2011年12月28日水曜日

Interview : Massimo Murru's debut in Onegin


Ciak si danza: Massimo Murru debutta in Onegin

マッシモ・ムッル単発インタビュー紹介シリーズ第3段。
マッシモ念願の「オネーギン」初舞台に関する記事です。
どのようにして「オネーギン」を切望するに至ったのか?そして世界的なバレリーナ、カルラ・フラッチやシルヴィ・ギエムについて語っています!

イタリック体は訳者注釈です。
出典:イタリアのTV局Skyウェブサイトより。(2010年11月3日付)

  with Emanuela Montanari, Massimo Murru

マッシモ・ムッル「オネーギン」デビュー

11月3日、スカラ座のエトワールがクランコ振付の都会暮らしの悩める主役を踊る。それは、「カルラ・フラッチの踊りを見て以来夢だった」役、「踊り手であると同時に俳優であることも要求される」役である。

遂に「オネーギン」である。ミラノ・スカラ座のエトワール、マッシモ・ムッルが、チャイコフスキーの音楽にジョン・クランコ*が振付けたこの作品の、都会暮らしに倦み、人生に苦悩し幻滅している主役を初めて演じる。
アレクサンドル・プーシキン**の韻文小説から生まれたこのバレエ作品は、貴族のオネーギンへのタチヤーナの悲恋の物語
であるが、最終幕で彼女が、戻ってきたオネーギンの気持ちを拒否するところで状況は逆転する。

ムッルは「何年も前からオネーギンを演じることを夢見ていた」と告白する。1993年にカルラ・フラッチがタチヤーナを演じるのを観て以来である。「それはまるで電気ショックでした。彼女の動きひとつひとつに人生が見えた」とムッルは回想する。

イタリア人として史上初めてパリ・オペラ座にゲストとして迎えられ、また偉大なコンテンポラリーの振付家ローラン・プティの贔屓でもあり、プティによるいくつかの著名作品も彼のために作られたというマッシモ・ムッルは、ロベルト・ボッレと共にスカラ座のエトワールである。ただボッレとの違いは、劇場の舞台以外でスポットライトを浴びるのを好まないことだ。

*John Cranko(1927-1973):サドラー・ウェルズバレエ(現ロイヤル)の振付家。出身地の南アフリカでバレエを学んだ後ロンドンへ渡る。イギリスで振付家として名を成したのち1961年からドイツ・シュツットガルトバレエ団の芸術監督を務め、同バレエ団をヨーロッパ有数のバレエ団に育てた。生涯で90作を超えるバレエ作品を作り上げ、「オネーギン」は彼の代表作であり、オペラや映画にもなっている。バレエの初演は1963年シュツットガルト。

**Alelsandr Puškin(1799~1837):モスクワ出身のロシア人詩人・作家、1832年に完成した韻文小説「エヴゲーニイ・オネーギン」の主人公オネーギンは、ロシア社会になじめない青年の典型とされた。ヒロインのタチヤーナは情熱的な女性で、貴族の出身でありながら農民文化の理解者でもあり、その後のロシア文芸の女性像に影響を与えた。1831年にプーシキンは結婚するが、彼の進歩思想を嫌った宮廷貴族達に焚きつけられたフランス人のジョルジュ・ダンテスがプーシキンの妻に執拗に言い寄ったためプーシキンは決闘を挑み、決闘で受けた傷がもとでその2日後に息を引き取った。

Massimo Murru & Emanuela Montanari in Onegin

オネーギンとはどのような人物ですか?
非常に複雑で多面性を持った人物です。彼は何もかも全てに嫌気がさしていて、貴族の典型であるややスノッブなところを持ち合わせています。同時に唐突に自らの人生を捨ててしまったことを悟った男。これらのこと全体に信憑性を持たせるのは容易でありません。本当らしくあるためにかなりの内省を要します。加えてこの物語が多くの人に知られていないこともより一層難しくしています。

俳優的な要素も少し必要ですか?
断然必要です。クランコは革命的な振付家です。彼の手にかかると音楽もパ(ステップ)も溶けて消えてしまい、そこには物語しか残らない。「椿姫」や「ロミオとジュリエット」でも行うように、作品の読み込みを通しての下準備もあります。もちろん、このバレエにはテクニック面での落とし穴もあります。パドゥドゥは非常に複雑なので、踊るためにはパートナーシップが抜群でなければなりません。でも重要なのはいかに真実さを持たせるか、いかにストーリーを語るかです。僕にとってこれは大きな挑戦です。

あたなにとって一つの挑戦ということで、やはり「オネーギン」を初めて演じたばかりのロベルト・ボッレにも同様ですが、20年ものキャリアを経て初めて立ち向かうわけですね。
ちょうどふさわしい、成熟期に訪れた挑戦です。もうずっと、こんな複雑な役と奮闘してみたかった。1993年にカルラ・フラッチがタチヤーナ役を踊るのを観て以来です。僕にとってそれはヨハネの黙示録*であり、覚醒、パトス、真実であり、ものすごくリアルだった。彼女の動きひとつひとつの中に人生があった。だからその時自分に言いました。「これだ、これをいつも舞台でしなければいけないんだ」と。
*神からの啓示、隠されていたものが明らかにされる例え。

Carla Fracci in Tatjiana

フラッチ以外にあなたのダンサーとしての成長に寄与したアーティストはいますか?
僕は然るべき時に然るべき人と出会う幸運に恵まれました。例えばエリザベッタ・テラブストがそうです。僕がローラン・プティと知り合うべきだと直感的に悟ったのは彼女でした。シルヴィ・ギエムにもかなり負うものがあります。なぜなら彼女のお陰でバレエとはただ美しい衣装を着て舞台に立ち自らの美と卓越性を示すことではないと分かったから。
バレエダンサーはテクニックと美だけでなく、自分が誰なのかを表現しなくてはならないと。

しかしながらシルヴィ・ギエムは彼女の物性的な美しさを表現するダンスへと移行していきました…
彼女がすぐさま成功したのは、かつてここまで背が高く美しく、あくまで自然な高さから見たこともないような高さまで自由自在に上がる脚を持ったバレリーナは存在しなかったからです。しかしシルヴィはただそれだけではありません。
生まれ持ったもので容易に成功した彼女こそが、誰よりも無制限に鍛錬する人間のひとりなのです。あらゆる動きひとつひとつになぜ?と自問しながら。なぜならそれが(舞台上での)"語り"の鍵だから。
常にモデルで寄りはなく役者寄りでなくては。でないと観客はあなたの踊りでなくあなたを見に来ます。アーティスト自身より名前だけが有名になるという、テレビで起きがちな現象のリスクもあります。劇場の生命が劇の登場人物たちでなく役者たちになってしまいます。
Sylvie Guillem in Sacred Monster chopreograhed by Akram Khan

イタリアでは劇場が苦しい時を迎えています。
才能ある若者にとって、数年前と比べより難しい時です。僕が20歳の頃は、将来を考えた時には明確な道筋が見えましたが、今日ではそうはいきません。今は不確かさとリスクの時代です。我々が今直面している不景気も勿論ですが、政治的にも芸術分野はサポートされていませんし、逆に「締めだされ」る一方です。

 新聞によればジュリオ・トレモンティ経財相(注:既に辞任)が言ったという「人は文化を食べて生きていけない」*フレーズについてどう思われますか?
確かに文化は食べられないけれど、僕は文化をなす者として食べていかなきゃならない。文化をどう位置づけるべきか?これはごく単純な議論です。経済危機を意識するのはいいけれど、こんな風に全てを一般化することは出来ません。同じことがどのセクターにも当てはめられます。人々は(文化も食わないが)政治だって食わない。それなら議会の議員数を減らした方がいいのでは?この論理でいくと、パン屋以外殆どのアクティビティは辞めないといけなくなる。確かに劇場は今厳しい。多くの赤字の背景にはそれだけの年数の粗末な経営とその経営から供された恩恵にあずかった人々が存在するのです。しかしその代償を今日(の劇場)を担う若者が払わされるのは不条理です。
*2010年10月に、経済危機を理由に予算削減されたことに対しボンディ文化相が異論を唱えると、トレモンティ経済相が皮肉って「人は文化は食べられない」と発言した(と報道された)件。

(fin.)
03 novembre 2010
Chiara Ribichini
「オネーギン」 決闘シーン Eugene Onegin by Repin

参考:
【「オネーギン」あらすじ】
話はエヴゲーニイ・オネーギンの生い立ちの紹介から始まる。都会の生活に倦んだエヴゲーニイは、田舎に引っ越し、そこでヴラジーミル・レンスキーという青年と仲良くなる。ある日レンスキーは自分の婚約者であるオリガの家族をエウゲーニイに紹介する。オリガの姉タチヤーナは、そこでエヴゲーニイに一目ぼれをし、恋文によってその気持ちを伝えるが、エヴゲーニイは彼女に心を惹かれつつも、その申し出を拒絶した。傷心のタチヤーナは奇妙な夢を見る。怪物達が「タチヤーナは俺のものだ」と言いながら喧嘩をしている。暫くしてエヴゲーニイがヴラヂーミルをナイフで刺してしまう。その後、些細なことからエヴゲーニイとヴラジーミルの二人は決闘となり、ヴラヂーミルは負けて命を落としてしまった。何年か後、社交界にて、エヴゲーニイとタチヤーナは久し振りに再会する。そこでエウゲーニイはタチヤーナの魅力に気がつくが、タチヤーナはすでに将軍の妻となっていた。それでもよりを戻そうとエヴゲーニイは何度もタチヤーナに手紙を送ったが、一度も返事は来なかった。数ヶ月経って、彼は直接彼女に会い、自らの気持を伝えるが、彼の申し出が受け入れられることは無かった。(Wikipediaより)


