日後にそれらの結果がどうか、見ることにしました。
もしも安静にしていなければすごく大事な舞台も諦めなければならないけれど、最も良い状態でいち早く復帰するためです。


(中略)

 夢、計画、後悔

後悔はありません。謙遜から"ない"と言うのではなく、実際にないのです。
将来の計画はたくさんあります。来年はベルリン・バレエ団と新版「ロミオとジュリエット」、そしてナポリではローラン・プティの作品、またコムナーレ・ディ・フィレンツェとのコラボもあり、もちろんスカラ座でも出演します。
夢・・・夢に見る以上のものですが、フォーサイス、エック、キリアンなどとのクリエーション。過去に経験したような冒険をくれる特別な人々との出会いを夢見ています。自分の内面がより豊かに、自分が成長出来るような、生産的な経験をできるだけ沢山持ちたい。
これらはダンサーなら誰しもが持つ夢でしょう。

ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。ダンスは間違いなくその助けになっています。まずダンスは自らが内面に持つ鏡です。人生では自分を隠すことを覚えますが、望もうと望むまいと、踊れば本当の自分が出てきます。それと自分が好きになれない性格(側面)を直す助けになります。
僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。でも演目の登場人物になろうとする時、役柄に入り込もうとする時、自分を投げ捨てるのは簡単になります。なぜなら外に出て来るのは僕じゃなくてデグリュやロミオ、シェリだから、何も恥じることはないのですから!こうして僕は自分以外のアイデンティティーを装うアリバイを見つけ、情熱をより豊かにし、態度の修復をするアリバイを見つけたのです。



【本文】
I passaggi e gli incontri fondamentali della tua carriera.

Sono entrato a far parte del corpo di ballo del Teatro alla Scala sotto la direzione di Giuseppe Carbone; i passaggi fondamentali della mia carriera coincidono con tre incontri determinanti: Elisabetta Terabust, Roland Petit, Carla Fracci. Dopo quattro stagioni come ballerino di fila, venni promosso sul campo (ne L'Histoire de Manon) primo ballerino per volontà di Elisabetta Terabust.
Qui ho approfittato dell'esperienza e disponibilità di Anita Magyari, già prima ballerina dell'ensemble scaligero, in quell'occasione la Manon da affiancare.
Spesso capitava di far esordire i giovani in coppia con artisti già esperti, non si rischiava quindi di andare allo sbaraglio. Anita è sempre stata un idolo per me, fin da quando ero allievo della scuola: l'avevo vista ballare coi più grandi, Nureyev in testa, e l'emozione che fosse arrivato il mio turno mi diede un forte incentivo.
La seconda occasione che Terabust mi prospettò fu l'audizione da Roland Petit, in cerca di un giovane per il suo Chéri, creazione pensata per Carla Fracci alla Scala. Piacqui a Roland, e dopo qualche giorno di lavoro anche a Carla Fracci.
In quell'occasione mi trovai fra due colonne: Roland e Carla.
Io, poco più che ventenne, mi sentivo schiacciato in quell'atmosfera da un'emozione pressante. Tuttavia mi tuffai in quest'avventura, e tutto diventò sempre più naturale.
I ruoli della già adulta Lea e del giovane Chéri in fondo già c'erano, si trattava piuttosto di trovare un affiatamento con chi fino ad allora era solo nei miei sogni!
Con Terabust ad esempio c'è sempre stata una grande intesa, ed un forte e reciproco sentimento di stima: tuttavia lei era il mio direttore, ed oltre quella certa soglia non si doveva o poteva andare; con Carla e Roland fu diverso: sebbene loro siano due pilastri della storia del balletto, in sala non c'erano vincoli istituzionali tra di noi, si lavorava insieme e si cercava quell'intesa che rende vero un balletto; un abbraccio, un bacio, un amore da rappresentare.
Ho ballato in seguito con molti altri nomi della danza, come Kalfouni, Asylmuratova, Ferri, Jaffe, ma l'esperienza e gli insegnamenti derivati da Terabust, Fracci e Petit, posso considerarli i tre passaggi fondamentali della mia carriera.

1999: da primo ballerino stabile ad artista ospite. Scelta o necessità? E come è cambiato il rapporto col Teatro alla Scala?
Direi sia stata una scelta dettata da una necessità che esisteva in quel momento.
Per tutta una serie di circostanze mi trovavo in una compagnia che in quel momento non godeva più della sua solita unità, e di conseguenza vivere e lavorare in un posto in cui non credevo più tanto mi ha persuaso a cambiare orizzonte.
Non è un'accusa rivolta a nessuno: in un momento in cui mancavano grossi progetti, il numero degli spettacoli era sempre inferiore al passato, dove si risentiva della mancanza di un direttore del Ballo, non poteva che crearsi questa atmosfera.
In altre parole ho tentato di trovare quella condizione ideale per la quale sono più possibili nuovi grandi incontri, nuove grandi prospettive. Oltretutto l'offerta di una nuova posizione come artista, da interno ad ospite residente (con una serie di spettacoli garantiti per ogni stagione), è arrivata proprio dalla Scala.
In fondo io sono un ballerino della Scala, per forza! L'attaccamento che sento a questo teatro non ha niente a che vedere col contratto che attualmente ho firmato.

Roland Petit e William Forsythe, due grandi della coreografia, apparentemente diversi fra loro. Con entrambi una creazione: impressioni.
Sento che Petit, per il suo linguaggio coreografico e per la sua sensibilità, è a me più vicino. L'incontro con Forsythe è stato come andare addosso a un muro a duecento all'ora! Un'esperienza assolutamente nuova, da rifare. Dico nuova perché mentre con Roland a volte non c'è neanche bisogno di spiegarsi ("sì, sì, così come hai fatto va bene..."), con William dovevo corrergli dietro il più velocemente possibile.
E' vero anche che col primo ho lavorato molto più a lungo, mentre il secondo l'ho incontrato in Scala per un ristretto arco di tempo (tre settimane appena), e per una creazione per quattro ballerini (Desmond, Guerra, Ferri e me).
Il modo di impostare il lavoro, di come raggiungere il risultato che si sono prefissati, è tra i due un altro elemento di forte diversità. Roland racconta delle storie, basa le sue trame su romanzi, su sentimenti, su idee, usando il movimento per raccontare tutto ciò, con l'ausilio di scene, luci e costumi sempre incisivi; William presenta al pubblico uno spettacolo basato sul movimento, astratto quindi, e per arrivarci, durante le prove usa storie, spiega idee, fa immaginare atmosfere.
Il metodo di uno è il punto d'arrivo dell'altro, e viceversa.

