2012年2月27日月曜日

スティーブン・マックレー

アリーナ・コジョカル「ドリームプロジェクト」の興奮と感動冷めやらぬ毎日。

バレエファン歴の浅~いStellaは、今まで見た公演数は少ないけれど、なにせ(同僚Mさんのお陰で)珠玉のセレクション!エヘ

バレエ団としてはボリショイ、パリオペ、今回の英国ロイヤル、また単体で来日したスター達(ギエム、マラーホフ、リアブコ、そしてムッル)を見てきて、バレエ界のまだ見ぬ財宝達に出会うのが楽しみでしようがない。

ボリショイの層の厚さとダイナミックさに感心し、しかもボリショイにはザハロワもいるし、ボリショイ断然注目!と思った矢先に、パリオペのうら若き麗人達にクラクラと浮気心が。そして圧倒的な英国ロイヤルの実力の高さとタフさにはホント、ひれ伏して拝みたいくらいである。

という事で、マッシモ(・ムッル)のことばかり探究してたけど、これまで出会った素敵なダンサー達にまた会いたいから、彼らの事もちょっと勉強しよう。

まずは今、Stellaの中で1番ホットなロイヤルのプリンシパル、スティーブン・マックレー氏から行ってみよー!

今回のスティーブンの記事、少し古いけどとてもいい事を語っているのでご紹介したいと思います。

赤毛に近い髪の色(天然でしょうか)といい、Macから始まる名前といい、とってもオージーな感じがイイですね~

この記事のお陰で、マックレーが2003にローザンヌ賞を獲得した当時のタップダンス映像を発見!タップでもすごい実力なんですね。
若いっ!上手い!あなたはすごい!
http://youtu.be/jaN9-bU-j84


まずは英国ロイヤル公式サイトより。
★スティーブン・マックレー プロフィール★

シドニーで生まれ、Alegria Dance Studioでヒラリー・カプラン(Hilary Kaplan)からフルタイムの指導を受けたのち、ロイヤルバレエ・スクール(2003–4)で学ぶ。カプラン師事中の2002年にRAD Solo Seal Award、及びAdeline Genée金メダル獲得、2003年にローザンヌ賞受賞。2004年英国ロイヤルバレエ入団、2年でソリストへ昇格、更に3年後にはファースト・ソリスト、その翌年の2009年、入団からわずか6年にしてプリンシパルとなる。

英国ロイヤルで演じた主な役柄:
アシュトン作「シンフォニック・バリエーション」のSide Couple、 「ランデヴー」パドトロワ、ウィル・タケット「Mr Bear-Squash-You-All-Flat」の猫、ダウエル作「白鳥の湖」の第一幕のパドトロワとナポリ、ヨハン・コボー版「ラ・シルフィード」のガーン、「ナポリ」ディヴェルティスマン、マクミラン版「マノン」の乞食頭、「うたかたの恋(Mayerling)」のブラットフィッシュ、 クリストファー・ウィールドン作「ポリフォニア」、キリアン「シンフォニエッタ」.ナタリア・マカロワ版「バヤデール」のマグダヴェーヤ、マクミラン版「ロミオとジュリエット」ロミオ、「スケートをする人々(Les Patineurs)」のブルーボーイ、「ピーターラビット」のリスのナトキンなど。

初演演目:クリストファー・ブルース「3つの歌 – 2つの声」(2005)、アラステア・マリオットのTanglewood (2005) 、「アダムの子供たち」の弟、クリストファー・ウィールドン作品「オマージュ・トゥ・ザ・クィーン」より「Fire」の火の精霊、ウェイン・マクレガー「クロマ」。


★マックレー インタビュー★

デジタル・ダンスマガジンのDance informaより、2009年10月のインタビュー記事。プリンシパル昇格直後、オーストラリアで公演やレッスンを行った模様 (^-^)

【本文】
(略)...スティーブン・マックレーはここ最近の夏休みでシドニーに帰り、舞台McDonald’s Challengeとマスタークラスでのレッスンで我々をインスパイアしてくれた。

プリンシパル昇格おめでとうございます!早い昇進ですね。
「他のダンサーに比べるとかなり早いけど、比べる相手にもよります。自分ではは長くかかったと感じます。紆余曲折ありで、まっすぐの道のりではありませんでした。そこにたどり着くまで色んな事を乗り越えねばならなかったけれど、それらが早いスピードで過ぎ去ってくれたことは、良かったと思ってます」。

頂点へ登り詰めるまでの好調時・低調時について教えて下さい。
「バレエ団に入団すると、また底辺に戻ることになるので、容易ではありません。学校からはトップで卒業するわけですから、こう思うでしょう。"これから先どこへ道が向かっているのか見えないし、遅々として進まない"と。しかしそんな折にチャンスは巡ってくる。たまに誰かが運悪く故障して自分に役が回ってくる事もあるけれど、僕の場合それが少し遅かったのでしょう。日々のクラスで常に自分が可能な限り最良の自分であるようにする事で、役柄に全霊を傾ける事が出来ました。もしあなたがある役の準備をしろと言われたら、常にチャンスに目を光らせながら、ひとつでなく2つ3つと準備してみてください。
不運にも僕は大きな怪我をしました。左アキレス腱に問題があり、10ヶ月休養していた時は辛かったけれど、幸いに周囲で僕を支えてくれる人々がいました。逆の立場は御免だね、僕は10ヶ月間まるでモンスターだったからね!
勿論、数々の素晴らしい役柄を舞台で演じたり、他所のバレエ団にゲストとして呼ばれ、優れたバレリーナとガラを踊ったりした時は非常に良い時でした。その間にちょっとした賞を貰ったことも良かった。ローレンス・オリヴィエ賞にノミネートされた事は光栄の極みですね。この賞は最も栄誉あるものの一つで、当時僕はたったの20歳でしたから」。