Alina Cojocaru and Johan Kobborg in Onegin


訳者感想

ある別の記事を読んだ時「夢」「踊ってみたい作品」としてマッシモが挙げていたのが「オネーギン」だったので、どんな作品なのか興味を持っていました。だからこの記事を見つけた時はとても嬉しかったし、訳しながら引き込まれる感じでした。「オネーギン」については何も知りませんでしたが、このバレエ作品を演じるのは非常に難しく、マッシモの言うようにある程度の年をとり成熟したダンサーでなくては演じられないと聞きました。その彼がようやくオネーギンを射止めた!のが昨年(2010)だったわけですが、今年スカラの「オネーギン」から降板になったのはどういう理由からなのかわかりませんが、非常に残念に思っています。ぜひ今後この演目を踊る機会が訪れてほしい、一度で終わってほしくないですし、私も彼のオネーギンが観たいです。

作品も興味深いですがもっと興味深いのは著者アレクサンダー・プーシキンの人生です。オネーギンが友人を決闘で殺した如くプーシキンの人生も決闘で終わっているところが本当にドラマです。

ほんの数日前にアップした別のインタビュー(Intervista esclusiva a massimo Murru by Sky TV , 恐らく2006年か2007年ごろ)当時は、「スカラは毎日満席」と言っていたのに、2010年のこのインタビューでは経済状況も様変わりして、劇場界にとって厳しい時代を迎えているとのこと、私も心配になってしまいます。そしてつい最近のイタリアの経済危機の影響はどのように劇場界に響くのでしょう。もう30年も毎日鍛錬を重ねてきたマッシモや他のダンサー達はどうしているのか。そんな大変な折、日本も東日本大震災で大変とはいえ、日本に来て夢のような舞台で勇気づけてくれたマッシモとシルヴィに感謝です。(*2011年10月 Hope Japanツアー)


【原文】

Ciak si danza: Massimo Murru debutta in Onegin

Il 3 novembre l’étoile del Teatro alla Scala sarà l’annoiato dandy protagonista della coreografia di Cranko. Un ruolo “che sognavo di fare da quando vidi ballare Carla Fracci“ e che richiede “di essere anche attori, non solo danzatori”. L’INTERVISTA

Finalmente Onegin. Il 3 novembre l’étoile Massimo Murru debutta al Teatro alla Scala di Milano nel ruolo del dandy ozioso, annoiato e disilluso dalla vita, protagonista del balletto di John Cranko su musica di Tchaikovsky. Un dramma danzato tratto dal romanzo in versi di Aleksandr Puškin sull'infelice amore di Tatjana per l'aristocratico Onegin, situazione che si capovolge nell'ultimo atto quando sarà lei a respingere i sentimenti del tormentato protagonista. Murru “sognava di essere Onegin da anni”, come confessa a Sky.it. Da quando, nel 1993, vide Carla Fracci interpretare Tatjana. “E’ stata una folgorazione, in ogni suo movimento c’era vita” ricorda.
Primo italiano nella storia ad essere invitato come ospite d’onore all’Opera di Parigi, uno degli interpreti preferiti dal grande coreografo contemporaneo Roland Petit, che proprio per lui ha creato alcuni dei suoi balletti più celebri, Murru è insieme con Roberto Bolle étoile del Teatro alla Scala. A differenza di quest’ultimo, però, non ama essere sotto i riflettori fuori dal palcoscenico.

Chi è Onegin?
E’ un personaggio estremamente complesso e pieno di sfaccettature. E’ annoiato da tutto e da tutti, ha quell’indifferenza un po’snob tipica di un aristocratico. E, allo stesso tempo, è un uomo che a un tratto si rende conto di aver buttato via la propria vita. E’ difficile rendere credibile tutto questo. Ci vuole un grande lavoro di introspezione per riuscire ad essere veri. E il fatto che non si tratti di una storia nota al grande pubblico non aiuta.


Bisogna essere un po’ attori?
Assolutamente sì. In questo Cranko è un coreografo rivoluzionario perché con lui la musica e i passi si fondono e scompaiono. E resta solo la storia. Non a caso il lavoro di preparazione passa anche attraverso la lettura dell’opera. Come accade per La dama delle Camelie o Romeo e Giulietta. Certo, è un balletto che presenta anche insidie dal punto di vista tecnico. I passi a due sono molto complessi e, per affrontarli, bisogna essere degli ottimi partner. Ma il banco di prova è lì: nella capacità di essere veri e di raccontare. In quel qualcosa che trasforma un danzatore in un artista. Per me è una grande sfida.


Una sfida che per te, come anche per Roberto Bolle che ha appena debuttato proprio in Onegin, arriva dopo vent’anni di carriera…
Arriva nel momento giusto: nella maturità. Da tempo desideravo scontrarmi con un personaggio così complesso. Da quando, nel 1993, vidi Carla Fracci danzare nel ruolo di Tatjana. Per me fu una rivelazione. Un’illuminazione. Pathos, verità, era tutto così reale. In ogni suo movimento c’era vita. E in quel momento mi sono detto: “Ecco, è questo che bisognerebbe sempre fare sul palcoscenico”.


Oltre alla Fracci ci sono altri artisti che hanno segnato la tua crescita professionale?
Ho avuto la fortuna di incontrare le persone giuste nel momento giusto. Come Elisabetta Terabust (nota ballerina italiana, ex direttrice del Teatro alla Scala, ndr).
E’ stata lei a intuire che avrei dovuto conoscere Roland Petit. Ma devo molto anche a Sylvie Guillem (l’étoile di origine francese che per anni è stata la numero uno della danza al mondo, ndr) perché grazie a lei ho capito che danzare non è mettersi il bel costumino e incantare il pubblico con la propria bellezza e bravura. Un ballerino deve saper portare sulla scena non solo il suo bagaglio tecnico ed estetico, ma anche un’idea di chi è.

Eppure Sylvie Guillem è passata alla storia della danza per la sua bellezza e fisicità…
Ha avuto un successo immediato perché non c’era mai stata una danzatrice così alta, bella e con gambe capaci di raggiungere nel modo più naturale possibile altezze fino a quel momento mai viste. Ma Sylvie è ben altro. Proprio lei, alla quale tutto riusciva facile grazie a madre natura, è una delle persone che io ho visto lavorare di più in assoluto, chiedersi sempre il perché di ogni movimento. Perché è questa la chiave del discorso. Bisogna essere sempre più attori e sempre meno modelli altrimenti la gente viene a vedere te e non il balletto. E il rischio è che diventi più importante il nome che l’artista, così come spesso accade in tv. Il teatro vive di persone, non di personaggi.


Il teatro vive un momento difficile, soprattutto in Italia…
Essere giovani talenti oggi è molto più difficile rispetto a qualche anno fa. Quando io avevo vent’anni e pensavo al mio futuro vedevo un percorso ben preciso davanti a me. Oggi non è così. E’ il momento dell’incertezza, della precarietà. Colpa del momento in cui viviamo, certo, ma anche delle politiche che non aiutano il mondo del teatro ma, al contrario, non fanno altro che “tagliare”.

E alla frase "la gente non mangia cultura" che secondo i giornali sarebbe stata detta dal ministro dell’Economia Giulio Tremonti (che però ha smentito) cosa ti senti di rispondere?E’ vero che la gente non mangia cultura, ma io che faccio cultura devo mangiare. Come la mettiamo? E’ un discorso semplicistico. E’ giusto rendersi conto della crisi economica ma non si può banalizzare tutto così.
La stessa formula potrebbe essere applicata a tutti i settori. La gente non mangia neanche politica: potremmo dunque evitare di avere un numero così alto di parlamentari. Seguendo questa logica si finirebbe per lasciare aperte solo le botteghe del pane e poche altre attività. Certo, il teatro ha le sue colpe. Dietro tanti conti in rosso ci sono spesso anni di pessime gestioni e persone che hanno approfittato delle loro posizioni. Ma non è giusto che a pagarne le conseguenze siano oggi le giovani leve.