Come hai vissuto gli infortuni, e la seguente ripresa?
Anche per quelli c'è sempre stato molto poco tempo! Specialmente per il secondo, fuori dal Teatro, con un contratto, come detto, da ospite. Bisogna operare? Benissimo, domani sono qui! Ho sempre trovato giusto affrontare con tempestività gli infortuni: nel mio caso non gravissimi (ho rotto i menischi di entrambe le ginocchia a distanza di pochi anni).
Ciò che fa paura piuttosto è il recupero. Tornare come prima è il massimo traguardo auspicabile. Ritrovarsi con le stampelle poi, per un ballerino, non è certo incoraggiante.
E più che della paura psicologica di rifarsi male, c'è l'ostacolo della paura fisica. Sembra che il corpo decida di evitare quei movimenti, che non voglia più stendere quella gamba al massimo, o saltarci sopra.
Nel mio caso ho cercato sempre di forzare i tempi di ripresa, con la coscienza però di non farmi prendere dagli impegni. Quando ebbi l'incidente a tre settimane dagli spettacoli di Chéri, per esempio, decisi di buttarmi: quattro ore di pilates al giorno, terapie, prove a basso regime, e scadenza a venti giorni dall'operazione per considerare i risultati.
Se non fossi stato tranquillo avrei rinunciato anche al più importante degli spettacoli, ma con la certezza di rientrare in corsa il prima e il meglio possibile.

Enti Lirici Italiani: considerazioni.
Oggi assolutamente non buone.
Non trovo ci siano persone che investano a sufficienza nella ripresa dei teatri. Hanno potere, ma evidentemente sono soggiogate dal solito discorso di poca commerciabilità della danza, nel quale peraltro non credo molto, e si sforzano poco per risolvere il problema.
In definitiva, l'arte è diventata un prodotto da vendere, i teatri delle fondazioni tenute da investitori, e chi deve amministrare il bene sembra più dedito a venderlo che a valorizzarlo in termini di tradizione e di valore culturale. Ho lavorato anche a Firenze, Napoli, Verona, Roma, e il disegno generale, per altro sfocatissimo, è il medesimo: tutto un polverone sotto il quale chi lavora tappa i buchi (un direttore di qua, un economo di là), piuttosto che fondare solide basi per ripartire, progetti.
Speriamo che qui a Milano, con lo spostamento della Scala all'Arcimboldi, si crei un secondo spazio che resti utile anche al rientro.
Gli altri teatri dovrebbero sfruttare le proprie peculiarità: Verona ad esempio incentra tutto sulla stagione estiva per sfruttare l'Arena; per la Scala vale il discorso della qualità nella conservazione della tradizione (ciò avviene soprattutto per l'opera però); ma progetti veri e propri di investimenti non ne vedo.
Posizione della danza, e del ballerino, nella società odierna.
Ballerino, danza, arte in generale, vale un po' lo stesso discorso; scontato se vogliamo, ma che non guasta fare, seppur con la dovuta cautela. La posizione che sento occupare come artista, è un po' di distacco all'interno della società, specialmente se l'analisi che stiamo facendo della stessa è impostata da un punto di vista materiale.
L'artista non produce un bene di prima necessità, quindi viene messo o si autocolloca in un posto non proprio di secondo piano, comunque a parte. Prendiamo un esempio: la Gioconda. Sta lì, partono da tutto il mondo per vederla, pagano per ammirarla, non produce un bene indispensabile alla sopravvivenza, ma non è ignorata. Quando ballo il pubblico paga un biglietto, assiste allo spettacolo a teatro, ma non risolve alcuna sua necessità fondamentale, soddisfa piuttosto una sua passione, un suo desiderio.
Quindi se io decido di non ballare, non è come uno sciopero dei ferrotranvieri, o delle banche, in grado di bloccare il sistema, no! Ed il punto a cui si arriva allora è forse proprio questo.
Più di inquadrare l'arte nella società, vediamo un po' qual è il sistema che governa la società stessa.
A me sembra che ci sia una frenesia totale nel modo di vivere di oggi. Ci si preoccupa di sapere poco ma di tutto, e non il contrario. Per me artista invece è proprio questo il lavoro, sapere il più possibile di "particolari cose". Un'opera d'arte ha bisogno di tempo per formarsi e per farsi capire. Non posso dire "vuoi vedere un balletto?, eccolo: che ne pensi?", perché isolato così non ha neanche ragione di esistere.
Detto ciò, uscendo dal punto di vista prettamente materiale del discorso, e di come vive la società, è significativo ricordare ad esempio che dopo la Seconda Guerra Mondiale, la prima cosa ad essere ricostruita è stata proprio la Scala. Manifestazione di recupero di ciò su cui la società poggia, la sua tradizione, la sua cultura, i suoi simboli. Allora sì, qualcosa di essenziale, di indispensabile.
Bisogna capire da che punto di vista vediamo la cosa. C'è ancora un'altra realtà che vorrei evidenziare, ed è quella delle persone che non possono vivere nella maniera del resto della società. Per esempio ho conosciuto una signora che viene sempre alla Scala in lettiga, per problemi di salute: dalle sue parole ho capito che quello che faccio, per lei è motivo di vita, è un incentivo per trovare la forza di subire la sua condizione, di reagire. Niente di più bello.

