2012年2月20日月曜日

コジョカル2回目、行きます!

アリーナ・コジョカル 「ドン・キホーテ」より
★バレエな毎日★

おはこんばんちわ。
(アラレちゃん風)

今朝もまた、出勤したStellaにMさんからサプライズが。

良い子のとこにはサンタは年に2回も来てくれるらしいよ。

Gさんからのプレゼント、My王子ビト君の写真

Stellaの救世主Gさんから、ビト君(T子によるニックネーム命名)ことビトンクール王子の写真2種類、持ち歩き用(小)入れて合計4枚も!!もらったぜ。


そしてM団長ご自身からもギフトが!

Stellaがひそかに目を付けている(まだ見ぬ)ジョゼ・マルティネス出演の「コッペリア」と、ニコラ・ル・リッシュの「ボレロ」入りのDVD。
そしてこないだの土曜深夜に放映されたボリショイの「眠り」(ホルバーグ&サハロワ)と「パリの炎」(ワシリーエフ)のDVD!!!

こんな時田舎のおばあちゃんならこう言うであろう。
盆と正月がいっぺんに来たみたいじゃ。

今日はまさにそんな気分のStellaである。


そんでもって先週金曜日に見たコジョカルの「ドリーム・プロジェクト」(Aプロ)が心に残って…残って…
ついついBプロのチケット、取っちゃったよー!

M先生は以前アレクサンドル・リアブコの「椿姫」を観てとても良かったとの事で、今回も彼の「椿」のパドゥドゥがBプロ1番の見どころだとか。
ドン・キホーテも、「英国ロイヤルのは見たことない」そうだ。(Stellaとは全く次元が違う)
さっそく、アレクサンドル・リアブコをググるStella。

「椿姫」第3幕のバドゥドゥを踊る、アレクサンドル・リアブコ

またもやイケメン発見!!・・・と思いきや、上の素敵なお写真、M先生によれば
「うー・・ん。この写真はよく撮れてるほうですね・・・」。(^。^;)
わりと小柄なダンサーだそうですが、表現力が優れているとのこと。

この人、他の演目に全然名前が載ってない(全員で踊るラリナ・ワルツに出るかどうかも怪しい)けど、まさかこの1演目のためだけにはるばる東京くんだりまで来たんだろうか・・・

そしてStellaはなんと言っても冒頭にある写真、「ドン・キホーテ」のコジョカルのあのジャンプ!が、見たい!!

実はこの写真ね、よくバレエ公演の会場で販売している2012年カレンダーの表紙なの。
すごーく目に焼き付いて離れなくて、それでコジョカルのこと気になってました。
だから、いつかこれを生で見れたらいいなあって思っていたのです!


ワクワク。
22日の公演を見に行くのが楽しみ。

★ついに配達完了、Stellaの愛★

2月8日にロスから発送したStellaからマッシモへの愛のチョコレート、やっと、やっと、今日届いたみたいよ。
「5営業日」って真っ赤なウソじゃんねーUPSさん。土日4日分抜いても8営業日かかってるゾ

というわけで、遅ればせながら、マッシモへ


fin.

2012年2月19日日曜日

Massimo Murru Interview (Nov. 2000)



 
練習風景  (アレッサンドラ・フェリ、マッシモ・ムッル)

★Stella、浮気疑惑★


先ごろ、デビッド・ホルバーグ氏(ボリショイのダンサー)について「かっこいい」とコメントしたところ、法務のマドンナにあらぬ疑いをかけられてしまった。

心外ですわ。

Stellaは中身(性格)を知らずに画面や舞台見ただけで好きになったりしません。
今月頭に出逢って気に入ったパリオペのダンサーだって、良い子そうだなって思ったから好きなんです。

マッシモは中身が素敵。外見も中身も美しいダンサーなんですもの
ずっとしたためていた今回のご紹介記事でも伺い知ることができます。
インタビューは長いですが、一番最後の段落、Stellaはものすごく感動してますます好きになりました。

後悔はありません。謙遜から"ない"と言うのではなく、実際にないのです」。
「ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。(...)僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。...」



ところでさ、Stellaがアメリカから送ったマッシモへの愛のチョコ、まーーーーだ届いてないみたい。
まだミラノ市内にさえも到着してないのよう・・・
んもー。。。。


★マッシモ・ムッル インタビュー、再び★


久々に翻訳業務(笑)復活の今回はイタリアのバレエ・ファンウェブサイト、Balleto.netより。 
なんと、11年前!!の記事です。(2000年11月)
若~~~い頃のマッシモのお宝写真も!笑

マッシモは1994年にスカラ座のプリンシパルに昇進してから2003年にエトワールとなるまでの間、スカラ座専属ではなく、ゲストという形の契約でスカラとは"付かず離れず"の状態だったようです。
彼に目をかけていた振付家ローラン・プティは1998年までフランス・マルセイユバレエの監督でしたから、マルセイユでも踊っています。

その頃のことや、半月板を損傷した頃のことが語られています。


【インタビュー】

キャリアにおける重要な出会い

Elizabetta Terabust & Luigi Bonino
"Cheek to Cheek" by Roland Petit
僕がスカラ座バレエ団に入った時のディレクターはッジュゼッペ・カルボーネでした。
僕のキャリアの上で大きな意味を持つ出会いは3つあります。
エリザベッタ・テラブスト、ローラン・プティ、カルラ・フラッチとの出会いです。コール・ドとして4シーズンを経た後、エリザベッタ・テラブストの意向で(「マノン」で)プリンシパルダンサーとなったのです。
(ムッルは1990年スカラ座バレエ学校卒業と同時に同バレエ団入団、1994年にプリンシパルに昇進)