03 novembre 2010
Chiara Ribichini

2011年12月25日日曜日

Intervista esclusiva a Massimo Murru

Artisti - Intervista esclusiva a Massimo Murru

マッシモの単発インタビュー紹介シリーズその2。

イタリアのウィークリーマガジン、Fusi Orariのインタービューシリーズで過去に紹介されました。Fusi Orariは国際関係、政治、文化など幅広いテーマを取り上げているようです。

マッシモ・ムッルが語る、ロイヤルオペラハウス・パリオペラ座・ミラノスカラ座の比較や、多忙を極める時期の生活、メディアに対する批判、著名な振付家の作品についての意見など、盛りだくさんです!
*イタリック体は訳者注釈です。

Massimo Murru in "Mediterranea"

マッシモ・ムッル 特別インタビュー

ミラノ ― スカラ座のアーティスト出入口では、人目に付く心配はない。ひとり、ジーンズにダークカラーのジャケット、サングラスなしに出てくる。それともマッシモ・ムッルは舞台で熱狂的なファンには慣れているのか。舞台後のステージ・ドアにはサインをもらうための列ができる。ロンドンはロイヤル・オペラハウス・オブ・コベント・ガーデン、パリ・オペラ座、果ては東京、ニューヨークまで。
2003年来スカラ座のエトワールであるマッシモは、イタリア生まれの才能を十年来発信しつづけてきた。クラシックからコンテンポラリーまで、彼はそのテクニックのみならず、その知的かつ奥行のある解釈によって自らを差別化している。(中略)


どういう状態で、ダンスが単なる趣味ではなくあなたの職業になると分かった(もしくは決意した)のですか?
Elizabetta Terabust
どの状態…僕にもわからないですね。10歳というまだ幼い頃にバレエを始めました。どんなことに出会うのか見当もつかず、バレエは一度も見たことはなかったし、両親も熱心に劇場に通っていたわけではありませんでした。僕はこの全く慣れない場所に身を置いて、一歩一歩あゆんで来た結果、ディプロマまで至ったのです。「エトワールになろう」とか「<白鳥の湖>を踊ろう」などとは一度も考えたことはなかった。ものごとが自ずと、徐々に発展していったのです。(ディプロマの後)すぐに(スカラの)バレエ団に入団し、ソリストになり、次にプリンシパルダンサーになりました。エリザベッタ・テラブスト*がディレクターを務めていた時、1994年にプリンシパルダンサーに昇進しました。

*Elisabetta Terabust(1946~): ローマ・オペラ座バレエ学校から同バレエ団に入団し72年にエトワールとなるが翌年ロンドン・フェスティバル・バレエ(現・英国国立バレエ)に移籍する。80年代にイタリアへ戻り、エミリア州のAterballettoで様々な主役を務めたのち90~92年ローマ・オペラ座、93~97年ミラノ・スカラ座、2000~02年フィレンツェ五月音楽祭劇場(Teatro del Maggio musicale fiorentino)、02年ナポリ・サンカルロ劇場と、バレエ団の監督を歴任したのち07年より再びスカラ座に戻るが、現在スカラのバレエ・ディレクターはMakhar Vazievが着任。



ディプロマをもらってわずか数年後ですね?
はい、しかしエトワールに命名されたのは2003年のことです。その間はスカラ座には固定メンバーではなくゲストという形でいることを選びました。

多くのコンテンポラリーの振付家があなたのための役を作りだしました。そういった時、重大な責任を感じますか?それともむしろ既存の作品を踊る方が難しいですか?
既に存在する振付を踊る場合の入れ込みは比較すると弱いです。自分に関して言えば、たとえ既存の作品であっても常に自分が何をしているのかよく考えます。つまり(誰かの)過去の何かリピートにならないようにすること。そして(舞台が終わると)コスチュームを脱ぎ捨てて家に帰ります。
それに対し新たな作品に対峙する時のコミットメントはビジブルで、(舞台に立ってない時も)いつでも感じられます。ある作品の踊り手になる事にとどまらず、その誕生の一端を担いさらにその生みの親となるのです。振付師がどれだけダンサーの考えや貢献を受け入れるかにもよりますが、ダンサーのコミットメントがより深いのは明らかです。
もし振付家との関係が良好で、彼が気難しいタイプでなければ、役の創作に大きな困難はありません。作品のクリエーションにたずさわることは、アーティストにとってもっともすばらしいことの一つです。たとえジゼルのようなクラシックバレエの主役を新しい振付によって再生するときでさえも常に責任は感じます。役柄の典型的イメージに自分を合わせることを避け、シグフリードでなくアルブレヒトなのは衣装が違うだけだという感覚に陥いることのないようにします。

William Forsythe
あなたのために作品を作った振付家と仕事をする中で、最も素晴らしかった経験は何ですか?
もちろんローラン・プティによる、カルラ・フラッチと共演した「シェリ」ですね。それは僕にとっての通過点であり成長期間でした。プティはどの振付師よりも多くを僕のために作ってくれた。フォーサイスも、自分とは一つの作品しかありません(スカラ座での「Quartetto」 by Ferri, Maximiliano Guerra, Desmond Richardson, and Massimo Murru, Sep 8-17, 1998) が、素晴らしかった。マッツ・エックと彼の振付けた「ジゼル」を作り上げた(彼との作品も一つのみですが)こと、それ以前にもコヴェント・ガーデンでの「カルメン」に取り組んだことも、非常に重要な経験でした。


ベジャールとはどうだったのですか*?
ベジャールは今日最も偉大な振付師の一人です。約50年のキャリアと数多くの作品。その全てが完璧な成功を収めたわけではないかもしれませんが、クリエーターとしての才能に疑いの余地はありません。まず「ボレロ」について話しましょう。ボレロは彼の作品の中では珍しく、振付という観点からはあまり優れているとは言えませんが、メディア的視点からは大成功した作品です。今日、ラヴェル作曲の、かつベジャール振付による「ボレロ」は、その丸テーブル**に上がる者は皆、凡庸なダンサーからルチアナ・サヴィニャーノやシルヴィ・ギエム(のような非凡なダンサー)まで全ての者が成功しています。まさにルチアナ・サヴィニャーノやシルヴィ・ギエムは(他の作品でも)センセーショナルだけれど、(ベジャールの「ボレロ」はその)あまりに強い印象のために、誰でも成功に導くことができます。
*マッシモは「さすらう若者の歌」「春の祭典」などのベジャール作品を踊っている。 **ベジャール振付による「ボレロ」は赤い円台の上で主役が踊る。
Luciana Savignano in "Boléro"


Sylvie Guillem in "Boléro"
自分はモダンな作品に適応しているダンサーだと思いますか?
モダンなダンサーという意味がよくわからないな・・・すべてのダンサーは現代的でなくてはなりませんから!モダンなダンサー、またはコンテンポラリーなダンサーというのはつまりはその時代のダンサーだと思います。この定義が自分に当てはまるかどうかわかりません。どんなラベルを貼るのか僕の判断に委ねるとすると、モダンなダンサーというのは、王子の役が出来る、悲劇の中の役も踊れる、抽象的な作品にも対応出来るダンサーですね。

パリ・オペラ座の天井画(マーク・シャガール)
ミラノ、パリ、ロンドンなどあらゆる劇場で踊ってきて、どのような違いを感じましたか?
パリ・オペラ座は巨大なマシーンのように、何が起ころうとも停止することなく、ひとりでに機能するようにできています。ヌレエフが道筋を示し、以来車輪は回り続けている。組織は大規模で、(労働)時間は安定かつ固定しており、規律も厳しく守られています。
対して英国ロイヤルバレエでは、(ダンサー達は)奴隷のように働いています!ただ恐らくバレエ団の質的レベルはやや落ちると思う。キーロフバレエ(マリインスキー・バレエ)を例に取りましょう。彼らは揃って身長180cmで、皆モデル並に美しい。パリ・オペラ座のダンサーは180もありませんが、皆美しく均一です。ロイヤルバレエではこうはいかない。バレエ団の質に均一性はありません。しかし彼らの働き方は驚異的です。
仮にリハが10:30からだとしたら、レッスンは9:30に始まり、リハは18:00まで続き、本番が19:30に始まるのです。
僕がコベントガーデンに居た時目にしたバレリーナ達は、レッスン室からまた次のレッスン室へ、「白鳥の湖」のバリエーション、「眠りの森の美女」、そして「オネーギン」のパドゥドゥ、「カルメン」の練習をこなし、夜の「バヤデール」の舞台へと向かって行った。僕はびっくり仰天してしまった。問題は、日中5つのバレエを踊ると、夕方にはもう自分が誰だか分からなくなる。衣装を身につけ、すべきことをするだけです。もちろん自分の役柄は強く感じられますが。
Royal Opera House  (Covent Garden)
週に8つ上演し、世界ツアーをたった一日の休みのみで移動して廻るという、非常に強靭なバレエ団を目にしているのだと強く意識させられます。それが彼らの長所であり、また彼らにとってはそれが普通なのです。

コベントガーデンでは、観衆もまた異なりますよね。
その通りです。彼らはオフィスを出た後まるで映画に行くかの如く劇場へ行く。皆そう言っているし、本当にそうなのです。彼らはバレエを熟知し、ダンサーの解釈・表現に対してとても厳しい。初めてコベントガーデンに行った時はゾクゾクしましたね!終演後人々がシルヴィ(・ギエム)のところへ来てこう言いました。「あなたはもうこの演目は踊っちゃいけない、それこれを踊るべきだ!」と。良くも悪くもイタリアでは考えられないシチュエーションです。