Sogni, progetti, rimpianti
Rimpianti nessuno. Non vorrei peccare di modestia ma non ne ho.
Progetti per il futuro tanti: il prossimo anno sarò con la compagnia di Berlino per un nuovo Romeo e Giulietta, a Napoli per una creazione di Roland Petit, collaborerò ancora col Comunale di Firenze, e sarò ovviamente in Scala .
Sogni... più che sognare delle creazioni con Forsythe, Ek, Kilyan etc, sogno di avere la possibilità di incontrare gente speciale, che possa darmi tanto come è avvenuto in passato. Avere esperienze produttive, al massimo, che mi arricchiscano dentro, che mi facciano crescere insomma.
Questi sono sogni che qualunque collega credo abbia. Di sogno personale ce n'è invece uno che rincorro, e non solo al lavoro. Diventare una buona persona.
La danza mi aiuta senz'altro a lavorare a questo. In primo luogo è lo specchio di ciò che hai dentro: nella vita si impara a mascherare, ma quando balli, esce fuori il tuo vero Io, che si voglia o meno. Inoltre ti aiuta a correggere, a modificare cose del proprio carattere che magari non ti piacciono.
Io sono sempre stato chiuso, riservato, un ragazzo con uno sguardo quasi assente, ma quando lavoro ad un personaggio, quando cerco di entrare in un ruolo, è più facile buttarmi, perché non sono io quello che verrà fuori, ma Des Grieux, Romeo, Chéri, niente da vergognarsi! Così facendo ho trovato degli alibi per riuscire a vestire altre identità, e a carpirne eventualmente passioni ed atteggiamenti, arricchendo o modificando i miei.

21/11/2000
Andrea Boi, Andrea Piermattei



2012年1月11日水曜日

Chéri 1996

2012年を迎えまして、気持ちも新たにブログしていきたいと思います!
コメント、大歓迎です。
最近はバレエというか、マッシモ・ムッルのことしか書いてませんが、そのうち他のことも書きます。(^_^;)


さて今日は、マッシモにとって「思い出深い作品No.1」、ローラン・プティ振付、カルラ・フラッチとマッシモ・ムッル主演「シェリ」Chéri について。
ますは、マッシモへのインタビューではなく、作品自体のレビューのご紹介から。
海外版Dance Magazine (June 1996)に掲載の英文記事の訳です。


このバレエ作品、残念ながらDVDになっていないので、数少ないながらも探し出した断片的なイメージと画像とから得られるイメージしかなく、2009年映画化された「わたしの可愛い人―シェリ」を参考に観てみました。
この映画では最後にシェリは銃で自殺したことになっていますが、おそらく「シェリ」(1920)続編の「シェリの最期」(Fin de Chéri, 1926)でそういう結末だったのだと思います。「シェリ」自体では、シェリが他の女性と結婚しレアと一旦別れたものの、忘れることができずレアの家に戻ってくるが、レアは結局シェリを追い返すというところまでです。


前置きがやや長くなりますが、「シェリ」原作を書いた作家について、面白いのでご紹介したいと思います。

コレットはフランス人女性作家です。(Sidonie-Gabrielle Colette, 1873~1954)
これまたユニークな人生を送っており、20歳で結婚した15歳上の旦那は有名なバイセクシュアル、33歳の時に不実な夫と別れて女性作家のところに一時住んでいましたが、この女性(生涯友人だった)や、あの有名なジョセフィン・ベーカーとも(恋愛)関係を持っています。
コレットは、恋人の女性(Marquise de Belbeuf)のコネでパリのミュージック・ホールで仕事を始め、1907年には「エジプトの夢」(Rêve d'Egypt)を恋人と二人でムーランルージュで踊っています。しかし作品中のキスシーンが劇場内に暴動を起こし、警察沙汰になり上演は中止、二人はもう公には同棲できなくなったものの、二人の関係は5年間続いています。
その後39歳で再婚し、さらに3度目の結婚もしているという!
当時のフランスにはこういうドラマチックな人生を歩んだ芸術家が沢山いますが、はっきり言って・・・「シェリ」もいいけどあんたの人生のほうがよっぽどドラマでしょ!!とツッコミ入れたくなりました。
こんなにハチャメチャなのに・・・3度も結婚しながらレズビアンカルチャーを公にしていたのに、ベルギーやフランスの権威ある(ほとんど神々しい)文学アカデミーのプレジデントやシュバリエに任命されているという*
フランスの寛容さと芸術への理解の深さに脱帽です。
ともあれ、こうした作家のプロフィールを知ると、女主人公のレアが元高級娼婦、シェリの母親も然りという設定も、得意とするところだろうなと思いますよね。


コレット自身による「エジプトの夢」ポスター
 *ベルギー王立アカデミー会員 (1935), ゴンクール・アカデミーのプレジデント (1949) (また1945年に女性初のメンバーになっている),レジオン・ドヌールのシュヴァリエ (1920)、グランド・オフィサー (1953) を歴任。
(参考)http://en.wikipedia.org/wiki/Colette


【ダンス・マガジン 記事 1996年6月】

「シェリ」レビュー ミラノ・スカラ座 1996年2月14~26日
by シルヴィア・ポレッティ

1996年にカルラ・フラッチは人生における二つの重要な節目を迎えた。
60歳の誕生日とスカラ座との50周年である。このバレリーナへの贈り物として、スカラはローラン・プティを迎え、フランス人作家コレットの小説にインスパイアされた全一幕の作品「シェリ」を作らせた。

Carla Fracci
今のフラッチにレアはまさに適役だ。成熟した魅力的な高級娼婦のレアは若いシェリに惚れ込んでしまう。彼女はシェリに傷つけられるだろうことを承知の上で、最後の情熱を彼に傾ける。コレットが描く通り、彼はあまりに若くハンサムでスポイルされているため、エゴイストなのだった。驚くまでもないが、シェリはレアを捨て、若い金持ちの女と結婚する。実はレアこそが彼の生涯の恋人であることを悟らずに。戦争から戻り、退廃したシェリはレアの元へ帰って来るが、そこには寂しい老女の姿があるだけだった。

プティはフラッチの女性としての夕暮れ時の美しさと、マッシモ・ムッルの若々しい色気を対峙させている。この組み合わせにより、悲劇的なまでに全く異なる感情を抱いた2人のラブシーンを、ドラマチックで興味をそそるものに仕立てている。

ダンスはいつものプティらしく流れるようにエレガントかつ官能的で、ダンサー達の解釈により特に興味深く作り上げられていた。コレットが描いたような、シェリの大胆さを面白がり惹かれていく洗練された高級娼婦を演じるのでなく、フラッチはもっと母のようで優しい。そのせいで最後のシェリとの再会の劇的さは弱まる結果となっているが、フラッチが非常に巧みにレアの無言の絶望を表現しているため、彼女の脆くはかない存在が観客の方へと飛び離れ、彼女の悲劇へと巻き込むのである。