その頃すでにスカラのプリマバレリーナだったアニタ・マジャーリ*と組んで「マノン」を踊ったりと、彼女と経験を積むことができました。
すでに経験のあるアーティストとペアを組ませて若いダンサーを舞台デビューさせるのはよくあることです。こうすることでミスキャストになるのを防げるからです。
アニタは僕にとって学生の頃からの憧れで、彼女がヌレエフなど偉大なダンサーたちと踊るのを観ていました。だから僕の番が来た時、すごく張り切りましたね。



*Anita Magyari(1959~):ハンガリー出身の元バレリーナ。ブダペスト国立芸術アカデミーでディプロマ取得後、モスクワのボリショイでさらにバレエを学び、モスクワ・オペラ座のソリストとなる。1982年にイタリアへ移住しスカラ座バレエに入団、1986年にプリマバレリーナに昇進。ルドルフ・ヌレエフ、マキシミリアーノ・グエラのような国際的に著名なエトワールと組み80年代(ドン・キホーテ)および90年代(ケネス・マクミラン版「マノン」)のレパートリーで主役を務めた。


アニタ・マジャーリ、マッシモ・ムッル他による、コンテンポラリー作品 "Tout Satie" by Roland Petit, in Scala

テラブストが僕に与えた2つ目の機会はローラン・プティのオーディションでした。
僕はスカラ座のための作品「シェリ」を踊る若者を探していたローランの気に入り、何日かの練習の後カルラ・フラッチにも気に入ってもらえた。
この作品に取り組んでいる頃、僕はローランとカルラという2つの柱の間に挟まれていました。20歳を過ぎたばかりの僕はプレッシャーで自分が潰れていくような気がしました。でもこの冒険の中に身を投じると、そのうち全てがより自然に感じるようになりました。
根底にはすでに大人のレアと若いシェリの人物像は既に存在していたので、(役柄を作りあげる作業よりも)むしろそれまで僕の夢の中での存在だった人たちとの連帯感を醸成するための期間でした。



テラブストとはいつもものすごく気が合って、互いに尊敬もしていました。しかしながら、彼女は僕のディレクターで、そこを発端にしてさらに先へと行かなければいけなかったというか、行くことができたのです。
カルラとローランとはまた違いました。彼ら二人がこのバレエのストーリーの二本柱となり、レッスン室内では僕たちの間に師弟関係という縛りはなかった。一緒に仕事をし、共同関係を築いてより良いバレエを踊ろうと思うのならば、ハグやキス、愛情表現があって然るべきです。


カルフーニ, ガニオ親子を映画化した
(原題)comme un rêve(2008)


それから多くのダンサーと踊りました。カルフーニ、アシルムラートワ、フェリ、ジャッフェ*・・・でもテラブスト、フラッチ、プティからもらった経験と教えは僕のキャリアにおいて欠かすことのできない通り道だったと言えるでしょう。
(マッシモはフラッチとの「シェリ」初演後、カルフーニやアシルムラートワ相手に同演目を踊っている)

*Dominique Kalfouni(1951~):フランス生まれの元オペラ座ダンサー。プリンシパルダンサーを経ずしてエトワールに昇格した異例の経歴の持ち主。現エトワールのマチュー・ガニオの母。80年代にプティ、バリシニコフと多くの作品を手掛けた。
Altynai Asylmuratova(1061~):旧ソ連・カザフスタン生まれのバレリーナ。1978年キーロフ(現マリインスキー)バレエ団入団し4年後プリンシパルダンサーとなる。2000年ワガノワ・バレエ学校芸術監督任命と同時に現役引退。
Sousan Jaffe(1962~):アメリカ出身の元バレエダンサーで、アメリカンバレエシアターの指導者。

安定したプリンシパルダンサーからゲストアーティストへ。選択ですか、それとも必要性からですか?スカラ座との関係はどう変わりましたか?


その時期に必要あって選択した決断だと言えましょう。(中略)

結果的に自分の居る立場がもう信じられなくなり、働く場所を変えた方がいいと確信しました。これは誰に対する非難でもありません。大きなプロジェクトがない時期は舞台の数も前より少なかったし、バレエ団監督も不在でした。
言い換えれば、新たな出会い・新たな視点が出来るだけ得られるような条件を探していたのです。それに、(ミラノに)居ながらにしてゲスト(ospite residente)という、アーティストとしての新しい形は、他でもないスカラから提案されました。(各シーズンに一定数の舞台への出演保証つきで)
心の奥では間違いなく僕はスカラ座のバレエダンサーです!スカラに対する僕の批判は僕が現在結んでいる契約とは無関係です。


ローラン・プティとウィリアム・フォーサイス、両者とも偉大な振付家ですが性格は違うようですね。あなたはそれぞれと作品を作ったわけですが、印象は?

フォーサイス
プティは彼の振付上の言語とその繊細な性格という点で自分に近いと感じます。フォーサイスとの出会いはまるで、高さ200メートルの壁を1時間で登るようなものでした。全く新しい経験だったし、またこういう出会いがあってほしい思う。僕が新しいと言うのは、ローランとの間では時には説明する必要がないこともあったけれど、ウィリアムの場合は彼の後を全速力で走ってついていかなくてはならなかった。
プティとはより長い期間共に仕事をしたのに対し、フォーサイスとはごく短い間、四人のダンサー(デズモンド、グエラ、フェリと自分)ための作品*を振付けた時にスカラで出会いました(3週間足らず)。
仕事をどうプランするか、またどうやってあらかじめ定めたゴールにたどり着くかは、2人の間でかなり違いの見られるポイントです。
ローランは自分の小説のプロット、感情、アイディアに基づいて物語を語ります。舞台や照明、単刀直入な衣装の助けを借りて、動きを用いてこれら全てを語るのです。
ウィリアムは抽象的な動きを基本にスペクタクルを繰り広げます。だからそれを可能にするために、練習の時には彼はストーリーを使い、アイディアを説明し、雰囲気を想像させます。片方のやり方はもう片方の到達点であり、逆もまた真なのです

*Quartetto「カルテット」はアレッサンドラ・フェリのために作られ、スカラ座で上演されたフォーサイス作品。

怪我、そしてその後の復活期をどのようにして乗り越えましたか?