あなたの演じる多くの有名な役の中でコンテンポラリーでないものに「マノン」のデグリュがあります。このバレエの成功要因は何だと思いますか?
ケネス・マクミラン(「マノン」の振付師)はストーリーにふさわしい解釈の鍵を見つけることに成功したと思う。パドゥドゥが受ける強力な時代の試練に耐えるバレエです。 マクミランは知らないけれど、初代デグリュであるアンソニー・ダウエルとロンドンでこの作品に取り組みました。
初めて「マノン」を踊ることになり、プリンシパルダンサーになった。翌年またマノンを踊る時、何も理解していないと感じる。そしてロンドンでダウエルと仕事をする機会が訪れる。
「マノン」はいわば彼の為に作られた作品です。そしてやはり何もわかっていなかったと気づくのです!そして全く新たな作品に取り掛かるかのように一から始めるわけです。
「マノン」は非常にインパクトの強いバレエです。理由の一つは踊り手が解釈を強いられること。もし人物の解釈をしなければその踊り手はおしまいです。観客は映画にでも行った方が、より安いしより楽しめるでしょう。
The original Manon and Des Grieux: Antoinette Sibley and Anthony Dowell in 1974
アンソニー・ダウエルと仕事が出来たのはとてつもない幸運でした。彼はもうかなり前にロイヤル・バレエの監督を引退しています。僕が彼に出会えたのは、彼がG.M.役を演じる為に(ロイヤルに)招かれており、シルヴィが僕たちの練習を見に来て欲しいと頼んだからです。それに「マノン」はロイヤルバレエ団に属する作品です。このバレエはロイヤルオペラハウスで生まれたのです。舞台には特別な雰囲気があり、それがプラテア(平土間)まで伝わってくる。

ところで、あなたのイメージはというと控えめなアーティストで、名声を鼻であしらうとか。あなたはシャイなのですか、それともスターダムが好きではない?
(真の)スターダムが今も存在するとは思えません。もしも自分が誰かを語るために良いイメージを作るのが役立つんだったら、スナップショットやインタビューというのが助けになるでしょうし、ダンサーを職業とする人がたいてい持っているナルシシズムの欲求を満たしてもくれるでしょう。しかし僕は今日のメディアやジャーナリズムで目にするスターダムの在り方は好きではありませんね。僕は物事を軽く捉えたくはないですね、長期的にはそれが(人々に自分が)重く感じられる危険性はありますが。

下着姿でテレビに出るくらいなら家に居た方がよっぽどマシです。今日では視認性が欲しければ何らかの方法で自己宣伝をしなくてはならないご時世なのは解っています。しかし誰にも選択権はある。当然50年代のスターダムにはそれなりの魅力がありましたが、契約上結婚したり付き合ったり好きなように食べたりできない男優や女優たち・・・ただし今のスターダムはこれとは比較になりません!僕は本業のパフォーマンスを可能な限り良くしようと努力していますから、それ以外のことに興味はありません。
マッツ・エック版「ジゼル」を踊った時、あらゆるニュースに自分が載った。Striscia la notiziaNovella 2000の見開きに、僕のお尻を最前面に出してね。ありえません!こうした事全てが僕は好きではないのです。だから今まで色々な提案が来ても断りました。例えばファッション系のスタジオでシャツの前をはだけて写真を撮る依頼が来たりした時。僕は観客がバレエを観に劇場へ来てくれること、自分がどれだけ良いパフォーマンスが出来るかで劇場に来てくれることを願うのみです。開いた脚や、胸板を見るためではなくてね。

Rudolph Nureyev (1938-1993)
あなたのことをシャイで捉えどころのないイメージに仕立て上げているメディアの声を否定するということですね。
その通りです。クラシックバレエのダンサーの中で、エトワールはテレビや時の俳優たちを軽蔑し批判するけれど、いざ誌面に写真が載る機会があると何をおいてもそれを得ようとする。少し矛盾しています。もしメディアを好まず出ないと決めたなら、そうした機会が訪れても飛びつかないはずでしょう。
つまりいわゆるスターダムのこうした側面に関して言えば、何を受け入れ何を拒否するかという事になります。少なくとも僕がプールでのテレビ撮影を頼まれた時にはそうしています。
我々はクラーク・ゲーブル*ではないのです!もしくは人々に平手打ちを喰らわせに出て行ったヌレエフでもない。我々は皆、何よりも自分たちの仕事に専念しなくては。
*Clark Gable(1901~1960): 30年代を代表するアメリカの映画俳優。 「風と共に去りぬ」のレット・バトラー役として非常に有名

ではこの類の名声はダンサーの役には立たないと思われますか。
スカラ座にとってマッシモ・ムッルがカレンダーになる必要はないでしょうし、ましてやロイヤルオペラハウスやパリ・オペラ座は言うまでもありません。スカラは毎日、誰が舞台に上がる日であろうと、どの階も満席です。イタリアではどんな時でも個々人の好みが尊重されます*。(*特定の有名スターが演じる時のみ満席になったりしないことを揶揄)
ロンドンでは劇場側が擁するアーティスト達のイメージを前面に押し出しています。タマラ・ロホやアリーナ・コジョカル(共にロイヤルバレエのエトワール)が雑誌のカバーを飾り、演目のポスターが展示され売られています。スカラではこうした事は起こらない、もしくはあったとしても滅多にありません。

1週間に4~5回舞台があるような多忙な時期、例えばロンドンで2回ミラノで3回とかそんな時は、仕事以外はどういった生活をしていますか。
そういう時は生活全てが仕事漬けです。朝6時に起きてロンドンでのリハに間に合う唯一の飛行機に乗り、舞台で踊り、ディナーに出かけて、ホテルに戻って目覚ましを5時にセットする。その時間に起きてタクシーに乗らないと、ミラノでの次の舞台に間に合う唯一の飛行機を逃してしまうから。こうした時期は疲れを感じないメカニズムが働いていて、疲れを感じません。後になってリラックスした時初めて疲れに気付くのです。そういう時どっと疲れが出たりします。でも真っ只中にいる時は進むしかない。一日でものすごいスケジュールをこなしたことがあります、もちろん東京ではそうはいかないけれど、ロンドンではままあることです。
ロンドンに朝10時に着いて地下鉄に乗り45分後にはロイヤルに着いて、すぐにリハが始まる。そして5時半になるとマッツ・エック(当時僕らは「カルメン」の練習をしていた)に頼んで、まだあと30分リハが残っているけど、9時にミラノ行き最終便に乗らなければ、翌日プティ版「ノートルダム・ド・パリ」を踊れないから一足先にあがらせてくれと頼む。これが1週間に2回もありました。スカラで舞台があるのに、ちょうどその日程にマッツがロンドンで時間が取れることも知っている。ロンドンに行くか、舞台をキャンセルするか。あとで考えて初めて自問する。"一体僕はどうやってやりくりしたんだ?"と。もちろんこのような時に映画やショッピングに行く方が楽しいのになどと考える余裕はありません。

プティ版「ノートルダム・ド・パリ」練習風景 (ルグリ、ムッル他)
いずれにしてもそんな状態は長くは続けられませんね。
はい。たとえ肉体的に耐えたとしても負担が大きいですし、遅かれ早かれ何かの形で代償を払うことになるでしょう。踊りに全てを捧げて、引退した時には疲れ果ててしまったという話は、伝説的なダンサーだけのものではありません。それに、もし恋愛や友情を本当に知らなければ、舞台上で何が語れるでしょう?愛はキャリアの二の次・・・でもどうやって?僕達はいつも相反する力の間でバランスを取るポイントを見つけなくてはならない。全てを解決する数式は存在しないけれどね。生涯ただ待ち続ける人もいるけど、大恋愛は訪れない。これは職業は関係ないですけどね!

非常に多くのダンサーがバレエ団の同僚の中から恋人を見つけていますね。

そうですね、ある意味便利ですから。それに恐らく、一生涯の恋人が劇場の前を通り過ぎたとしても、「白鳥の湖」を練習していて巡り会う事が出来ないのかもしれない。でもそれは職業を問わず誰にでも起こりうる事ですけどね!