細部のタッチにより、プティはレアの浅はかな取り巻きに性格を持たせ、また当時の社交ダンスを描き出すことにより世紀末の時代背景を表現することに成功している。ルイザ・スピナテッリの舞台装飾は世紀末のパリを彷彿とさせ、ポーレンクによる音楽がふさわしいメランコリーな雰囲気をもたらしている。

若きプリンシパルダンサー、マッシモ・ムッルはアーティストとして急速に成長している。また特筆すべきはプログラムの幕開けで「シャブリエの6つのダンス」 Les Six Danses de Chabrier ("Six Dances by Chabrier")でソリストを務める20歳のロベルト・ボッレである。長身、ハンサムで大胆、テクニックに優れたボッレは、注目すべき才能だ。


【補足コメント】
実はバレエ作品としての「シェリ」は、プティが最初ではなく、ピーター・ダレル振付により1980エディンバーグフェスティバルでスコットランドバレエにより初演され(音楽:デビッド・アール)、1989年に香港バレエによりリバイズ版が上演された。他、ミュージカル化及び先述の2009年の映画以前にも1950年に映画化されている。


【訳者感想】
訳してみて思うのは何よりも、「舞台が観てみたかった!!」の一言です。
そこまでマッシモの心に刻まれる作品。
技術的・表現的には今の方がはるかに優れているのは間違いないですが、やはり若い時、そして初めて大物振付家の振付で名バレリーナ(フラッチは「スカラの至宝」とされていた)を相手に踊る、弱冠25歳。プリンシパルに抜擢されて2年後の話(エトワールになるのは2003年のこと)。
ものすごいプレッシャーだったことでしょう。
でも、監督のテラブストの信頼、プティの信頼、パートナーのフラッチからの信頼。これらを裏切らないようにきっとものすごーく頑張ったんだろうなぁ・・・などと想像するのみです。
今や40歳、「シェリ」役はちょっと厳しいかもね。その分素敵になっていますが。ふふふ。



【原文】

by Silvia Poletti

LA SCALA BALLET TEATRO ALLA SCALA, MILAN FEBRUARY 14-20, 1996
REVIEWED BY SILVIA POLETTI
In 1996 Carla Fracci celebrates two important milestones in her life: her sixtieth birthday and her golden jubilee with La Scala.
As a gift for the ballerina the theater invited Roland Petit to create Cheri, a one-act ballet inspired by the work by French novelist Colette.
The principal role of Lea is exactly right for Fracci today. Lea is a mature and fascinating woman of the demimonde who allows herself to be captivated by a young man, Cheri.
She lives out her last passion with him, though she knows that Cheri will hurt her. As Colette writes, he is too young, too handsome, too spoiled not to be an egoist. Sure enough, Cheri leaves her to marry a young heiress, not understanding that Lea is the true love of his life.
Returning from war, when he realizes his decadence and returns to Lea, he finds only an old woman lost in loneliness.
Petit counters Fracci's twilight beauty with Massimo Murru's fresh cockiness, a mix that makes the love scenes an intriguing dramatization of the very different feelings in the hearts of this tragically mismatched pair.
The dancing, as always with Petit, is flowing, elegant, and sensual made particularly interesting here by the dancers' interpretations. instead of the sophisticated courteson amused and attracted by Cheri's boldness, as described by Colette, Fracci is more motherly, more tender.
This makes Lea and Cheri's final meeting weaker dramatically, but Fracci is so effective at expressing Lea's mute despair that her tiny, frail figure towers over the audience, involving all in her drama.
Small touches enable Petit to characterize Lea's frivolous entourage and to show the years rolling by the turn of the century by depicting social dances of the day. Luisa Spinatelli's set and decor ideally evoke fin-de-siecle Paris, and music by Poulenc provides the right melancholic atmosphere.
A young premier danseur, Murru is quickly maturing artistically. Also worthy of remark is twenty-year-old Roberto Bolle, a soloist in Petit's light and mannered Les Six Danses de Chabrier ("Six Dances by Chabrier"), which opened the program. Tall, handsome, bold, and technically strong, Bolle is a talent to encourage.
COPYRIGHT 1996 Dance Magazine, Inc.
COPYRIGHT 2004 Gale Group

2012年1月9日月曜日

ひと息 ~これまでの記事を振り返って

あけましておめでとうございます。
今年もStellaのブログをよろしくお願いします。


さて昨年10月、マッシモ・ムッルに「一目惚れ」して以来、彼についてできるだけのことを知りたいと思い、あらゆるところに彼を探し求め、見つけた記事と写真を片っ端から日本語にして紹介してきました。

だいぶ記事もたまってきたので、ここで感想を述べたいと思います。




訳していると自分の主観は入れないようにしているので、ブログを書いていながら自分はほとんど語らない。
マッシモの言葉ひとつひとつ噛み締めながら、この言葉はどういった背景から生まれて来るのだろう?と想像し、調査し、何度も読み込みながら、非常に乏しいバレエ知識と理解力との闘いみたいなものでした。自分でも「よくやるよ」と時々思いますが、そこはやっぱり、好きな人の大切なバレエを語る言葉、私にとってもすごく大事。


そんなこんなして膨大な余暇の時間を費やしていると、訳しながら色々思うこと・感じることがたくさん自分の中に蓄積されていきます。


10月26日、シルヴィ・ギエムのHope Japanツアー Aプロで初めてマッシモと出会ったわけですが、この2ヶ月強、彼について初心者ながら探究していく中で私が見たマッシモ・ムッルは、「真摯にバレエに向き合う人」、そしてその静かな佇まいとは裏腹の「ダンスと音楽に対して燃え尽きない情熱を抱く人」、また「非常に知的で考察と解釈に深みのある人」です。
「オネーギン」「マノン」「さすらう若者の歌」等々、解釈の難しそうな作品が彼の代表作ですものね。

 