怪我と回復について話してください
「多くを学びますね。人生の見かた、キャリア、体に対する見かたがガラリと変わる。休養に入って7,8ヶ月経つと、実はこれは良い事なんだと悟りました。そんなに長くかかったのが残念だけど、考えがひっくり返りました。"落ち着け、この成功への情熱と欲望を保て、でももう少し大人にならなくちゃダメなんだ"と自分に言い聞かせました。将来のキャリアに対して目を開けることにもつながりました。プリンシパルであるだけでなく、勉強もしているのです」。

何の勉強ですか?
「ビジネス・マネジメントとリーダーシップのBA Honours degreeです。アート・マネジメント課程ではなく、一般的なビジネス・デグリーです。ダンスを学び、訓練し舞台で何年も踊るわけですから、舞台から降りた時ただ去るのでは勿体無い。
このダンスの世界はいかようにも発展でき、様々な方向性があると考えます。自分がもしその一端を担えれば、非常にエキサイティングだと。僕はオーストラリアかロンドン、ヨーロッパで芸術監督になる事を目指しています。このコースを学ぶことで、僕はボードミーティングに参加し、各部署の人間がどんなことを投げかけてくるか理解出来る芸術監督になれる。ビジネス・マインドであることは重要だと考えます。ビジネス・デグリーの知識を持てば、より明確な芸術的選択が 出来る」。

ダンサーそして役者として試されることについて。
「それを要約するなら"ロミオ"がぴったりですね。テクニック的には男性にはとても難しく、最も難度の高いバレエの一つで、トップダンサーをして1番困難と言わしめるほど。 多くのバレエでは男性は女性の後ろに立って難しいパートナリングを務め、前に出てひとつか二つソロをやっておしまい。ロミオは常にオン・ステージです。足が吊ってもとにかく続けなくてはならず、パは難しい。パドゥドゥもやはりチャレンジングです。それらに加えて役柄も演じなくてはならない。ウェイン・マクレガーの『クロマ』も挑戦でしたが、演じる事ができてとても光栄でした。この作品はオリヴィエ賞や想像しうるありとあらゆる賞を受賞しました。これによってロイヤルバレエ団の新たな章が始まり、多くの扉が開けたのです。新しい振付家に訓練を受けるのが大好きです。ロイヤルバレエではこんなにも幅広い振付家陣と接点があるのが幸運ですね」。

「テクニック的要素がある振付が好きです。ステージに上がってみて何かがうまくいかないかもしれないというくらいが良いのです。もし全てがどうなるか完全に分かり切っていたら、どんなにつまらないでしょう。役柄を体現しなければならないのもエキサイティングですね。幕が上がり舞台へ踏み出せばあなたは他の誰かになり、自分の人生からエスケープする。少なくとも3時間のあいだ、何がしかの人物でありながら、終われば家に帰って自分に戻り、カウチに足を乗せられるのです」。

異なる振付家やスタイルの間でスイッチしていくことについて。
「タフな時もあります。例えば白鳥の湖の公演中だとすると、僕なら朝ピラティスをしてから白鳥のクラスにのぞみます。その後少しジゼルのリハをして、それからクロマの練習をして(これは極端な例ですが)、その後で制作中の新しいバレエを学びに行くとなると、自分を殺すようなもの。更に最後の白鳥のリハをして、白タイツを取り出し完全なクラシックバレエを踊らなければならない。肉体的にものすごくハードでもありますが、それは挑戦でもあります。ダンサーにとっては重労働だけど、僕たちはそれが大好きなんです。もしそうでなかったら、僕らは皆つまらないと感じるでしょう。 自分のペース配分をする学習をしているに過ぎないのです」。

オーストラリアでマスタークラスを教えてきましたが、教える仕事は好きですか?
「僕は初日から驚くほど優れた教師達に恵まれていました。僕の最初の先生Naticha Celioは本当にただ凄くて、彼女のお陰で多分今の僕があるのです。彼女が僕にインスピレーションを与え、その頃存在しなかった今の僕という人間を引き出したのです。そんな素晴らしい教師達に学び、彼らがどれだけのことが出来るのかを見たことで、自分もオーストラリアに戻って同じ事がしたいと思うようになったのです。今はフルタイムでは出来ませんが、このように世界で最も優れたダンサーや振付家と働きながら、故郷に帰ってその情報を伝えないのは非常に強欲ではないですか?それが僕が教えている1番の理由です。ある時僕は子供達に言いました。『もし君たちがあるひとつのパについて自分に何百ものアイディアを投げかけ、たった一つ持ち帰る事が出来たら、それは成功と言うのです』と」。

マクドナルズ・チャレンジの舞台にプロとして戻ってこれて良かったですか?
このコンテストでは経験だけでなく、露出も得る事が出来ます。だからかつて僕が2つの奨学金をとりに舞台へ踏み出した時、全てが未知である事に威圧されましたが、今回は自分も楽しみ、オーディエンスを楽しませる事が出来ると分かっていました。勿論プロとしては常により良いパフォーマンスを望むけど、毎分毎分を心から楽しめる舞台に立つのも素敵なこと。僕が演じたソロは英国ロイヤルのレジデント・コレオグラファーであるウェイン・マクレガー によるもの。彼の作品がシドニー、メルボルンでのオーストラリアン・バレエのコンコルド・シーズンの一部を成すのは非常にエキサイティングなこと」。

スティーブンは今年後半オーストラリアに再び戻り、ゲストとして「眠りの森の美女」のオーストラリアン・バレエと初の舞台が待っている。


(fin.)

出典:http://www.danceinforma.com/magazine/2009/10/steven-mcrae/


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