2011年12月28日水曜日

Interview : Massimo Murru's debut in Onegin


Ciak si danza: Massimo Murru debutta in Onegin

マッシモ・ムッル単発インタビュー紹介シリーズ第3段。
マッシモ念願の「オネーギン」初舞台に関する記事です。
どのようにして「オネーギン」を切望するに至ったのか?そして世界的なバレリーナ、カルラ・フラッチやシルヴィ・ギエムについて語っています!

イタリック体は訳者注釈です。
出典:イタリアのTV局Skyウェブサイトより。(2010年11月3日付)

  with Emanuela Montanari, Massimo Murru

マッシモ・ムッル「オネーギン」デビュー

11月3日、スカラ座のエトワールがクランコ振付の都会暮らしの悩める主役を踊る。それは、「カルラ・フラッチの踊りを見て以来夢だった」役、「踊り手であると同時に俳優であることも要求される」役である。

遂に「オネーギン」である。ミラノ・スカラ座のエトワール、マッシモ・ムッルが、チャイコフスキーの音楽にジョン・クランコ*が振付けたこの作品の、都会暮らしに倦み、人生に苦悩し幻滅している主役を初めて演じる。
アレクサンドル・プーシキン**の韻文小説から生まれたこのバレエ作品は、貴族のオネーギンへのタチヤーナの悲恋の物語
であるが、最終幕で彼女が、戻ってきたオネーギンの気持ちを拒否するところで状況は逆転する。

ムッルは「何年も前からオネーギンを演じることを夢見ていた」と告白する。1993年にカルラ・フラッチがタチヤーナを演じるのを観て以来である。「それはまるで電気ショックでした。彼女の動きひとつひとつに人生が見えた」とムッルは回想する。

イタリア人として史上初めてパリ・オペラ座にゲストとして迎えられ、また偉大なコンテンポラリーの振付家ローラン・プティの贔屓でもあり、プティによるいくつかの著名作品も彼のために作られたというマッシモ・ムッルは、ロベルト・ボッレと共にスカラ座のエトワールである。ただボッレとの違いは、劇場の舞台以外でスポットライトを浴びるのを好まないことだ。

*John Cranko(1927-1973):サドラー・ウェルズバレエ(現ロイヤル)の振付家。出身地の南アフリカでバレエを学んだ後ロンドンへ渡る。イギリスで振付家として名を成したのち1961年からドイツ・シュツットガルトバレエ団の芸術監督を務め、同バレエ団をヨーロッパ有数のバレエ団に育てた。生涯で90作を超えるバレエ作品を作り上げ、「オネーギン」は彼の代表作であり、オペラや映画にもなっている。バレエの初演は1963年シュツットガルト。

**Alelsandr Puškin(1799~1837):モスクワ出身のロシア人詩人・作家、1832年に完成した韻文小説「エヴゲーニイ・オネーギン」の主人公オネーギンは、ロシア社会になじめない青年の典型とされた。ヒロインのタチヤーナは情熱的な女性で、貴族の出身でありながら農民文化の理解者でもあり、その後のロシア文芸の女性像に影響を与えた。1831年にプーシキンは結婚するが、彼の進歩思想を嫌った宮廷貴族達に焚きつけられたフランス人のジョルジュ・ダンテスがプーシキンの妻に執拗に言い寄ったためプーシキンは決闘を挑み、決闘で受けた傷がもとでその2日後に息を引き取った。

Massimo Murru & Emanuela Montanari in Onegin

オネーギンとはどのような人物ですか?
非常に複雑で多面性を持った人物です。彼は何もかも全てに嫌気がさしていて、貴族の典型であるややスノッブなところを持ち合わせています。同時に唐突に自らの人生を捨ててしまったことを悟った男。これらのこと全体に信憑性を持たせるのは容易でありません。本当らしくあるためにかなりの内省を要します。加えてこの物語が多くの人に知られていないこともより一層難しくしています。

俳優的な要素も少し必要ですか?
断然必要です。クランコは革命的な振付家です。彼の手にかかると音楽もパ(ステップ)も溶けて消えてしまい、そこには物語しか残らない。「椿姫」や「ロミオとジュリエット」でも行うように、作品の読み込みを通しての下準備もあります。もちろん、このバレエにはテクニック面での落とし穴もあります。パドゥドゥは非常に複雑なので、踊るためにはパートナーシップが抜群でなければなりません。でも重要なのはいかに真実さを持たせるか、いかにストーリーを語るかです。僕にとってこれは大きな挑戦です。