「マノン」
"Intervista esclusiva"(http://i-diari-di-stella.blogspot.com/2011/12/intervista-esclusiva-massimo-murru.htmlで紹介しましたが、あの素晴らしいデグリュ役の影には多年に渡り重ねてきたレッスンと舞台での経験だけでなく、初代デグリュであるアンソニー・ダウエルから直接指導を得られたという幸運もあったのですね。
私はマッシモもダウエルも生で観たのは一度しかありませんが、それがシルヴィ・ギエムツアーでの「マノン」(2011年10月)でした。
2011年1月にスカラ座でやはりシルヴィ・ギエムと組んで「マノン」全幕を演じ、観客に大きな感動を与え大成功を収めた(http://i-diari-di-stella.blogspot.com/2011/11/about-massimo-murru-i.html)でご紹介しています)わけですが、ここまで長年踊り続けて、やっと「自分のものにできた」(ダンスマガジン2012年1月号のインタビューより)とマッシモ。


スカラ座ウェブサイトのビデオでも、マッシモが一人、長く語っています(http://www.teatroallascala.org/en/season/opera-ballet/2010-2011/histoire-de-manon_cnt_15398.html)が、内容をかいつまむと、「マノンと長年付き合っていくうちに自分の性格の変化とともにデ・グリューの性格も常に変化してきた。ひとつひとつのパ、動作、視線が毎晩同じことはなく、自分と一緒に生きているバレエ作品」と語っています。文字通り、作品と自分の人生が重なっているわけですね。彼の言葉がすごく情緒豊かで素敵です!






そして、あらゆるインタビューに繰り返し出てくる3人の人物。

エリザベッタ・テラブスト
ローラン・プティ
カルラ・フラッチ
です。

"Cheri" rehearsal, Roland Petit, Carla Fracci and Massimo Murru


シルヴィ・ギエムについては、(マッシモファンとしては言いにくいですが・・・やはり客観的に見ても)彼女のおかげで世界の舞台に立つ機会が得られてると思いますし、組む回数も多く長い付き合いな割に、コメント少なし。
勝手な推測ですが、彼女についてはマッシモが何も言わなくても百万個くらい色んな人による様々なコメントが言い尽くされてますし、大スターなだけに、パートナーなだけに、コメントには慎重にならざるを得ないのかな。


そう言えば、意外ですが、フラッチ以外の他のパートナー達に関しても特にコメントしているのは見たことありません。(1度だけ、モンタナリだったかしら?に関してポジティブコメントを見たのが印象に残ってますが)
個人的にはギエムはもちろん(個性の強い女王様だから演目選びますけど)、ルシア・ラカッラとの並びが好きです。やはり美しいものには美しいものを対峙させて然るべき。




Lucia Lacarra


いっぱいマッシモの記事を読みましたが、今更ながらすごいキャリア…そして名だたる名バレリーナを相手に幾多の舞台を踏んできたマッシモ。
2011,2012のスケジュールは余りに静かで心配になります。

これも推測でしかありませんが、先述のエリザベッタ・テラブスト(1994年にマッシモをプリンシパルダンサーに抜擢した)が一時期2回目のスカラ座芸術監督に返り咲いた(2007)ものの、再び監督交代になったのが大きいのではないかと…
彼女がスカラに戻った時、マッシモはさぞ嬉しかったことでしょう。「素晴らし過ぎて夢のようだ、信じられない」「彼女は僕にとって初恋の人みたいなもの」と言ってましたから、オイオイそこまでかい?と心の中でツッコミ入れたくらいです。(^_^;)

また別のインタビューでも、「エリザベッタとは素晴らしく気があって相性も抜群」「自分を最初に信じてくれた人」と述べていますし、第二の大切な出会い、プティと巡り会えたのもテラブストのお陰(遅かれ早かれ他の機会が訪れた可能性もありますが)ですから、確かに彼女は特別な存在なのでしょう。



Cheri, Carla Fracci and Roland Petit



こんな事言い始めたらキリがないけど、やはりマッシモ、プティ、フラッチの生まれたタイミングや、テラブストがスカラの監督に着任していた時期、これらがまた絶妙な重なりをもってマッシモに(そして皆に)好機と幸運をもたらしていたと思います。


―1990年、フラッチは60歳の誕生日とスカラ座との蜜月50周年を迎え、スカラ座からの贈り物としてプティがフラッチのために振り付けたのが「シェリ」なのです。もちろん、当時の監督はテラブスト。彼女の勧めでプティのオーディションを受けたマッシモは見事、フラッチの若い"ジゴロ"、シェリ役を射止めます。
ここでプティはマッシモを見込み、のちにマッシモのために最多の作品を作ってくれます。

 
・・・それももう、20年以上前のこと。
2011年7月にプティは他界、マッシモにとってもっとも大きな意味をなす振付家はもうこの世にいない。そしてテラブスト監督という後ろ盾もなく、ましてやイタリアもヨーロッパも経済危機で劇場初め芸術分野の予算は削減。マッシモ御歳、40。
向かい風の嵐ですが、ファンとしてはエールを送り続けるより他ありません。

 予告編のようになりますが、今翻訳中の記事がいくつかあります。
時系列で追っているわけではないので、訳した主な記事・比較的最近の記事の中から重要と思われるトピックを引っ張ってきますので、芋づる方式に時間を行ったり来たりもあります。


これから訳したいと思っている記事は、表現者としての彼を開眼させた、そしてローランと・フラッチとの最初の記念すべき作品「シェリ」。
そして物議をかもした、しかし彼自身は芸術的に非常に高く評価している、マッル・エック版「ジゼル」。
これらに対するマッシモ自身そして周囲のコメントは非常に興味深く、また、必ずしも彼のキャリアはラッキーな出会いと若さと魅力に満ちたバラ色の人生だったわけではないと、改めて知らされます。
正直なところ、訳していて切なく、時には悲しくなったりもしました。
でも、それがかれにとってその時の真実であるならばそれを直視したいと思いますし、それらの全てを含めて、ダンサーとしての彼をやはり好ましいと感じています。


ちょっとフライングになりますが、私が最も心打たれたマッシモの言葉をひとつ、ご紹介します。
「ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。ダンスは間違いなくその助けになっています。まずは内面にある鏡です。人生では自分を隠すことを覚えますが、望もうと望むまいと、踊れば本当の自分が出てきます。それと自分が好きになれない性格(側面)を直す助けになります。
僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。でも演目の登場人物になろうとする時、役柄に入り込もうとする時、自分を投げ捨てるのは簡単になります。なぜなら外に出て来るのは僕じゃなくてデグリュやロミオ、シェリだから、何も恥じることはないのですから!」。


すでに、(私の知るほんのわずかの片鱗からも伺えるほど)奢らず、真面目で、優しいマッシモですが、同時にこういった心がけを常に忘れない人なんだと知りました。
この言葉には、彼という人柄がよく現れていると思います。
すべてのダンサーが、こんな風に考えているわけではないでしょう。稀に見る純真さというか、正直で、自分を飾らず弱いところも認めることができる勇気のある人。
外見やバレエにおいての表現だけでなく、内面も美しいダンサーと出会えたことに感謝しています。


ありがとう、マッシモ。
これからも、応援しています。
Grazie Massimo per tutti, ti mando mio sincero sostegno, per sempre.