パートナーと(解釈について)同意出来なくても踊ることができますか?
同意できないというのがどういう意味なのか考える必要があります。問題があってもお互いへの敬意があれば踊れます。議論があるかもしれないし、話し合いや、したければ言い争いをしてもいいでしょう。でも根底にプロとしての敬意がなくてはなりません。火花が散るのは求めないけれど僕の人生で2回だけありました。それでもプロの敬意は保っていましたけどね。もしこの敬意がないと、すべてが非常に困難になります。このような場合、僕は一緒に踊るのを極力避けます。それが不可能な時は”ヒキガエルを呑み”ますね*。しかしそういう時はパフォーマンスが上手くいかないし、(パートナー間に問題があるのは)見ていて明らかです。*(とても嫌なことを我慢する例え)

あなたが「ジゼル」のクラシック版、シルヴィ・ギエム版、マッツ・エック版を踊ったように、同じ物語でも振付の異なる作品を踊る時、変わるのは踊りだけですか、それともバレエの雰囲気が何か変わりますか?
雰囲気自体が変わりますね。「ジゼル」が今日まで生き続けてこられたのはその極めてシンプルな、ありきたりとも言えるストーリーゆえです。ある観点からは間違いなく秀逸なバレエですが、ストーリーは非常に凡庸です。エック版、ギエム版のように、同じ物語を元に、異なる解釈をし、独自のバージョンを生み出すことができるというのは非常に興味深い。これらはクリエーションではなく、単に一時的にお互い結ばれただけです。
シルヴィ・ギエム版のもっとも大胆な点は、舞台の上での”言語”を作り出す能力と意欲です。それに対しエックの「ジゼル」は色調の違いであり、ストーリーにあまり沿わない変化形を提示しています:ジゼルは第1幕の終わりで死んで精霊という形になって再び登場するのではなく、混乱して大騒ぎします。ここではサブスタンス(実質)ではなくフォーム(形式)を変化させています。僕は、最初から最後までただ一つの音調も変えることなく「ジゼル」を再解釈したエック版は、非常に素晴らしいと思います。


中でも特に思い出深い舞台というのはありますか?
もちろんです。考えてみると不思議な感じです、例えば拍手の記憶というのは曖昧なものです。でも「シェリ」の初演はいつでも鮮明に思い出します。コベントガーデンでの「マノン」もよく覚えているし、最近だと2005年11月のロンドンでの「ロミオとジュリエット」ですね。スカラ座での初の「ジゼル」も挙げておきましょう。それらは全て強い感情を伴った記憶で、今でもその感情は自分の中に残っています。

Sylvie Guillem, Massimo Murru in "Manon"

 - Alessandro Bizzotto
(fin.)

【原文】
MILANO – All’ingresso artisti della Scala sembra non correre il rischio di essere riconosciuto. Esce solo, jeans e giacca scura, senza arie o occhiali neri. Eppure in scena Massimo Murru è abituato a mandare in delirio fan e appassionati; per un autografo dopo gli spettacoli fanno la fila alle stage door di mezzo mondo, dalla Royal Opera House del Covent Garden londinese all’Opéra di Parigi, fino a Tokyo e a New York.
Ètoile al Teatro alla Scala dal 2003, Massimo esporta il talento italiano da oltre dieci anni. Dai classici di repertorio alle creazioni contemporanee, ha saputo distinguersi non solo per tecnica, ma anche per spessore e intelligenza interpretativa.
sguardo sveglio, il garbo sottile, l’intelligenza acuta, Murru solleva il discorso dal pantano del luogo comune: difende le sue scelte con convinzione, affonda con lucidità il bisturi nelle carni del divismo nostrano, parla di sé senza mai prendersi troppo sul serio. Sopra due tazze di cappuccino la conversazione parte in quarta, allungandosi oltre la scaletta dell’intervista standard.


A che età hai capito (o deciso) che danzare era la tua strada professionale, non solo una passione da coltivare?
A che età… non saprei dirtelo! Ho iniziato giovanissimo, entrando a dieci anni alla scuola della Scala. Non sapevo a cosa andavo incontro, non avevo mai visto un balletto, i miei genitori non erano appassionati di teatro. Mi sono trovato in questo posto stranissimo, e passo dopo passo ho compiuto il percorso che mi ha portato al diploma. Non ho mai pensato “Diventerò étoile, ballerò Il lago dei cigni”; le cose si sono evolute in modo graduale. Sono entrato subito in corpo di ballo, ho iniziato a ricoprire i primi ruoli da solista e poi da primo ballerino; nel 1994 sono stato promosso Primo ballerino, sotto la direzione di Elisabetta Terabust…
… pochissimi anni dopo il diploma, vero?
Sì. La nomina a étoile invece è arrivata nel 2003, dopo diversi anni in cui avevo scelto di essere legato alla Scala come guest, anziché come membro fisso dell’organico.
Molti coreografi contemporanei hanno creato ruoli per te. Percepisci un senso di responsabilità maggiore, in queste occasioni? O è più difficile arrivare e ballare qualcosa che già esiste?
Quando arrivi e ti trovi a dover ballare su una coreografia che già esiste il coinvolgimento è ovviamente meno forte. Resta sempre, per quanto mi riguarda, la volontà di ragionare su quanto si sta facendo, pur in presenza di un balletto già creato come possono essere quelli di repertorio; evitare insomma di rifare qualcosa che c’è per poi togliermi il costume la sera e andare a casa. Quando ti trovi di fronte a una creazione nuova il tuo impegno è presente in modo costante, è visibile: non ti limiti ad essere interprete di un lavoro, ne fai parte dalla nascita e puoi esserne artefice. Il coinvolgimento è ovviamente maggiore, anche se dipende dal coreografo che ti trovi davanti, da quanto questo lascia spazio al tuo apporto e alle tue idee. Se il rapporto con il coreografo è buono e sa essere disteso, non c’è maggiore difficoltà nel creare un ruolo: è una delle cose più belle che possano capitare a un’artista. La responsabilità, poi, la senti sempre, anche quando fai rivivere il protagonista di un balletto classico come Giselle, evitando di adattarti al cliché del personaggio e di sentirti Albrecht anziché Sigfrido solo perché ne indossi il costume. Per me non funziona così.
Quali sono le esperienze più belle, fra quelle che hai avuto con coreografi che hanno creato su di te?
Sicuramente Cheri di Roland Petit, accanto a Carla Fracci. Ha rappresentato un momento di passaggio e di crescita. Petit è il coreografo che più di tutti ha creato per me. Ma anche Forsythe, con cui ho solo una creazione. È stato comunque importante lavorare con Mats Ek (anche se non si è trattato di una creazione) in occasione della sua Giselle, e più avanti per Carmen a Covent Garden. Auguro alle nuove leve che escono oggi dalla scuola della Scala di incontrare personaggi simili!
Com’è andata con Béjart?
È un altro nome fra i più grandi oggi. Cinquant’anni di carriera e tantissime creazioni… non tutte riuscite perfettamente forse, ma il talento del creatore resta indubbio. Parlavamo prima di Bolero: è una delle sue poche opere non geniali dal punto di vista coreografico, ma strabilianti dal punto di vista mediatico. Oggi Bolero, oltre che di Ravel, è di Béjart, e chiunque salga su quel tavolo tondo ha successo, dalla ballerina più insignificante a Luciana Savignano o Sylvie Guillem. Alcuni interpreti poi restano strepitosi a prescindere, come Luciana e Sylvie appunto, ma la presa è talmente forte e immediata che Bolero è in grado di portare al successo chiunque.
Ti ritrovi nella definizione di danzatore adatto al repertorio moderno?
Non so bene cosa si intenda per danzatore moderno… un danzatore deve essere moderno del resto! Il danzatore moderno o contemporaneo è un danzatore del suo tempo, alla fine. Non so se mi si addica come definizione. È riduttivo a mio giudizio dare etichette: il ballerino adatto a fare il principe, quello adatto alle figure tragiche, quello adatto a creazioni astratte… Dovremmo cercare, soprattutto oggi, di poter affrontare tutti gli aspetti della nostra arte.
Tant’è che, fra i tuoi ruoli più celebri, c’è quello in un’opera non contemporanea: Des Grieux in Manon. A cosa pensi sia legato il successo di questo balletto?Penso che Kenneth MacMillan, creando Manon, sia riuscito a trovare la chiave di lettura giusta e più adatta alla storia, il balletto resiste all’esame del tempo per la grande forza nei passi a due.
Non ho conosciuto MacMillan, a Londra ho lavorato con Anthony Dowell, che è stato il primo Des Grieux. Ti capita di ballare Manon la prima volta, diventi Primo ballerino, lo riprendi l’anno dopo, e credi di aver capito alcune cose. Poi arriva l’occasione di lavorare a Londra con Dowell, insomma col ballerino per cui Manon fu creato, e ti accorgi che non avevi capito niente! Lì inizi un nuovo lavoro, da capo. Manon è un balletto dall’impatto fortissimo anche perché ti obbliga a interpretare, non c’è scampo! Se non interpreti il personaggio sei finito; per lo spettatore, in quel caso, sarebbe meglio andare al cinema, spendendo meno e divertendosi magari di più. Lavorare con Anthony Dowell è stata una grandissima fortuna; ormai si è ritirato da tempo e non dirige più il Royal Ballet; l’ho incontrato perché era ospite a Covent Garden per interpretare il ruolo dell’anziano Monsieur G. M., e Sylvie [Guillem, n.d.r.] gli aveva chiesto di venire a vedere le prove del balletto. Manon poi è un balletto che appartiene al Royal Ballet, è nato sul palco della Royal Opera House; l’atmosfera in palcoscenico è molto forte, e sa arrivare alla platea.
Quali differenze hai trovato, ballando in teatri diversi, da Milano fino a Parigi, Londra…?
L’Opéra di Parigi è una macchina talmente grossa e rodata da funzionare da sola: non si ferma, qualsiasi cosa accada. Nureyev ha dato il via, e la ruota ha saputo continuare a girare. Ha orari stabiliti e fissi; la compagnia è immensa, e l’ordine va mantenuto per forza. Al Royal Ballet invece lavorano come schiavi! Forse qualitativamente, a livello di corpo di ballo, lo standard è meno elevato. Prendiamo ad esempio il corpo di ballo del Kirov: sono alte un metro e ottanta, sono tutte fotomodelle, sono tutte uguali. All’Opéra di Parigi non sono alte uno e ottanta, ma in corpo di ballo sono comunque tutte belle e simili. A Londra non è più così: non c’è omogeneità nel corpo di ballo. Ma il metodo di lavoro è strabiliante. Se la prova di scena è alle dieci e mezza, la lezione inizia alle nove e mezza, e le prove si susseguono fino alle sei di sera, pur con lo spettacolo che inizia alle sette e mezza. Ho visto ballerine, nei periodi in cui sono stato a Covent Garden, passare da una sala all’altra provando una variazione del Lago dei cigni, La bella addormentata, il passo a due di Onegin, Carmen e ballare poi La Bayadére la sera. Sono rimasto sbalordito. Il problema è che, se provi cinque balletti in un giorno, la sera non sai più nemmeno chi sei; ti metti un costume e fai quello che devi fare. L’interpretazione può risentirne, certo. Ma riconosciamo di trovarci davanti a una compagnia solidissima: otto spettacoli a settimana, tournée ovunque nel mondo con un solo giorno di pausa per trasferirsi da una città all’altra. È il loro mestiere e lo trovano normale.