これに関しても常に、全然時間が足りません!特に復活のほうは。僕はスカラ座の団員ではなくゲストという契約でしたからね。
手術の必要?大変結構!しかし明日はすぐそこなのです!僕の場合は常に故障がタイミング良く訪れてくれたし、深刻な怪我ではなかった。(わずか数年の間隔で両方の膝の半月板を損傷した)
むしろ怖いのは回復期です。再びプリンシパルとして復帰するのが理想的なゴールです。でもそこからまた松葉杖を突く羽目になるのは乗り気のするものではありません。
再び痛い思いをするという心理的恐怖よりも、物理的恐怖のほうが障壁となります。まるで体がその動きを避けようとし、その足をめいっぱい伸ばしたくないとか、ジャンプに踏み切りたくないというように。

僕の場合はいつも、怪我の時は義務感にとらわれずに意識的に自分を鍛えることにしています。例えば「シェリ」で3週間のあいだ怪我をした時、自分を"投げ捨てる"ことに決めました。毎日4時間のピラティス、治療、基礎練習をこない、(半月板の)手術から20日後にそれらの結果がどうか、見ることにしました。
もしも安静にしていなければすごく大事な舞台も諦めなければならないけれど、最も良い状態でいち早く復帰するためです。


(中略)

 夢、計画、後悔

後悔はありません。謙遜から"ない"と言うのではなく、実際にないのです。
将来の計画はたくさんあります。来年はベルリン・バレエ団と新版「ロミオとジュリエット」、そしてナポリではローラン・プティの作品、またコムナーレ・ディ・フィレンツェとのコラボもあり、もちろんスカラ座でも出演します。
夢・・・夢に見る以上のものですが、フォーサイス、エック、キリアンなどとのクリエーション。過去に経験したような冒険をくれる特別な人々との出会いを夢見ています。自分の内面がより豊かに、自分が成長出来るような、生産的な経験をできるだけ沢山持ちたい。
これらはダンサーなら誰しもが持つ夢でしょう。

ひとつだけ僕が個人的に追いかけている夢は仕事のことではありません。良い人間になることです。ダンスは間違いなくその助けになっています。まずダンスは自らが内面に持つ鏡です。人生では自分を隠すことを覚えますが、望もうと望むまいと、踊れば本当の自分が出てきます。それと自分が好きになれない性格(側面)を直す助けになります。
僕は昔から閉ざされた、内気な、ほとんど心ここにあらずといったまなざしの男の子でした。でも演目の登場人物になろうとする時、役柄に入り込もうとする時、自分を投げ捨てるのは簡単になります。なぜなら外に出て来るのは僕じゃなくてデグリュやロミオ、シェリだから、何も恥じることはないのですから!こうして僕は自分以外のアイデンティティーを装うアリバイを見つけ、情熱をより豊かにし、態度の修復をするアリバイを見つけたのです。



【本文】
I passaggi e gli incontri fondamentali della tua carriera.

Sono entrato a far parte del corpo di ballo del Teatro alla Scala sotto la direzione di Giuseppe Carbone; i passaggi fondamentali della mia carriera coincidono con tre incontri determinanti: Elisabetta Terabust, Roland Petit, Carla Fracci. Dopo quattro stagioni come ballerino di fila, venni promosso sul campo (ne L'Histoire de Manon) primo ballerino per volontà di Elisabetta Terabust.
Qui ho approfittato dell'esperienza e disponibilità di Anita Magyari, già prima ballerina dell'ensemble scaligero, in quell'occasione la Manon da affiancare.
Spesso capitava di far esordire i giovani in coppia con artisti già esperti, non si rischiava quindi di andare allo sbaraglio. Anita è sempre stata un idolo per me, fin da quando ero allievo della scuola: l'avevo vista ballare coi più grandi, Nureyev in testa, e l'emozione che fosse arrivato il mio turno mi diede un forte incentivo.
La seconda occasione che Terabust mi prospettò fu l'audizione da Roland Petit, in cerca di un giovane per il suo Chéri, creazione pensata per Carla Fracci alla Scala. Piacqui a Roland, e dopo qualche giorno di lavoro anche a Carla Fracci.
In quell'occasione mi trovai fra due colonne: Roland e Carla.
Io, poco più che ventenne, mi sentivo schiacciato in quell'atmosfera da un'emozione pressante. Tuttavia mi tuffai in quest'avventura, e tutto diventò sempre più naturale.
I ruoli della già adulta Lea e del giovane Chéri in fondo già c'erano, si trattava piuttosto di trovare un affiatamento con chi fino ad allora era solo nei miei sogni!
Con Terabust ad esempio c'è sempre stata una grande intesa, ed un forte e reciproco sentimento di stima: tuttavia lei era il mio direttore, ed oltre quella certa soglia non si doveva o poteva andare; con Carla e Roland fu diverso: sebbene loro siano due pilastri della storia del balletto, in sala non c'erano vincoli istituzionali tra di noi, si lavorava insieme e si cercava quell'intesa che rende vero un balletto; un abbraccio, un bacio, un amore da rappresentare.
Ho ballato in seguito con molti altri nomi della danza, come Kalfouni, Asylmuratova, Ferri, Jaffe, ma l'esperienza e gli insegnamenti derivati da Terabust, Fracci e Petit, posso considerarli i tre passaggi fondamentali della mia carriera.