2011年12月28日水曜日

Interview : Massimo Murru's debut in Onegin


Ciak si danza: Massimo Murru debutta in Onegin

マッシモ・ムッル単発インタビュー紹介シリーズ第3段。
マッシモ念願の「オネーギン」初舞台に関する記事です。
どのようにして「オネーギン」を切望するに至ったのか?そして世界的なバレリーナ、カルラ・フラッチやシルヴィ・ギエムについて語っています!

イタリック体は訳者注釈です。
出典:イタリアのTV局Skyウェブサイトより。(2010年11月3日付)

  with Emanuela Montanari, Massimo Murru

マッシモ・ムッル「オネーギン」デビュー

11月3日、スカラ座のエトワールがクランコ振付の都会暮らしの悩める主役を踊る。それは、「カルラ・フラッチの踊りを見て以来夢だった」役、「踊り手であると同時に俳優であることも要求される」役である。

遂に「オネーギン」である。ミラノ・スカラ座のエトワール、マッシモ・ムッルが、チャイコフスキーの音楽にジョン・クランコ*が振付けたこの作品の、都会暮らしに倦み、人生に苦悩し幻滅している主役を初めて演じる。
アレクサンドル・プーシキン**の韻文小説から生まれたこのバレエ作品は、貴族のオネーギンへのタチヤーナの悲恋の物語
であるが、最終幕で彼女が、戻ってきたオネーギンの気持ちを拒否するところで状況は逆転する。

ムッルは「何年も前からオネーギンを演じることを夢見ていた」と告白する。1993年にカルラ・フラッチがタチヤーナを演じるのを観て以来である。「それはまるで電気ショックでした。彼女の動きひとつひとつに人生が見えた」とムッルは回想する。

イタリア人として史上初めてパリ・オペラ座にゲストとして迎えられ、また偉大なコンテンポラリーの振付家ローラン・プティの贔屓でもあり、プティによるいくつかの著名作品も彼のために作られたというマッシモ・ムッルは、ロベルト・ボッレと共にスカラ座のエトワールである。ただボッレとの違いは、劇場の舞台以外でスポットライトを浴びるのを好まないことだ。

*John Cranko(1927-1973):サドラー・ウェルズバレエ(現ロイヤル)の振付家。出身地の南アフリカでバレエを学んだ後ロンドンへ渡る。イギリスで振付家として名を成したのち1961年からドイツ・シュツットガルトバレエ団の芸術監督を務め、同バレエ団をヨーロッパ有数のバレエ団に育てた。生涯で90作を超えるバレエ作品を作り上げ、「オネーギン」は彼の代表作であり、オペラや映画にもなっている。バレエの初演は1963年シュツットガルト。

**Alelsandr Puškin(1799~1837):モスクワ出身のロシア人詩人・作家、1832年に完成した韻文小説「エヴゲーニイ・オネーギン」の主人公オネーギンは、ロシア社会になじめない青年の典型とされた。ヒロインのタチヤーナは情熱的な女性で、貴族の出身でありながら農民文化の理解者でもあり、その後のロシア文芸の女性像に影響を与えた。1831年にプーシキンは結婚するが、彼の進歩思想を嫌った宮廷貴族達に焚きつけられたフランス人のジョルジュ・ダンテスがプーシキンの妻に執拗に言い寄ったためプーシキンは決闘を挑み、決闘で受けた傷がもとでその2日後に息を引き取った。

Massimo Murru & Emanuela Montanari in Onegin

オネーギンとはどのような人物ですか?
非常に複雑で多面性を持った人物です。彼は何もかも全てに嫌気がさしていて、貴族の典型であるややスノッブなところを持ち合わせています。同時に唐突に自らの人生を捨ててしまったことを悟った男。これらのこと全体に信憑性を持たせるのは容易でありません。本当らしくあるためにかなりの内省を要します。加えてこの物語が多くの人に知られていないこともより一層難しくしています。

俳優的な要素も少し必要ですか?
断然必要です。クランコは革命的な振付家です。彼の手にかかると音楽もパ(ステップ)も溶けて消えてしまい、そこには物語しか残らない。「椿姫」や「ロミオとジュリエット」でも行うように、作品の読み込みを通しての下準備もあります。もちろん、このバレエにはテクニック面での落とし穴もあります。パドゥドゥは非常に複雑なので、踊るためにはパートナーシップが抜群でなければなりません。でも重要なのはいかに真実さを持たせるか、いかにストーリーを語るかです。僕にとってこれは大きな挑戦です。

あたなにとって一つの挑戦ということで、やはり「オネーギン」を初めて演じたばかりのロベルト・ボッレにも同様ですが、20年ものキャリアを経て初めて立ち向かうわけですね。
ちょうどふさわしい、成熟期に訪れた挑戦です。もうずっと、こんな複雑な役と奮闘してみたかった。1993年にカルラ・フラッチがタチヤーナ役を踊るのを観て以来です。僕にとってそれはヨハネの黙示録*であり、覚醒、パトス、真実であり、ものすごくリアルだった。彼女の動きひとつひとつの中に人生があった。だからその時自分に言いました。「これだ、これをいつも舞台でしなければいけないんだ」と。
*神からの啓示、隠されていたものが明らかにされる例え。