A Covent Garden hanno anche un pubblico diverso, comunque.
È vero. Vanno a teatro quando escono dall’ufficio, come se andassero al cinema, lo si sente dire ed è verissimo. Conoscono bene i balletti, sono esigentissimi nei confronti degli interpreti: la prima volta che sono stato lì sono rimasto basito! Gente che alla fine degli spettacoli andava da Sylvie a dirle “Lei non deve fare più questo balletto, è meglio che faccia quest’altro”! È una situazione che, nel bene o nel male, qui in Italia è impensabile: purtroppo stiamo scivolando verso un’indifferenza sempre maggiore nei confronti della danza e del balletto. Ciò che accade in teatro e attorno ad esso tende in definitiva a rispecchiare quanto capita fuori, in questa cultura dell’apparire.
A proposito, la tua immagine è quella di un artista riservato che snobba il glamour. Sei timido o non ami il divismo?
Beh, posto che non credo il divismo esista ancora, se la costruzione di un’immagine divistica serve a raccontarti per quello che sei, ben vengano interviste e servizi; possono anche appagare anche quella componente narcisista che possiede quasi sempre chi fa questo mestiere. Ma quello che vedo del divismo di oggi, sui media o nei giornali, non mi piace; non riesco a prendere la cosa con leggerezza, anche se alla lunga rischio di diventare pesante in questo senso.
Sto a casa molto volentieri se l’alternativa è quella di andare in televisione in mutande. Se vuoi avere visibilità oggi devi esporti in un certo modo, lo capisco; ma ognuno è libero di decidere. Certo, visto oggi il divismo degli anni Cinquanta ha un certo fascino: attori e attrici che per contratto non potevano sposarsi, fidanzarsi, mangiare… Ma non mi dirai che il divismo di oggi può essere paragonato a quello! In confronto è davvero desolante. Cerco di fare il mio mestiere nel miglior modo possibile, il resto è davvero poco interessante. Quando ho ballato la Giselle di Mats Ek mi sono trovato su tutti i telegiornali,Striscia la notizia e servizi a doppia pagina di Novella 2000 col mio sedere in primo piano: allora no! Davvero tutto questo non mi piace. E anche per questo ho rifiutato diverse proposte: ti invitano magari per un servizio fotografico in studio in stile molto fashion e con la camicia aperta. Io posso solo augurarmi che il pubblico venga in teatro per vedere lo spettacolo e per quanto riesco a dare in una recita, non perché mostro una gamba scoperta o un pettorale.
Smentisci insomma le voci che ti vogliono timido e sfuggente.
Assolutamente. Fra ballerini classici, étoile e via dicendo si arriccia il naso di fronte al presenzialismo televisivo, all’attore o all’attricetta del momento; li critichiamo, ma poi appena si presenta l’occasione di avere la foto sul giornale corriamo per esserci a qualunque costo. È un po’ un controsenso. Se questa cosa non ti piace e la rifiuti, non corri a farla quanto ti capita l’occasione. Insomma, riguardo questo aspetto del cosiddetto divismo, oggi sono più le cose che ti trovi a rifiutare rispetto a quelle che accetti. Almeno questo è quello che faccio io quando mi chiamano per un servizio televisivo in piscina; nessuno di noi è Clark Gable! O Nureyev, che si permetteva di uscire e schiaffeggiare la gente. Dobbiamo tutti pensare soprattutto a far bene il nostro mestiere.
Questo tipo di notorietà non serve al teatro, a tuo parere?
Non credo che la Scala abbia bisogno che Massimo Murru vada a fare un calendario, per registrare il tutto esaurito. Ovviamente ancora meno ne hanno bisogno la Royal Opera House di Londra o l’Opéra di Parigi. Oggigiorno la Scala è sempre e comunque piena, chiunque sia in scena. In Italia ci troviamo di fronte a scelte personali, in ogni caso. A Londra è il teatro che spesso spinge e supporta l’immagine dei suoi artisti: Tamara Rojo o Alina Cojocaru finiscono sulle copertine dei giornali, le locandine degli spettacoli sono esibite e vendute… In Scala tutto questo non avviene, o comunque avviene in misura decisamente inferiore. La scelta di esporsi e procacciarsi visibilità mediatica resta individuale.
Nei periodi in cui la tua schedule è una morsa e ti trovi ad avere quattro o cinque spettacoli in una settimana, magari due a Londra e tre a Milano, che fine fa la vita fuori dalla professione?
In casi del genere di vita fuori non ce n’è. La tua vita è alzarsi prima delle sei del mattino per prendere quell’unico aereo che ti permette di arrivare a Londra in tempo per provare, poi fare lo spettacolo, andare a cena, tornare a casa e puntare la sveglia alle cinque per prendere un taxi che ti porti in aeroporto, perché sai che se perdi quell’aereo non sarai a Milano in tempo per un’altra recita. In periodi simili subentra una meccanica tale per cui non senti la fatica, non te ne accorgi; te ne accorgi dopo, quando la situazione si rilassa: in quel caso rischi davvero di accusare il colpo. Ma quando ci sei dentro vai. Ricordo di aver fatto anche cose in giornata; ovviamente non quando ho ballato a Tokyo, ma restando legati all’esempio di Londra.
Mi è capitato di arrivare a Londra alle dieci del mattino e prendere il metrò perché avevo quarantacinque minuti per essere alla Royal, entrare in sala e iniziare le prove; poi alle cinque e mezza del pomeriggio chiedere a Mats Ek (stavamo lavorando sulla sua Carmen) di lasciarmi uscire mezz’ora prima della fine delle prove perché alle nove di sera avevo l’ultimo aereo per Milano, dove dovevo essere il giorno dopo a ballare Nôtre Dame de Paris di Petit. È successo due volte nell’arco di una settimana.
Hai spettacolo in Scala, ma sai che Mats è disponibile in quei giorni a Londra: o fai così, o non balli. Solo ripensandoci ti chiedi “Ma come ho fatto?”. È ovvio che in quei momenti non hai tempo per pensare che ti piacerebbe andare al cinema, a fare shopping o al ristorante.
In ogni caso non può essere sempre così, sul lungo periodo.
No, perché anche se reggessi fisicamente sarebbe logorante; in un modo o nell’altro, prima o poi ti troveresti a pagarla. Non sono soltanto leggende quelle che raccontano di persone che hanno dato tutto alla carriera e si sono trovate sole e stanche quando la carriera è finita. E poi, se uno non ha relazioni o amicizie, alla fine cosa vuole raccontare in scena? L’amore dopo la carriera… ma come si fa? Dobbiamo sempre cercare un punto di equilibrio fra spinte contrapposte, anche se non c’è mai un’equazione matematica che risolve tutto. Ci sono persone che stanno ad aspettare tutta la vita, ma il grande amore non arriva; quello non dipende dal lavoro!
Tant’è che tantissimi ballerini trovano l’amore fra i colleghi della compagnia.
È vero, in un certo senso è anche più comodo, almeno dal punto di vista logistico. Poi magari la persona della tua vita passava fuori dal teatro e tu non l’hai vista perché eri su in sala a provare Il lago dei cigni. Ma quello può capitare a tutti, indipendentemente dalla professione!
Riesci a ballare con una partner, se non vai d’accordo con lei?
Bisogna vedere cosa si intende per non andare d’accordo. Se ci sono problemi, ma è presente stima reciproca, si balla; possono esserci discussioni, si parla, si litiga anche se si vuole; ma alla base deve esserci stima professionale. Non chiedo la scintilla, quel quid magico che capita due volte nella vita, ma almeno la stima professionale. Se questa stima manca, la cosa diventa difficilissima. Io cerco sempre di evitare di ballare insieme, in questi casi, per quanto possibile. Quando proprio non è possibile, mandi giù il rospo. E comunque si vede, la performance ne risente.
Quando capita di affrontare una storia in versioni e schemi coreografici diversi, come a te è capitato con la Giselle classica, quella di Sylvie Guillem e quella di Mats Ek, cambiano solo i passi o cambia anche qualcos’altro nell’atmosfera del balletto?
Beh, l’atmosfera cambia. Giselle è arrivato fino a oggi perché la storia è semplicissima, addirittura banale. È un balletto straordinario da un certo punto di vista, ma la storia è anche molto banale. È molto interessante riuscire a tirarne fuori versioni diverse, partendo da una storia che rimane identica, e affrontare queste diverse letture, come può accadere con quelle di Ek e di Guillem; non sono creazioni, hanno semplicemente spostato temporalmente la vicenda. La cosa più audace della rivisitazione di Sylvie Guillem consiste nella volontà e capacità di svecchiare il linguaggio sul palcoscenico. La Giselle di Ek propone invece sfumature diverse, un’inflessione meno favolistica nella storia: Giselle non muore alla fine del primo atto per riapparire in forma di spirito, ma entra in un manicomio; è un mutamento di forma, più che di sostanza. E la trovo una rivisitazione geniale, senza cambiare una nota nella musica dall’inizio alla fine.
C’è qualche spettacolo che ricordi più volentieri di altri?
Certo, anche se è strano ripensarci. Il ricordo degli applausi è spesso nebuloso, ad esempio. Ma rammento sempre in modo vivido la mia prima recita di Cheri. Ricordo benissimo Manon a Covent Garden, la più recente, nel novembre 2005, e sempre a Londra Romeo e Giulietta. Voglio citare anche la mia prima Giselle in Scala. Rappresentano tutte emozioni forti, che sono rimaste.