1999: da primo ballerino stabile ad artista ospite. Scelta o necessità? E come è cambiato il rapporto col Teatro alla Scala?
Direi sia stata una scelta dettata da una necessità che esisteva in quel momento.
Per tutta una serie di circostanze mi trovavo in una compagnia che in quel momento non godeva più della sua solita unità, e di conseguenza vivere e lavorare in un posto in cui non credevo più tanto mi ha persuaso a cambiare orizzonte.
Non è un'accusa rivolta a nessuno: in un momento in cui mancavano grossi progetti, il numero degli spettacoli era sempre inferiore al passato, dove si risentiva della mancanza di un direttore del Ballo, non poteva che crearsi questa atmosfera.
In altre parole ho tentato di trovare quella condizione ideale per la quale sono più possibili nuovi grandi incontri, nuove grandi prospettive. Oltretutto l'offerta di una nuova posizione come artista, da interno ad ospite residente (con una serie di spettacoli garantiti per ogni stagione), è arrivata proprio dalla Scala.
In fondo io sono un ballerino della Scala, per forza! L'attaccamento che sento a questo teatro non ha niente a che vedere col contratto che attualmente ho firmato.

Roland Petit e William Forsythe, due grandi della coreografia, apparentemente diversi fra loro. Con entrambi una creazione: impressioni.
Sento che Petit, per il suo linguaggio coreografico e per la sua sensibilità, è a me più vicino. L'incontro con Forsythe è stato come andare addosso a un muro a duecento all'ora! Un'esperienza assolutamente nuova, da rifare. Dico nuova perché mentre con Roland a volte non c'è neanche bisogno di spiegarsi ("sì, sì, così come hai fatto va bene..."), con William dovevo corrergli dietro il più velocemente possibile.
E' vero anche che col primo ho lavorato molto più a lungo, mentre il secondo l'ho incontrato in Scala per un ristretto arco di tempo (tre settimane appena), e per una creazione per quattro ballerini (Desmond, Guerra, Ferri e me).
Il modo di impostare il lavoro, di come raggiungere il risultato che si sono prefissati, è tra i due un altro elemento di forte diversità. Roland racconta delle storie, basa le sue trame su romanzi, su sentimenti, su idee, usando il movimento per raccontare tutto ciò, con l'ausilio di scene, luci e costumi sempre incisivi; William presenta al pubblico uno spettacolo basato sul movimento, astratto quindi, e per arrivarci, durante le prove usa storie, spiega idee, fa immaginare atmosfere.
Il metodo di uno è il punto d'arrivo dell'altro, e viceversa.

Come hai vissuto gli infortuni, e la seguente ripresa?
Anche per quelli c'è sempre stato molto poco tempo! Specialmente per il secondo, fuori dal Teatro, con un contratto, come detto, da ospite. Bisogna operare? Benissimo, domani sono qui! Ho sempre trovato giusto affrontare con tempestività gli infortuni: nel mio caso non gravissimi (ho rotto i menischi di entrambe le ginocchia a distanza di pochi anni).
Ciò che fa paura piuttosto è il recupero. Tornare come prima è il massimo traguardo auspicabile. Ritrovarsi con le stampelle poi, per un ballerino, non è certo incoraggiante.
E più che della paura psicologica di rifarsi male, c'è l'ostacolo della paura fisica. Sembra che il corpo decida di evitare quei movimenti, che non voglia più stendere quella gamba al massimo, o saltarci sopra.
Nel mio caso ho cercato sempre di forzare i tempi di ripresa, con la coscienza però di non farmi prendere dagli impegni. Quando ebbi l'incidente a tre settimane dagli spettacoli di Chéri, per esempio, decisi di buttarmi: quattro ore di pilates al giorno, terapie, prove a basso regime, e scadenza a venti giorni dall'operazione per considerare i risultati.
Se non fossi stato tranquillo avrei rinunciato anche al più importante degli spettacoli, ma con la certezza di rientrare in corsa il prima e il meglio possibile.

Enti Lirici Italiani: considerazioni.
Oggi assolutamente non buone.
Non trovo ci siano persone che investano a sufficienza nella ripresa dei teatri. Hanno potere, ma evidentemente sono soggiogate dal solito discorso di poca commerciabilità della danza, nel quale peraltro non credo molto, e si sforzano poco per risolvere il problema.
In definitiva, l'arte è diventata un prodotto da vendere, i teatri delle fondazioni tenute da investitori, e chi deve amministrare il bene sembra più dedito a venderlo che a valorizzarlo in termini di tradizione e di valore culturale. Ho lavorato anche a Firenze, Napoli, Verona, Roma, e il disegno generale, per altro sfocatissimo, è il medesimo: tutto un polverone sotto il quale chi lavora tappa i buchi (un direttore di qua, un economo di là), piuttosto che fondare solide basi per ripartire, progetti.
Speriamo che qui a Milano, con lo spostamento della Scala all'Arcimboldi, si crei un secondo spazio che resti utile anche al rientro.
Gli altri teatri dovrebbero sfruttare le proprie peculiarità: Verona ad esempio incentra tutto sulla stagione estiva per sfruttare l'Arena; per la Scala vale il discorso della qualità nella conservazione della tradizione (ciò avviene soprattutto per l'opera però); ma progetti veri e propri di investimenti non ne vedo.
Posizione della danza, e del ballerino, nella società odierna.
Ballerino, danza, arte in generale, vale un po' lo stesso discorso; scontato se vogliamo, ma che non guasta fare, seppur con la dovuta cautela. La posizione che sento occupare come artista, è un po' di distacco all'interno della società, specialmente se l'analisi che stiamo facendo della stessa è impostata da un punto di vista materiale.
L'artista non produce un bene di prima necessità, quindi viene messo o si autocolloca in un posto non proprio di secondo piano, comunque a parte. Prendiamo un esempio: la Gioconda. Sta lì, partono da tutto il mondo per vederla, pagano per ammirarla, non produce un bene indispensabile alla sopravvivenza, ma non è ignorata. Quando ballo il pubblico paga un biglietto, assiste allo spettacolo a teatro, ma non risolve alcuna sua necessità fondamentale, soddisfa piuttosto una sua passione, un suo desiderio.
Quindi se io decido di non ballare, non è come uno sciopero dei ferrotranvieri, o delle banche, in grado di bloccare il sistema, no! Ed il punto a cui si arriva allora è forse proprio questo.
Più di inquadrare l'arte nella società, vediamo un po' qual è il sistema che governa la società stessa.
A me sembra che ci sia una frenesia totale nel modo di vivere di oggi. Ci si preoccupa di sapere poco ma di tutto, e non il contrario. Per me artista invece è proprio questo il lavoro, sapere il più possibile di "particolari cose". Un'opera d'arte ha bisogno di tempo per formarsi e per farsi capire. Non posso dire "vuoi vedere un balletto?, eccolo: che ne pensi?", perché isolato così non ha neanche ragione di esistere.
Detto ciò, uscendo dal punto di vista prettamente materiale del discorso, e di come vive la società, è significativo ricordare ad esempio che dopo la Seconda Guerra Mondiale, la prima cosa ad essere ricostruita è stata proprio la Scala. Manifestazione di recupero di ciò su cui la società poggia, la sua tradizione, la sua cultura, i suoi simboli. Allora sì, qualcosa di essenziale, di indispensabile.
Bisogna capire da che punto di vista vediamo la cosa. C'è ancora un'altra realtà che vorrei evidenziare, ed è quella delle persone che non possono vivere nella maniera del resto della società. Per esempio ho conosciuto una signora che viene sempre alla Scala in lettiga, per problemi di salute: dalle sue parole ho capito che quello che faccio, per lei è motivo di vita, è un incentivo per trovare la forza di subire la sua condizione, di reagire. Niente di più bello.