Carla Fracci in Tatjiana

フラッチ以外にあなたのダンサーとしての成長に寄与したアーティストはいますか?
僕は然るべき時に然るべき人と出会う幸運に恵まれました。例えばエリザベッタ・テラブストがそうです。僕がローラン・プティと知り合うべきだと直感的に悟ったのは彼女でした。シルヴィ・ギエムにもかなり負うものがあります。なぜなら彼女のお陰でバレエとはただ美しい衣装を着て舞台に立ち自らの美と卓越性を示すことではないと分かったから。
バレエダンサーはテクニックと美だけでなく、自分が誰なのかを表現しなくてはならないと。

しかしながらシルヴィ・ギエムは彼女の物性的な美しさを表現するダンスへと移行していきました…
彼女がすぐさま成功したのは、かつてここまで背が高く美しく、あくまで自然な高さから見たこともないような高さまで自由自在に上がる脚を持ったバレリーナは存在しなかったからです。しかしシルヴィはただそれだけではありません。
生まれ持ったもので容易に成功した彼女こそが、誰よりも無制限に鍛錬する人間のひとりなのです。あらゆる動きひとつひとつになぜ?と自問しながら。なぜならそれが(舞台上での)"語り"の鍵だから。
常にモデルで寄りはなく役者寄りでなくては。でないと観客はあなたの踊りでなくあなたを見に来ます。アーティスト自身より名前だけが有名になるという、テレビで起きがちな現象のリスクもあります。劇場の生命が劇の登場人物たちでなく役者たちになってしまいます。
Sylvie Guillem in Sacred Monster chopreograhed by Akram Khan

イタリアでは劇場が苦しい時を迎えています。
才能ある若者にとって、数年前と比べより難しい時です。僕が20歳の頃は、将来を考えた時には明確な道筋が見えましたが、今日ではそうはいきません。今は不確かさとリスクの時代です。我々が今直面している不景気も勿論ですが、政治的にも芸術分野はサポートされていませんし、逆に「締めだされ」る一方です。

 新聞によればジュリオ・トレモンティ経財相(注:既に辞任)が言ったという「人は文化を食べて生きていけない」*フレーズについてどう思われますか?
確かに文化は食べられないけれど、僕は文化をなす者として食べていかなきゃならない。文化をどう位置づけるべきか?これはごく単純な議論です。経済危機を意識するのはいいけれど、こんな風に全てを一般化することは出来ません。同じことがどのセクターにも当てはめられます。人々は(文化も食わないが)政治だって食わない。それなら議会の議員数を減らした方がいいのでは?この論理でいくと、パン屋以外殆どのアクティビティは辞めないといけなくなる。確かに劇場は今厳しい。多くの赤字の背景にはそれだけの年数の粗末な経営とその経営から供された恩恵にあずかった人々が存在するのです。しかしその代償を今日(の劇場)を担う若者が払わされるのは不条理です。
*2010年10月に、経済危機を理由に予算削減されたことに対しボンディ文化相が異論を唱えると、トレモンティ経済相が皮肉って「人は文化は食べられない」と発言した(と報道された)件。

(fin.)
03 novembre 2010
Chiara Ribichini
「オネーギン」 決闘シーン Eugene Onegin by Repin

参考:
【「オネーギン」あらすじ】
話はエヴゲーニイ・オネーギンの生い立ちの紹介から始まる。都会の生活に倦んだエヴゲーニイは、田舎に引っ越し、そこでヴラジーミル・レンスキーという青年と仲良くなる。ある日レンスキーは自分の婚約者であるオリガの家族をエウゲーニイに紹介する。オリガの姉タチヤーナは、そこでエヴゲーニイに一目ぼれをし、恋文によってその気持ちを伝えるが、エヴゲーニイは彼女に心を惹かれつつも、その申し出を拒絶した。傷心のタチヤーナは奇妙な夢を見る。怪物達が「タチヤーナは俺のものだ」と言いながら喧嘩をしている。暫くしてエヴゲーニイがヴラヂーミルをナイフで刺してしまう。その後、些細なことからエヴゲーニイとヴラジーミルの二人は決闘となり、ヴラヂーミルは負けて命を落としてしまった。何年か後、社交界にて、エヴゲーニイとタチヤーナは久し振りに再会する。そこでエウゲーニイはタチヤーナの魅力に気がつくが、タチヤーナはすでに将軍の妻となっていた。それでもよりを戻そうとエヴゲーニイは何度もタチヤーナに手紙を送ったが、一度も返事は来なかった。数ヶ月経って、彼は直接彼女に会い、自らの気持を伝えるが、彼の申し出が受け入れられることは無かった。(Wikipediaより)


Alina Cojocaru and Johan Kobborg in Onegin


訳者感想

ある別の記事を読んだ時「夢」「踊ってみたい作品」としてマッシモが挙げていたのが「オネーギン」だったので、どんな作品なのか興味を持っていました。だからこの記事を見つけた時はとても嬉しかったし、訳しながら引き込まれる感じでした。「オネーギン」については何も知りませんでしたが、このバレエ作品を演じるのは非常に難しく、マッシモの言うようにある程度の年をとり成熟したダンサーでなくては演じられないと聞きました。その彼がようやくオネーギンを射止めた!のが昨年(2010)だったわけですが、今年スカラの「オネーギン」から降板になったのはどういう理由からなのかわかりませんが、非常に残念に思っています。ぜひ今後この演目を踊る機会が訪れてほしい、一度で終わってほしくないですし、私も彼のオネーギンが観たいです。

作品も興味深いですがもっと興味深いのは著者アレクサンダー・プーシキンの人生です。オネーギンが友人を決闘で殺した如くプーシキンの人生も決闘で終わっているところが本当にドラマです。

ほんの数日前にアップした別のインタビュー(Intervista esclusiva a massimo Murru by Sky TV , 恐らく2006年か2007年ごろ)当時は、「スカラは毎日満席」と言っていたのに、2010年のこのインタビューでは経済状況も様変わりして、劇場界にとって厳しい時代を迎えているとのこと、私も心配になってしまいます。そしてつい最近のイタリアの経済危機の影響はどのように劇場界に響くのでしょう。もう30年も毎日鍛錬を重ねてきたマッシモや他のダンサー達はどうしているのか。そんな大変な折、日本も東日本大震災で大変とはいえ、日本に来て夢のような舞台で勇気づけてくれたマッシモとシルヴィに感謝です。(*2011年10月 Hope Japanツアー)