 - Alessandro Bizzotto

2011年12月18日日曜日

Massimo Murru Interview ≪Io ballo vestito≫

Interview:
Massimo Murru ≪Io ballo vestito≫

シリーズものになってしまった長編インタビューは少しお休みして、ここで一つ単発もののインタビューのご紹介をしたいと思います。


イタリアのファッション誌Graziaで2010年5月に組まれたマッシモ・ムッルへのインタビュー記事を紹介します。イタリック体になっているのは私個人のコメント・注釈です。他はなるべく原文に忠実に訳していますが、意訳となっている部分もありますのでご了承ください。
日本語の後に原文も引用していますが、記事へのリンクはこちらです。:
http://archivio.grazia.it/people/on-stage/massimo-murru-io-ballo-vestito


Massimo Murru in La Dame aux Camelias  

最近「ジゼル」でのロベルト・ボッレのヌードが物議をかもしたことは記憶に新しい。12年前、マッシモ・ムッルにも同じことが起こった。スカラ座のエトワールが芸術と情熱、そしてダンス界をも冒しつつあるイメージ至上主義について語る。≪僕たちはバレエダンサーであって、モデルではない≫


マッシモ・ムッルを二言で表すとしたら、間違いなく"エレガンス"と"思慮深さ"だろう。ムッルはロベルト・ボッレと共に、スカラ座のエトワールである。しかしボッレと違い、彼は劇場の舞台以外に姿を現すのを好まない。実生活ではシャイで大人しい彼だが、舞台上では世界的に見ても最も優れたクラシックダンスの踊り手に変身する。ムッルは5/27-6/8、Trittico Novecento*の中でロンドンはロイヤルバレエのプリンシパルダンサーであるアリーナ・コジョカルの相手役として、ロシア人振付家ジョージ・バランシンの傑作**を踊る。この機会に是非ムッルと出会い、彼についてもっと発見して頂きたい。

*Čajkovskij, Prokof'ev, Šostakovičの3人のロシア人作曲家の著名作品で構成されたスカラ座の2009-2010シーズンの演目のひとつ。
**Balletto Imperiale


まずは始まりから話しましょう。いつダンスへの愛が生まれたのですか?
私が10歳の時に、父に付き添われてスカラ座のダンス学校の入学試験を受けに行きました。ただこれから何をするのかも、何が起こるのかも皆目見当が付かなかった。バレエは見たことがなかったし、劇場へも行ったことがなく、クラシックダンスとは何かさえ知らなかった。僕はすでに髪の結い方やバーへのつき方を知っている沢山の女の子達の中で、ただ一人の男の子だったのです。


つまりBilly Elliot (映画リトル・ダンサー*の主役)と同じ体験をしたと?
全く同じではありません。その点では恵まれていましたね。それに、すべては父のおかげで生まれたのです。僕の体を鍛えるためにダンスを試してみようと思ったのは彼ですから。僕は子供の頃とても小さくて、サッカーにも他のスポーツにもあまり興味がなかったけれど、音楽は大好きだったのです。
ビリー・エリオットとの違いは、いつも家族がサポートしてくれたこと。強制せずにね。特に最初の数年は容易ではなかったけれど、母はいつも心配は要らないと言ってくれたし、もしある日ダンスが嫌になって辞めたとしても全く問題ないと言い続けてくれた。

*1984年のイギリス北部の炭鉱町を舞台に一人の少年が、当時町では女性のためのものとされていたバレエに夢中になり、周りの反対を乗り超えてプロのバレエ・ダンサーを目指す過程を描いた作品。


あなたにとってダンスとは?
ダンスを始めた時はプリンシパルダンサーになろうとは思ってなかった。自分の進む道を日々見つめてきただけ。なぜなら僕にとってダンスは純粋なパッションだから。


ダンスは何を与えてくれましたか?
踊ることによって自分を表現する可能性が得られたました。10歳の頃から、ダンスは僕の人生そのものであり、それ以外はあり得なかった。ダンスは毎日自分の全てを捧げることが必要とされる仕事だから。しかも継続的にそうしなくてはならない上に、ある程度の成功を収めるまではちっとも報われない。


バレエを踊ってきた中で学んだ最も大切なことは?
舞台上では踊り手は裸にされてしまうということ。騙そうとしてもわかってしまう。舞台は同時に自由な場所でもある。実生活では決してやらないようなこともできてしまう、自由を感じる魔法の場所です。


クラシックダンスも今日ではメディアで鑑賞できるようになり、劇場でのみ得られる贅沢ではなくなっています。そのことについてどう思いますか?
時と共にバレエも変化し、40年前と同じようには踊りませんが、大変でシリアスな職業であることに変わりはありません。別の種類の舞台を選ぶのは個人の自由ですが、ダンサーという職業は難しく疲れる仕事です。しかしながらテレビやビデオ、新聞で有名だからといってダンサーであるとは限りません。


ダンスと美、その関係性とは?
ダンスは分離しがたいほどに美と関係しています。ダンスにおいては完璧な美、すなわち存在しないものを追い求め続けるわけです。
しかし今日、パラドックスがあります。姿かたちは常に中身より重視され、殆どアーティストである為のパスポートとなっている。本来はそうあるべきではないのに。例えば、パフォーマンスが出来ないけれど見た目がダンサーらしいといった人間が皆の目で選ばれている。
僕は外見より才能の有る無しを、目でなく頭で吟味したい。何故なら才能こそがダンサーに何より先に必要とされるから。美しさはプラスにはなるけれど、才能と美が手に手を取るケースはごく稀です。広告やテレビ、新聞など全てがイメージに振り回されています。人々がもしかするとメディアで目にしたイメージを再び見るために劇場に来ていて、ダンスの視覚的な面のみにしか興味を持たない危険性があると思います。しかし我々はバレエダンサーであり、モデルではないのです!


ダンスとあなたの肉体との関係は?
愛憎の関係です。ダンサーなら誰しも、完璧を追求するからです。
小さな頃から自分のやり方が良くないから他のやり方をしないといけないと言われ続け、永遠に鏡の前で柔軟をする。しかしまた体は道具であり、結果を出すためには妥協も必要です。


肉体と言えば、サン・カルロ・ディ・ナポリ劇場でのマッツ・エック版ジゼル*であなたの同僚であるロベルト・ボッレが全裸で踊ったことについて、話す機会が最近多くありましたね。どう思われますか?