Sogni, progetti, rimpianti
Rimpianti nessuno. Non vorrei peccare di modestia ma non ne ho.
Progetti per il futuro tanti: il prossimo anno sarò con la compagnia di Berlino per un nuovo Romeo e Giulietta, a Napoli per una creazione di Roland Petit, collaborerò ancora col Comunale di Firenze, e sarò ovviamente in Scala .
Sogni... più che sognare delle creazioni con Forsythe, Ek, Kilyan etc, sogno di avere la possibilità di incontrare gente speciale, che possa darmi tanto come è avvenuto in passato. Avere esperienze produttive, al massimo, che mi arricchiscano dentro, che mi facciano crescere insomma.
Questi sono sogni che qualunque collega credo abbia. Di sogno personale ce n'è invece uno che rincorro, e non solo al lavoro. Diventare una buona persona.
La danza mi aiuta senz'altro a lavorare a questo. In primo luogo è lo specchio di ciò che hai dentro: nella vita si impara a mascherare, ma quando balli, esce fuori il tuo vero Io, che si voglia o meno. Inoltre ti aiuta a correggere, a modificare cose del proprio carattere che magari non ti piacciono.
Io sono sempre stato chiuso, riservato, un ragazzo con uno sguardo quasi assente, ma quando lavoro ad un personaggio, quando cerco di entrare in un ruolo, è più facile buttarmi, perché non sono io quello che verrà fuori, ma Des Grieux, Romeo, Chéri, niente da vergognarsi! Così facendo ho trovato degli alibi per riuscire a vestire altre identità, e a carpirne eventualmente passioni ed atteggiamenti, arricchendo o modificando i miei.

21/11/2000
Andrea Boi, Andrea Piermattei



「眠りの森の美女」ザハロワ・ホルバーグ編


おはようございます。
今日は名古屋出張最終日。
寝不足だわ~

何故かというと、昨日深夜にNHK BSでボリショイバレエの「眠りの森の美女」やってたから。
私が見た映像よりも画像が綺麗だから見れて良かった

計らずも、その前日に我々Mバレエ団は同演目の予習をしていたのだ…!!


★2/17のバレエ鑑賞ランチ★

さてさて、恒例行事となりました、金曜日のバレエ鑑賞ランチ、人呼んでバレエ教室。
今回の初心者クラスは参加者6名で盛大に催された。
前回やむなく欠席した広報のアイドルTさんも晴れての初参加。


先日書いたとおり、Mバレエ団ブレーンことGさんからのレコメンもあり、初心者向け教材は2011年ボリショイバレエ団による「眠りの森の美女」。

オーロラ姫がザハロワ、デジレ王子はデビッド・ホルバーグである。
(ザハロワはボリショイのエトワール、ホルバーグは2011年秋にABTから移籍)

ストーリーは、あの有名な「眠りの森の美女」のお伽話とだいたい同じ。

王様とお妃様の間に愛らしい赤ちゃん生まれて、お祝いに呼ばれなかった妖精(Stellaの記憶では魔女)が姫が18歳になったときに死ぬという呪いをかける。その呪いを妖精リラが死ぬのではなく100年の眠りにつくという呪いにやわらげる。

姫が18になると誕生日に盛大な祝いが催され、各国から4人の王子が求婚にやってくる。しかし呪いのとおり姫は糸巻きの針に刺され。姫とお城の人々は100年の眠りにつく。

そして100年後王子のキスで目が覚めて・・・ってやつね。


★デビッド・ホルバーグ王子★


David Hallberg in Balanchine's BALLO DELLA REGINA

本日最大のニュース:
T子、思わぬところでフォーリンラブ。

このランチの間に、T子はデビッド・ホルバーグ王子に恋をした模様。
王子が登場すると、間もなくすごい勢いでiPhoneを使ってググり始めた。
「あっ かっこいい

イケメンと聞けばチェケラしたくなるのがStellaのサガ。
見ると確かに、デコは広いが顔立ちがキレイっぽい。

「眠り」の王子の振りは、登場からとっても華やかで美しいし、1人の見せ場が結構多いのも手伝って、Stellaのホルバーグ評価も高い。
トゥの柔らかさと甲の美しさなんかは目を引きます。柔らかな踊り。