あたなにとって一つの挑戦ということで、やはり「オネーギン」を初めて演じたばかりのロベルト・ボッレにも同様ですが、20年ものキャリアを経て初めて立ち向かうわけですね。
ちょうどふさわしい、成熟期に訪れた挑戦です。もうずっと、こんな複雑な役と奮闘してみたかった。1993年にカルラ・フラッチがタチヤーナ役を踊るのを観て以来です。僕にとってそれはヨハネの黙示録*であり、覚醒、パトス、真実であり、ものすごくリアルだった。彼女の動きひとつひとつの中に人生があった。だからその時自分に言いました。「これだ、これをいつも舞台でしなければいけないんだ」と。
*神からの啓示、隠されていたものが明らかにされる例え。

Carla Fracci in Tatjiana

フラッチ以外にあなたのダンサーとしての成長に寄与したアーティストはいますか?
僕は然るべき時に然るべき人と出会う幸運に恵まれました。例えばエリザベッタ・テラブストがそうです。僕がローラン・プティと知り合うべきだと直感的に悟ったのは彼女でした。シルヴィ・ギエムにもかなり負うものがあります。なぜなら彼女のお陰でバレエとはただ美しい衣装を着て舞台に立ち自らの美と卓越性を示すことではないと分かったから。
バレエダンサーはテクニックと美だけでなく、自分が誰なのかを表現しなくてはならないと。

しかしながらシルヴィ・ギエムは彼女の物性的な美しさを表現するダンスへと移行していきました…
彼女がすぐさま成功したのは、かつてここまで背が高く美しく、あくまで自然な高さから見たこともないような高さまで自由自在に上がる脚を持ったバレリーナは存在しなかったからです。しかしシルヴィはただそれだけではありません。
生まれ持ったもので容易に成功した彼女こそが、誰よりも無制限に鍛錬する人間のひとりなのです。あらゆる動きひとつひとつになぜ?と自問しながら。なぜならそれが(舞台上での)"語り"の鍵だから。
常にモデルで寄りはなく役者寄りでなくては。でないと観客はあなたの踊りでなくあなたを見に来ます。アーティスト自身より名前だけが有名になるという、テレビで起きがちな現象のリスクもあります。劇場の生命が劇の登場人物たちでなく役者たちになってしまいます。
Sylvie Guillem in Sacred Monster chopreograhed by Akram Khan

イタリアでは劇場が苦しい時を迎えています。
才能ある若者にとって、数年前と比べより難しい時です。僕が20歳の頃は、将来を考えた時には明確な道筋が見えましたが、今日ではそうはいきません。今は不確かさとリスクの時代です。我々が今直面している不景気も勿論ですが、政治的にも芸術分野はサポートされていませんし、逆に「締めだされ」る一方です。

 新聞によればジュリオ・トレモンティ経財相(注:既に辞任)が言ったという「人は文化を食べて生きていけない」*フレーズについてどう思われますか?
確かに文化は食べられないけれど、僕は文化をなす者として食べていかなきゃならない。文化をどう位置づけるべきか?これはごく単純な議論です。経済危機を意識するのはいいけれど、こんな風に全てを一般化することは出来ません。同じことがどのセクターにも当てはめられます。人々は(文化も食わないが)政治だって食わない。それなら議会の議員数を減らした方がいいのでは?この論理でいくと、パン屋以外殆どのアクティビティは辞めないといけなくなる。確かに劇場は今厳しい。多くの赤字の背景にはそれだけの年数の粗末な経営とその経営から供された恩恵にあずかった人々が存在するのです。しかしその代償を今日(の劇場)を担う若者が払わされるのは不条理です。
*2010年10月に、経済危機を理由に予算削減されたことに対しボンディ文化相が異論を唱えると、トレモンティ経済相が皮肉って「人は文化は食べられない」と発言した(と報道された)件。