*マッツ・エック版ジゼルをご覧になりたい方、ご参考までにこちらの動画(一部)リンクをどうぞ。(約12分):
 YouTube Giselle by Mats Ek

Giselle coreographed by Mats Ek

振付家 Mats Ek
僕も12年前に同じ役を踊りましたが、我々ダンサーは悲しいかな、今も同じ点において閉鎖的なんだと確認しました。当時書かれた記事にひどく落胆したのを覚えています。記事に書かれていたのは僕がどう踊ったかではなく、僕のお尻がどうとかいう内容だった。
人々が芸術に焦点を置かず、ヌードに終始するのは非常に屈辱的です。


一般的にダンスは他のことをする余裕を持てないほど負担の大きい数少ない芸術のひとつと考えられていますが、本当にそうなのでしょうか、それともあなたは他の趣味を持つことができていますか?
特に若い時に起こりがちなのは、ダンスが要求する規律にがんじがらめになり、自分だけの世界に閉じこもってしまうこと。しかし大人になれば、外の世界に目を向けられるようになる必要がある。


どういった意味で?
ダンサーという仕事はある意味、現実世界で起きている事から皆を救うような側面がある。劇場に足を踏み入れると魔法の世界が目前に広がり、外の世界に存在する問題から遠ざかる事が出来る。ダンサーという職業は二つの相反する現実を生きる可能性を与えてくれるのです。


舞台を離れた時のあなたが熱中するものはなんですか?
映画、音楽、演劇です。それと生活そのもの。つまり友人、家やリストランテでのディナー、誰かと話したり議論を交わしたり、シンプルなこと。


ダンスは恋愛する余裕を残してくれますか?
恋愛する余裕は常にあります!それに、もし愛とは何かを知らなければ、一体舞台で何を語る事が出来るでしょう?


それでは今あなたは恋をしている?
今はしていませんが、過去にはそうでした。そしてまた恋する可能性に対して自分を閉ざしてはいません。


(fin.)
2010年5月27日 Vincenzo Petraglia



【原文】
Massimo Murru: «Io ballo vestito»

Ricordate, nei giorni scorsi, il clamore suscitato da Roberto Bolle nudo per Giselle? Era successa la stessa cosa, 12 anni fa, a Massimo Murru. L’étoile, di scena alla Scala, parla di arte, passione. E di una certa ossessione per l’immagine che sta contagiando anche la danza. «Siamo ballerini, non modelli»

Se dovessimo descrivere Massimo Murru in due parole, sicuramente eleganza e discrezione sarebbero quelle giuste. Insieme a Roberto Bolle, è il primo ballerino étoile del Teatro alla Scala. Ma, rispetto al suo collega, non ama molto apparire fuori dal palcoscenico. Schivo e riservato nella vita, sulla scena si trasforma in uno dei più sensibili interpreti - a livello mondiale - della danza classica. Dal 27 maggio all’8 giugno si esibirà alla Scala, all’interno di Trittico Novecento e al fianco di Alina Cojocaru, principal dancer del Royal Ballet di Londra, in quel Balletto imperiale che rimane uno dei grandi capolavori del coreografo russo George Balanchine. Un’occasione per incontrarlo. E per scoprire qualcosa in più su di lui...

Partiamo dall’inizio. Quando è nato il suo amore per la danza?
 «Avevo dieci anni quando mio padre mi ha accompagnato all’esame attitudinale della Scuola di ballo della Scala, senza che io avessi la minima idea di che cosa andassi a fare e di quello che poi sarebbe successo. Non avevo mai visto un balletto, non ero mai stato a teatro e non sapevo neppure che cosa fosse la danza classica. Ero l’unico maschio in mezzo a tante bambine, che già sapevano come dovevano pettinarsi o come mettersi alla sbarra».

Mi sta dicendo che ha vissuto la stessa esperienza del piccolo protagonista del film “Billy Elliot”?
«Non del tutto, e in questo sono stato fortunato. D’altronde tutto è nato grazie a mio padre, che ha avuto l’idea di farmi provare la danza per aiutarmi a rinforzare il fisico: ero un bambino molto minuto e senza troppo interesse per il calcio o altri sport, mentre ero molto affascinato dalla musica. A differenza di Billy Elliot, la mia famiglia mi ha sempre sostenuto, senza mai forzarmi. Soprattutto durante i primi anni, che sono stati molto difficili: mia madre mi diceva sempre che non dovevo preoccuparmi e che non ci sarebbe stato nessun problema se un giorno avessi sentito di non farcela e deciso di smettere».

Che cosa rappresenta per lei la danza?
«Quando ho cominciato, non avevo l’ambizione di diventare primo ballerino. Ho vissuto il mio percorso giorno per giorno. Perché per me la danza è pura passione».

Che cosa le ha dato?
«Ballare mi ha dato la possibilità di esprimermi. È la mia vita da quando avevo dieci anni e non potrebbe essere altrimenti, nel senso che è una professione che richiede una totale dedizione quotidiana. Certo, la danza ti dà, ma tu devi anche restituirle. È uno scambio continuo e per niente equo perché, almeno finché non raggiungi certi risultati, per avere qualcosa ti ci devi dedicare tantissimo».

L’insegnamento più grande che ha imparato in tutti questi anni?
«Il palcoscenico è un luogo dove ti metti a nudo: non puoi barare, altrimenti si vede. Ma è anche una zona franca, in cui puoi osare cose che nella vita non faresti mai. Un luogo magico, in cui ti senti libero».

La danza classica sta diventando sempre più mediatica, glamour e meno legata al palcoscenico. Cosa ne pensa?
«La danza si è evoluta nel tempo e oggi non si balla più come 40 anni fa, però resta un’arte fatta di impegno e serietà. Accedere ad altri tipi di palcoscenici è una scelta personale, ma quella del danzatore rimane una professione molto faticosa e difficile. Diffidate, quindi, di certe trasmissioni televisive o dei reality show: la presenza in video, il fatto di essere molto conosciuti e di finire sui giornali non vuol dire essere un ballerino. Quello è un altro mestiere».

Danza e bellezza: qual è il rapporto?
«La danza è legata indissolubilmente alla bellezza, alla ricerca continua di una perfezione che non esiste. Oggi, però, assistiamo a un paradosso: l’immagine conta spesso più del contenuto ed è quasi diventata il passaporto per essere un artista. Non è così, naturalmente. È sotto gli occhi di tutti, per esempio, che ci siano in giro attori che non sanno recitare, ma che hanno semplicemente “la faccia giusta”. Mi piacerebbe mettere di più sotto i riflettori il talento, perché per fare questo mestiere bisogna avere prima di tutto quello. La bellezza, poi, può aiutare, ma i casi in cui talento e avvenenza viaggiano di pari passo sono davvero rarissimi. Ovunque ci giriamo, nella pubblicità, in televisione, sui giornali, tutto ruota intorno all’immagine e penso che il pericolo sia proprio quello di fermarsi soltanto a questo aspetto della danza, con un pubblico che magari viene a teatro per rivedere quello che viene proposto dai media. Ma noi non siamo modelli, siamo ballerini!».

Che rapporto ha con il suo corpo?
«Un rapporto di amore e odio, come ogni ballerino, proprio a causa di questa continua ricerca di perfezione. Iniziamo sin da piccoli a sentirci dire che quello che stiamo facendo non va bene e bisogna farlo in un modo piuttosto che in un altro, piazzati di fronte a uno specchio che in qualche maniera non ci abbandona mai. Però, allo stesso tempo, il corpo è il nostro strumento, per cui bisogna arrivare a un compromesso per riuscire a raggiungere un certo risultato».

A proposito di corpo: recentemente ha fatto parlare parecchio il nudo integrale del suo collega Roberto Bolle nella “Giselle” di Mats Ek al San Carlo di Napoli. Che cosa ne pensa?
«Ho affrontato lo stesso identico ruolo 12 anni fa e provo molta tristezza nel constatare che, oggi, siamo ancora fermi allo stesso punto. Ricordo che rimasi molto deluso dagli articoli che uscirono all’epoca, perché mi lasciò spiazzato il fatto che si parlasse delle mie natiche e non del modo in cui avevo danzato! È veramente avvilente che non si ponga l’accento sull’arte, fermandosi, invece, al nudo: e dire che basta accendere la televisione a qualsiasi ora per vedere ben altro...».

Spesso si pensa alla danza come arte assoluta che lascia spazio a poche altre cose nella vita. È veramente così o lei riesce a coltivare anche altre passioni?
«Il pericolo è che ci si possa chiudere nel proprio mondo e, quando si è giovani, capita spesso perché si è totalmente assorbiti dalla disciplina che la danza richiede. Poi però, crescendo, bisogna essere in grado di guardare fuori. Altrimenti si rischia di implodere».

In che senso?
«Facciamo un lavoro che, in qualche modo, ci salva da tutto ciò che succede nel mondo. Una volta in teatro, è come se si aprisse davanti a noi un luogo magico, lontano da tutti i problemi reali che ci sono fuori. Questo è un mestiere che ti dà la possibilità di vivere due realtà diverse e contrapposte».

Lontano dalle scene, quali sono le sue passioni?
«Il cinema, la musica, il teatro. E poi la vita, cioè gli amici, le cene a casa o al ristorante, il semplice parlare e confrontarsi con gli altri».

La danza lascia spazio all’amore?
«Per quello c’è sempre spazio! D’altronde, se non sai che cos’è l’amore, cosa puoi raccontare sul palcoscenico?».

Dunque è innamorato...
«Non in questo momento, ma lo sono stato in passato. E non sono chiuso alla possibilità di potermi innamorare ancora».