アイラインを引くホルバーグ。

★王子再確認要請★


バレエランチ終了後、会社に戻っていくT子から即メールが来た。

かなりのぼせた様子。

それに対するMさんのアドバイスは
「あの荒い画像ではわからない。明日のBSでちょうど同じ演目の放映があるんで、鮮明な画像でよく観てから決めた方がいい」
である。

Stellaとしてはおのおのがマイ王子を見つけてハッピーになれればめでたい♡
それにホルバーグは金髪碧眼、線も細めでいかにも王子。良いではないか。(Stellaは金髪あんま好きじゃないけどね)
特にあの甲!はいつまでも見ていたいくらいだ


T子曰く
顔はよくみえなくて、
でもなんかすごくきれいでダイナミックで、しなやかで。。。
あとスタイルですかねぇ、
体全体のバランスというかフォームというか。。。
それと顔の大まかな造りが若くて、ちょっと青くてカワイイ♪
広いおでこもまぁ許したい。カナ



との事である。


★やはりイケメン、ホルバーグ王子★

そういう訳で昨夜は、
寝不足覚悟で王子のお顔をとくと拝むぞ!
の決意だったStella。

キレイな画像で観てもやっぱり、私はイケメンだと思う!
T子の為にも、ちょっと自分の為にも、ホッと安心して眠りにつくことができた。




マブダチT子の為のホルバーグ情報、行くよっ!

サウスダコタ出身の彼はジャズダンスを習っていた。13歳から本格的なバレエレッスンを始める。
1999年、パリオペのスクールにアクセプトされ、またABT(アメリカンバレエシアター)のサマースクールにも参加。ABT(2001年)にコール・ドとして入団。
2004年にソリスト、2005年にプリンシパルに昇格。2011年9月にボリショイにプルミエ・ダンスールとして移籍。


Mさん曰く「今売り出し中」の期待の星。
バレエ界にはまだ見ぬイケメンが沢山居そう。発掘し甲斐がありそで嬉しいわ~


最後にザハロワ嬢とっておきのショットでお別れしたいと思います



ザハロワ。まあっ妬けるくらい美人ねっ!

fin.

2012年2月18日土曜日

アリーナ・コジョカル「ドリーム・プロジェクト」


こんばんは
今日のStellaは名古屋出張に来ています。
せっかくの週末なのにお仕事よっ


そんなことよりも昨夜
ついに生の「眠りの森の美女」ローズ・アダージョを観ました!

超カンドー

2月の2回目のバレエ公演は、アリーナ・コジョカルの「ドリーム・プロジェクト」。


★敏腕営業、Mさん★

当初は、噂に聞くコジョカルの来日公演がちょっと気になりつつも
まあいっか観に行かなくても。
と思っていた。

しかし先月別の公演を観に行った時、
「今日、会場売りのチケットでコジョカル公演の結構いい席がまだ残ってるから絶対買いです」
とMさんから悪魔の囁き
彼女をバレエの師匠と仰ぐStellaは即お買い上げとなったのだった。

彼女にセールスマンをやらせたら成績トップになれるとStellaは睨んでいる。
事実ウィーン国立バレエのチケットは
「M先生のオススメなら行く」
と即答で3人が購入、昨日だってStellaとT子はシュツットガルトバレエ団のチケットをMさんに頼んだ。

冗談抜きでNBS(日本舞台芸術振興会)からマージンもらう資格あると思う。


★アリーナ・コジョカル「ドリーム・プロジェクト」★

皮肉屋なStellaなんかは、何がドリームじゃいっ!
と若干言いたくなるけど
コジョカルに責任はない(多分)。
日本語のタイトルがイケてないだけ。

【Aプロ】は以下の内容。

◆第1部◆

「ラリナ・ワルツ
振付:リアム・スカーレット 音楽:ピョートル・I. チャイコフスキー
アリーナ・コジョカル、ローレン・カスバートソン、ロベルタ・マルケス
ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、ワディム・ムンタギロフ、セルゲイ・ポルーニン


「ゼンツァーノの花祭り」
振付:オーギュスト・ブルノンヴィル 音楽:エドヴァルド・ヘルステッド、ホルガー・シモン・パウリ
ロベルタ・マルケス、ヨハン・コボー


「眠れる森の美女」より ローズ・アダージオ
振付:マリウス・プティパ 音楽:ピョートル・I. チャイコフスキー
アリーナ・コジョカル
ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、ワディム・ムンタギロフ、セルゲイ・ポルーニン


「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」
振付:ジョージ・バランシン 音楽:ピョートル・I. チャイコフスキー
ローレン・カスバートソン、ワディム・ムンタギロフ


「レ・リュタン」
振付:ヨハン・コボー 音楽:ヘンリク・ヴィェニャフスキー、アントニオ・バッジーニ
アリーナ・コジョカル、スティーヴン・マックレー、セルゲイ・ポルーニン

チャーリー・シエム(ヴァイオリン)、髙橋望(ピアノ)


◆第2部◆

「エチュード」
振付:ハラルド・ランダー 音楽:カール・チェルニー、クヌドーゲ・リーサゲル
エトワール:アリーナ・コジョカル、ヨハン・コボー、スティーヴン・マックレー、セルゲイ・ポルーニン
白の舞踊手(ソリスト):高村順子、佐伯知香
東京バレエ団


★コジョカル嬢★

Stellaの席は「ゆうぽうと」の9列目。ここはオーケストラスペースがない分、かなり近い。
Mさんの言う「いい席」は本当にいい席。信じて良かった~てなもんである

さて、生コジョカルの第一印象は、
おわっ、ゴツい!
であった。
すまん、アリーナ。

バランスを得意とする。
ロック・クライミングが出来そうなムキムキの肩と背中。
愛くるしい顔と不釣合なくらい。
イメージではもっと華奢だったもので…でもこんぐらい筋肉あってこそのあの踊りって方がむしろ納得。
身長はとても低く、東京バレエ団のバレリーナ達と比べても小さいくらいだから、相当小さいかも。