(fin.)
03 novembre 2010
Chiara Ribichini
「オネーギン」 決闘シーン Eugene Onegin by Repin

参考:
【「オネーギン」あらすじ】
話はエヴゲーニイ・オネーギンの生い立ちの紹介から始まる。都会の生活に倦んだエヴゲーニイは、田舎に引っ越し、そこでヴラジーミル・レンスキーという青年と仲良くなる。ある日レンスキーは自分の婚約者であるオリガの家族をエウゲーニイに紹介する。オリガの姉タチヤーナは、そこでエヴゲーニイに一目ぼれをし、恋文によってその気持ちを伝えるが、エヴゲーニイは彼女に心を惹かれつつも、その申し出を拒絶した。傷心のタチヤーナは奇妙な夢を見る。怪物達が「タチヤーナは俺のものだ」と言いながら喧嘩をしている。暫くしてエヴゲーニイがヴラヂーミルをナイフで刺してしまう。その後、些細なことからエヴゲーニイとヴラジーミルの二人は決闘となり、ヴラヂーミルは負けて命を落としてしまった。何年か後、社交界にて、エヴゲーニイとタチヤーナは久し振りに再会する。そこでエウゲーニイはタチヤーナの魅力に気がつくが、タチヤーナはすでに将軍の妻となっていた。それでもよりを戻そうとエヴゲーニイは何度もタチヤーナに手紙を送ったが、一度も返事は来なかった。数ヶ月経って、彼は直接彼女に会い、自らの気持を伝えるが、彼の申し出が受け入れられることは無かった。(Wikipediaより)


Alina Cojocaru and Johan Kobborg in Onegin


訳者感想

ある別の記事を読んだ時「夢」「踊ってみたい作品」としてマッシモが挙げていたのが「オネーギン」だったので、どんな作品なのか興味を持っていました。だからこの記事を見つけた時はとても嬉しかったし、訳しながら引き込まれる感じでした。「オネーギン」については何も知りませんでしたが、このバレエ作品を演じるのは非常に難しく、マッシモの言うようにある程度の年をとり成熟したダンサーでなくては演じられないと聞きました。その彼がようやくオネーギンを射止めた!のが昨年(2010)だったわけですが、今年スカラの「オネーギン」から降板になったのはどういう理由からなのかわかりませんが、非常に残念に思っています。ぜひ今後この演目を踊る機会が訪れてほしい、一度で終わってほしくないですし、私も彼のオネーギンが観たいです。

作品も興味深いですがもっと興味深いのは著者アレクサンダー・プーシキンの人生です。オネーギンが友人を決闘で殺した如くプーシキンの人生も決闘で終わっているところが本当にドラマです。

ほんの数日前にアップした別のインタビュー(Intervista esclusiva a massimo Murru by Sky TV , 恐らく2006年か2007年ごろ)当時は、「スカラは毎日満席」と言っていたのに、2010年のこのインタビューでは経済状況も様変わりして、劇場界にとって厳しい時代を迎えているとのこと、私も心配になってしまいます。そしてつい最近のイタリアの経済危機の影響はどのように劇場界に響くのでしょう。もう30年も毎日鍛錬を重ねてきたマッシモや他のダンサー達はどうしているのか。そんな大変な折、日本も東日本大震災で大変とはいえ、日本に来て夢のような舞台で勇気づけてくれたマッシモとシルヴィに感謝です。(*2011年10月 Hope Japanツアー)


【原文】

Ciak si danza: Massimo Murru debutta in Onegin

Il 3 novembre l’étoile del Teatro alla Scala sarà l’annoiato dandy protagonista della coreografia di Cranko. Un ruolo “che sognavo di fare da quando vidi ballare Carla Fracci“ e che richiede “di essere anche attori, non solo danzatori”. L’INTERVISTA

Finalmente Onegin. Il 3 novembre l’étoile Massimo Murru debutta al Teatro alla Scala di Milano nel ruolo del dandy ozioso, annoiato e disilluso dalla vita, protagonista del balletto di John Cranko su musica di Tchaikovsky. Un dramma danzato tratto dal romanzo in versi di Aleksandr Puškin sull'infelice amore di Tatjana per l'aristocratico Onegin, situazione che si capovolge nell'ultimo atto quando sarà lei a respingere i sentimenti del tormentato protagonista. Murru “sognava di essere Onegin da anni”, come confessa a Sky.it. Da quando, nel 1993, vide Carla Fracci interpretare Tatjana. “E’ stata una folgorazione, in ogni suo movimento c’era vita” ricorda.
Primo italiano nella storia ad essere invitato come ospite d’onore all’Opera di Parigi, uno degli interpreti preferiti dal grande coreografo contemporaneo Roland Petit, che proprio per lui ha creato alcuni dei suoi balletti più celebri, Murru è insieme con Roberto Bolle étoile del Teatro alla Scala. A differenza di quest’ultimo, però, non ama essere sotto i riflettori fuori dal palcoscenico.