【原文】

Ciak si danza: Massimo Murru debutta in Onegin

Il 3 novembre l’étoile del Teatro alla Scala sarà l’annoiato dandy protagonista della coreografia di Cranko. Un ruolo “che sognavo di fare da quando vidi ballare Carla Fracci“ e che richiede “di essere anche attori, non solo danzatori”. L’INTERVISTA

Finalmente Onegin. Il 3 novembre l’étoile Massimo Murru debutta al Teatro alla Scala di Milano nel ruolo del dandy ozioso, annoiato e disilluso dalla vita, protagonista del balletto di John Cranko su musica di Tchaikovsky. Un dramma danzato tratto dal romanzo in versi di Aleksandr Puškin sull'infelice amore di Tatjana per l'aristocratico Onegin, situazione che si capovolge nell'ultimo atto quando sarà lei a respingere i sentimenti del tormentato protagonista. Murru “sognava di essere Onegin da anni”, come confessa a Sky.it. Da quando, nel 1993, vide Carla Fracci interpretare Tatjana. “E’ stata una folgorazione, in ogni suo movimento c’era vita” ricorda.
Primo italiano nella storia ad essere invitato come ospite d’onore all’Opera di Parigi, uno degli interpreti preferiti dal grande coreografo contemporaneo Roland Petit, che proprio per lui ha creato alcuni dei suoi balletti più celebri, Murru è insieme con Roberto Bolle étoile del Teatro alla Scala. A differenza di quest’ultimo, però, non ama essere sotto i riflettori fuori dal palcoscenico.

Chi è Onegin?
E’ un personaggio estremamente complesso e pieno di sfaccettature. E’ annoiato da tutto e da tutti, ha quell’indifferenza un po’snob tipica di un aristocratico. E, allo stesso tempo, è un uomo che a un tratto si rende conto di aver buttato via la propria vita. E’ difficile rendere credibile tutto questo. Ci vuole un grande lavoro di introspezione per riuscire ad essere veri. E il fatto che non si tratti di una storia nota al grande pubblico non aiuta.


Bisogna essere un po’ attori?
Assolutamente sì. In questo Cranko è un coreografo rivoluzionario perché con lui la musica e i passi si fondono e scompaiono. E resta solo la storia. Non a caso il lavoro di preparazione passa anche attraverso la lettura dell’opera. Come accade per La dama delle Camelie o Romeo e Giulietta. Certo, è un balletto che presenta anche insidie dal punto di vista tecnico. I passi a due sono molto complessi e, per affrontarli, bisogna essere degli ottimi partner. Ma il banco di prova è lì: nella capacità di essere veri e di raccontare. In quel qualcosa che trasforma un danzatore in un artista. Per me è una grande sfida.


Una sfida che per te, come anche per Roberto Bolle che ha appena debuttato proprio in Onegin, arriva dopo vent’anni di carriera…
Arriva nel momento giusto: nella maturità. Da tempo desideravo scontrarmi con un personaggio così complesso. Da quando, nel 1993, vidi Carla Fracci danzare nel ruolo di Tatjana. Per me fu una rivelazione. Un’illuminazione. Pathos, verità, era tutto così reale. In ogni suo movimento c’era vita. E in quel momento mi sono detto: “Ecco, è questo che bisognerebbe sempre fare sul palcoscenico”.


Oltre alla Fracci ci sono altri artisti che hanno segnato la tua crescita professionale?
Ho avuto la fortuna di incontrare le persone giuste nel momento giusto. Come Elisabetta Terabust (nota ballerina italiana, ex direttrice del Teatro alla Scala, ndr).
E’ stata lei a intuire che avrei dovuto conoscere Roland Petit. Ma devo molto anche a Sylvie Guillem (l’étoile di origine francese che per anni è stata la numero uno della danza al mondo, ndr) perché grazie a lei ho capito che danzare non è mettersi il bel costumino e incantare il pubblico con la propria bellezza e bravura. Un ballerino deve saper portare sulla scena non solo il suo bagaglio tecnico ed estetico, ma anche un’idea di chi è.

Eppure Sylvie Guillem è passata alla storia della danza per la sua bellezza e fisicità…
Ha avuto un successo immediato perché non c’era mai stata una danzatrice così alta, bella e con gambe capaci di raggiungere nel modo più naturale possibile altezze fino a quel momento mai viste. Ma Sylvie è ben altro. Proprio lei, alla quale tutto riusciva facile grazie a madre natura, è una delle persone che io ho visto lavorare di più in assoluto, chiedersi sempre il perché di ogni movimento. Perché è questa la chiave del discorso. Bisogna essere sempre più attori e sempre meno modelli altrimenti la gente viene a vedere te e non il balletto. E il rischio è che diventi più importante il nome che l’artista, così come spesso accade in tv. Il teatro vive di persone, non di personaggi.


Il teatro vive un momento difficile, soprattutto in Italia…
Essere giovani talenti oggi è molto più difficile rispetto a qualche anno fa. Quando io avevo vent’anni e pensavo al mio futuro vedevo un percorso ben preciso davanti a me. Oggi non è così. E’ il momento dell’incertezza, della precarietà. Colpa del momento in cui viviamo, certo, ma anche delle politiche che non aiutano il mondo del teatro ma, al contrario, non fanno altro che “tagliare”.

E alla frase "la gente non mangia cultura" che secondo i giornali sarebbe stata detta dal ministro dell’Economia Giulio Tremonti (che però ha smentito) cosa ti senti di rispondere?E’ vero che la gente non mangia cultura, ma io che faccio cultura devo mangiare. Come la mettiamo? E’ un discorso semplicistico. E’ giusto rendersi conto della crisi economica ma non si può banalizzare tutto così.
La stessa formula potrebbe essere applicata a tutti i settori. La gente non mangia neanche politica: potremmo dunque evitare di avere un numero così alto di parlamentari. Seguendo questa logica si finirebbe per lasciare aperte solo le botteghe del pane e poche altre attività. Certo, il teatro ha le sue colpe. Dietro tanti conti in rosso ci sono spesso anni di pessime gestioni e persone che hanno approfittato delle loro posizioni. Ma non è giusto che a pagarne le conseguenze siano oggi le giovani leve.


03 novembre 2010
Chiara Ribichini