バランスを得意とするとは聞いてましたが、近くで見るとやはり感動しますね。
彼女にしたら「眠り」のローズ・アダージョなんかまさにオハコ、もってこいの演目でしょう。4人の王子の手で代わりばんこに支えられながら、間あいだでしっかりと両手をアン・オー(en haut=上に)してました。

折しも同じ日のランチで観たのもザハロワのオーロラ姫。
こっちの姫は長身なだけにバランスや回転は得意とせず、無謀なトライ(アン・オー)はせずに王子達の手から手へ渡る瞬間少し手を離しただけでした。

表情豊かなコジョカル。
ところで今回のローズアダージョの衣装は少し現代版?でした。普通は4人それぞれ違うコスチュームに身を包んだ王子様(オーロラ姫への求婚者)が出てくるんだけど、ゆうぽうとの王子達は揃いの白シャツに黒ズボン。

コジョカルは飛んでも回っても綺麗ですが、私が何よりいいと思うのは彼女の表情です。美しいだけでなく表現力豊かで魅力的。
だから各国の王子から同時に求愛されて恥じらいながらもそれぞれにニッコリ、男性陣はデレデレうっとり、という構図も非常につぶさに伝わってきて理解がしやすかった。


★天才、コジョカル★

コジョカルについてStellaなりに調べてみたら、なんだかすごい経歴の持ち主だった。
一言で言うと、バレエ学校時代は特待生と飛び級だらけ、バレエ団入団後はソ連のキエフバレエと英国ロイヤルから引っ張りだこ、超スピード昇進。
下記の経歴、特待生や飛び級、抜擢の部分に下線引いてみたけど↓すごいっすね。
あの筋肉とバランスの素晴らしさは体操をやっていたことと関連ありそうですね・・・シルヴィ・ギエムしかり、体操からの転向は良いかも。

Alina Cojocaru in Don Quixote
【経歴】ルーマニアのブカレストで生まれ、7歳で器械体操を始めるが、怪我のために断念しバレエへ転向。習い始めて数ヶ月後、9歳のときに旧ソ連・ウクライナ共和国のキエフ・バレエ学校の特待生に選ばれる。キエフでロシア語を学びながらバレエ教育を受け、1997年のローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞

奨学金を得て英国ロイヤル・バレエ学校へ入学するが、在校6ヶ月で2年生へと編入される。すでに周囲からは特殊な才能の持ち主として一目置かれる存在であった。この時点でキエフ・バレエ団からプリンシパルとしての誘いを受け、それを知ったロイヤル・バレエ団は最下級の「アーティスト」としての契約を提示。悩んだ末に結局キエフへ戻り、17歳でプリンシパルに就任する。『ドン・キホーテ』、『眠れる森の美女』の主役や『くるみ割り人形』のクララなどを踊ったが、古典作品のみでは飽き足らなくなり、たったの1年でロイヤル・バレエ団への移籍を決意する。

しかし依然としてロイヤル側はコール・ド・バレエとしての入団しか認めようとしなかった。オーディションを経て、199911「アーティスト」の階級で正式に入団。初役は『くるみ割り人形』第1幕の「粉雪」で、これが初めての群舞の体験となる。それから3ヶ月後、主役の機会は早くも巡ってきた。『シンフォニック・ヴァリエーションズ』で当初予定の吉田都らが怪我で欠場し、公演5日前に突然代役を命ぜられる。当日は無名のコール・ド・バレエが抜擢されたことで劇場にどよめきが起こったが、批評家からは「マルゴ・フォンテインを彷彿とさせる」と絶賛され、一躍名を知られるようになった。

初年度を終えると3階級特進してファースト・ソリストに。その後も代役で出演した『ロミオとジュリエット』で早熟ダンサーとしての評価が高まった。2001417日、『ジゼル』を踊り、直後にプリンシパルへ昇格。このとき入団から15ヶ月、まだ19歳であった
(wikipediaより) 


★東京バレエ団の皆様に感動★

他にStellaが気に入ったのは、「チャイコフスキー・パドゥドゥ」と、最後の「エチュード」。
特にエチュードは最初静かに始まって、次第に音楽がドラマチックに展開していき、豊かなバリエーションで1時間弱たっぷりと魅せてくれた。

Stellaは初心者だからストーリーバレエの方が好きなんだけど、これは飽きずに楽しめたよ。
初めのほうは、バレリーナ達がバーレッスンをする様子をシルエットで見せたりして絵のような美しさ。面白い表現の仕方だなと思いました。東京バレエ団の皆さんの一糸乱れぬコール・ドが素晴らしくて感動的だったし、途中ものすごいスピードで舞台を斜めにジャンプしながら皆が走り抜ける所なんか圧巻でした。
途中からコジョカル、マックレー、ポルーニンが入ってきて華やかさと迫力を増して行き、フィニッシュした時なんかスカッと気持ちが良くて、思いっきり拍手よっ


★ムンタギロフ君★

さて今回Stellaの目に留まったのはワディム・ムンタギロフ(Vadim Muntagirov)君、弱冠21歳。若っ!
ロシア生まれの期待の星は身長186センチ、すらっと伸びた手脚がきれいに伸びて、踊りも優雅。

のっけから「ラリナ・ワルツ」でなんかジャンプの綺麗な子がいるわって目に留まり、チャイコのパドゥドゥでじっくり観て確信しました。踊りが柔らかで丁寧、ジャンプの高さもあるし、身長があるので長身のバレリーナと並ぶと絵になる。

正直カスパートソン嬢(彼女も素晴らしいテクニック)を上手く支えられてなかったように見えましたが、若さなのか相性なのかパートナー期間の短さなのか。そのうち成長してくれるでしょう。
顔は好みじゃありません(歯列矯正したらもちっとイケるだろうに残念)が、今後英国ロイヤルが来た時は彼に注目することになるでしょう。
Klimentova, Muntagirov in Swan Lake Act III, June 2010


fin.