Chi è Onegin?
E’ un personaggio estremamente complesso e pieno di sfaccettature. E’ annoiato da tutto e da tutti, ha quell’indifferenza un po’snob tipica di un aristocratico. E, allo stesso tempo, è un uomo che a un tratto si rende conto di aver buttato via la propria vita. E’ difficile rendere credibile tutto questo. Ci vuole un grande lavoro di introspezione per riuscire ad essere veri. E il fatto che non si tratti di una storia nota al grande pubblico non aiuta.


Bisogna essere un po’ attori?
Assolutamente sì. In questo Cranko è un coreografo rivoluzionario perché con lui la musica e i passi si fondono e scompaiono. E resta solo la storia. Non a caso il lavoro di preparazione passa anche attraverso la lettura dell’opera. Come accade per La dama delle Camelie o Romeo e Giulietta. Certo, è un balletto che presenta anche insidie dal punto di vista tecnico. I passi a due sono molto complessi e, per affrontarli, bisogna essere degli ottimi partner. Ma il banco di prova è lì: nella capacità di essere veri e di raccontare. In quel qualcosa che trasforma un danzatore in un artista. Per me è una grande sfida.


Una sfida che per te, come anche per Roberto Bolle che ha appena debuttato proprio in Onegin, arriva dopo vent’anni di carriera…
Arriva nel momento giusto: nella maturità. Da tempo desideravo scontrarmi con un personaggio così complesso. Da quando, nel 1993, vidi Carla Fracci danzare nel ruolo di Tatjana. Per me fu una rivelazione. Un’illuminazione. Pathos, verità, era tutto così reale. In ogni suo movimento c’era vita. E in quel momento mi sono detto: “Ecco, è questo che bisognerebbe sempre fare sul palcoscenico”.


Oltre alla Fracci ci sono altri artisti che hanno segnato la tua crescita professionale?
Ho avuto la fortuna di incontrare le persone giuste nel momento giusto. Come Elisabetta Terabust (nota ballerina italiana, ex direttrice del Teatro alla Scala, ndr).
E’ stata lei a intuire che avrei dovuto conoscere Roland Petit. Ma devo molto anche a Sylvie Guillem (l’étoile di origine francese che per anni è stata la numero uno della danza al mondo, ndr) perché grazie a lei ho capito che danzare non è mettersi il bel costumino e incantare il pubblico con la propria bellezza e bravura. Un ballerino deve saper portare sulla scena non solo il suo bagaglio tecnico ed estetico, ma anche un’idea di chi è.

Eppure Sylvie Guillem è passata alla storia della danza per la sua bellezza e fisicità…
Ha avuto un successo immediato perché non c’era mai stata una danzatrice così alta, bella e con gambe capaci di raggiungere nel modo più naturale possibile altezze fino a quel momento mai viste. Ma Sylvie è ben altro. Proprio lei, alla quale tutto riusciva facile grazie a madre natura, è una delle persone che io ho visto lavorare di più in assoluto, chiedersi sempre il perché di ogni movimento. Perché è questa la chiave del discorso. Bisogna essere sempre più attori e sempre meno modelli altrimenti la gente viene a vedere te e non il balletto. E il rischio è che diventi più importante il nome che l’artista, così come spesso accade in tv. Il teatro vive di persone, non di personaggi.


Il teatro vive un momento difficile, soprattutto in Italia…
Essere giovani talenti oggi è molto più difficile rispetto a qualche anno fa. Quando io avevo vent’anni e pensavo al mio futuro vedevo un percorso ben preciso davanti a me. Oggi non è così. E’ il momento dell’incertezza, della precarietà. Colpa del momento in cui viviamo, certo, ma anche delle politiche che non aiutano il mondo del teatro ma, al contrario, non fanno altro che “tagliare”.

E alla frase "la gente non mangia cultura" che secondo i giornali sarebbe stata detta dal ministro dell’Economia Giulio Tremonti (che però ha smentito) cosa ti senti di rispondere?E’ vero che la gente non mangia cultura, ma io che faccio cultura devo mangiare. Come la mettiamo? E’ un discorso semplicistico. E’ giusto rendersi conto della crisi economica ma non si può banalizzare tutto così.
La stessa formula potrebbe essere applicata a tutti i settori. La gente non mangia neanche politica: potremmo dunque evitare di avere un numero così alto di parlamentari. Seguendo questa logica si finirebbe per lasciare aperte solo le botteghe del pane e poche altre attività. Certo, il teatro ha le sue colpe. Dietro tanti conti in rosso ci sono spesso anni di pessime gestioni e persone che hanno approfittato delle loro posizioni. Ma non è giusto che a pagarne le conseguenze siano oggi le giovani leve.


03 novembre 2010
Chiara Ribichini

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