2012年2月17日金曜日

ブライアン・アダムス来日公演 2回目!



また行ってしまった。2連チャンのブライアン・アダムス。

どんだけ?

とお思いでしょうが、そんだけの価値はありまっせ。
1日目と2日目の違いも見られて面白かった。

冒頭でブライアンの言葉。
「今日で日本公演は最期」だなんて聞くと悲しくなるけど
「今夜が22回目の武道館コンサート。僕の人生のほぼ1ヶ月」との言葉に拍手が起きました。


今日、観客席から選ばれて舞台にあがり、ブライアンと一緒に歌ったのは、福井から旦那さんと来ていた女性でした。
昨日はピアニストやってるという女の子が選ばれて、ちょっとだけキーボード触ったり、ブライアンとハモリまくっていてなかなかの歌唱力だった。
二人とも、お友達の分と2枚のTシャツをプレゼントされてました。

今回のツアーは、新旧のアルバムの中からファンが聞きたい曲を25曲選んだいわば「ベスト盤」みたいなもので、長年のファンにも、ブライアン初心者にも楽しめる内容に仕上がってました。

Stellaの好きなのは、タイプ的にノリのいいCloud #9とかSummer of '69、そして何と言っても死ぬ程ロマンチックなバラード系。
HeavenとDo I have to say the wordsとかはブライアンの声に満たされるよう目を閉じて聴きました。
アコースティックギターのメロディが素敵なHave you ever really loved a womanもメロメロです。
1人ハーモニカとギターで弾き語ったStraight from the heartは18歳の時作曲したのだそう。 "It's not so long time ago"とのひとことにドッと笑いが起きました。

最後に、「日本に戻ってくるまでこんなに長くかかってしまってごめんよ。でも僕の気持ちはいつも君たちのそばにいる。君たちも頑張って」と、被災地を気遣うメッセージをいただきました。
震災直後も、チャリティーのために真っ先に立ち上がってくれていたもんね。
ヒューマンでハートフルなブライアン。とっても素敵でした。



★バレンタインチョコは、いづこ★

さて、Stellaがわざわざロサンゼルスくんだりから苦労の末送った、マッシモへの愛のチョコレートはどうなったのかというと

UPSのトラッキングによれば、Stellaがチョコを発送した翌日、サンフランシスコのカスタム(税関)をクリアーしている。
そして1週間経った今日、やっとイタリアの港に着いたもよう。
取りあえず消えたわけではなくてほっとした。

逆にどうしてそんなに長い間どちらの国でもない場所にモノを置いておけるのか。
エアーで行ったらひとっ飛びだろうに。器用だなあ

3 to 5 working days(3~5営業日)で届くって書いてあったのにさー


★バレエ鑑賞ランチ<準備編>★

あすは金曜日。
恒例の「バレエ教室」開催である。
法務のマドンナの例に倣い、StellaもOutlookから会議のインビテーションを送ってみた。
この気合の入れよう。


そしてM団長と、演目について検討するため、綿密な打ち合わせも行なった。

Mさんは、前もって友人Gさんのご意見を賜ったらしく、
「Gさん曰く、初めてバレエを見る人には、誰もがストーリーを知っている『眠りの森の美女』とか『シンデレラ』がいいらしい」

鶴の一声である。Gさんには顧問になってもらったほうがいいかもしれない
Stellaは「眠りの森」のローズ・アダージョが大好きなので、こっちにすることに。


★ジョゼ・マルティネス★

余談だが、Stellaの「眠り」との出会いはちょっと変わっている。

バレエランチを初めて間もない頃、YouTubeでひたすらマッシモを探していたら、昔のWBS(ワールドバレエフェス)のファニー・ガラの画像を発見した。
マッシモのおふざけ版アルブレヒト(「ジゼル」)もよかったが、女装したジョゼ・マルティネスのローズ・アダージョには度肝を抜かれた。

マルテイネスとレステテュ
 YouTube画像は荒いけど、とっても美しいとStellaは思った。
男性なのにポワントで立って、難しい技も美しくこなしている。脚もびっくりする位高く上がるし、さすがに回転の軸もしっかり。
何よりジョゼは長身細身でゴツくないので、周りに彼の長身を比較する小さな人たちさえ居なければ、手足がすらりと伸びやかな女性のように見えなくもない。(メイクとズラとかのアップがあんまりよく見えないから余計にいいのかも)

当然筋力はあるし、大きいから舞台で映えるし、見た目が麗しければ女装した男性とそのまま男役を演じる男性とで、男のみのバレエって成り立つんじゃない?と思ったくらいだ。

要するにStellaの好みは手足がすらりと長くて長身、面長でノーブルな顔立ち。
ジョゼは残念ながらパリオペを引退してしまっているから、Mさんから言わせるとジョゼにうつつを抜かすより、「バレエを楽しむための若めのお気に入り」を見つけるほうがいいのだ。


★そして、比類無きザハロワ姫★

「眠り」に決めたと言っても、当然ながら数限りない人が踊っている。
Stella「誰のにします?」
Mさん「ザハロワ。」(即答)

Mさんはザハロワが大のお気に入りだ。
おかげでザハロワを知ったStellaやT子もすっかりザハロワファンになってしまった。
一言でいうとこの世のものとは思えない美しさ。
顔はあんまり好きじゃないけど、踊りだすともう他の誰とも違う圧倒的なオーラを放っている。

Mさんに云わせれば
「踊るために生まれてきた」
バレリーナだ。

ザハロワ。そんな細さでよくそんだけ踊れますね貴女。とStellaはいつも思っている。

というわけで、明日の教材はスヴェトラナ・ザハロワ嬢の「眠りの森の美女」に決定!