2012年4月5日木曜日

ホールバーグ 移籍決断の裏側 (2)

ディヴィッド・ホールバーグのボリショイへの移籍に関して多くの記事が出ていますが、こちらHuffington Postの英文記事を訳したものです。

(続き)

http://www.huffingtonpost.com/mobileweb/2011/11/03/david-hallberg-bolshoi_n_1073380.html

ホールバーグの家族は、彼が他でバレエを学ぶ機会を提供されても、息子を家につなぎ留めていた。
「デイヴィッド自身はもう準備は出来ていると感じていたけれど、私達はまだだと思ったの」と母は振り返る。
人間的に成熟し、ダンスのレベルも上達する時を待っていたのだ。
「でも正直、息子がどれほどその道に長けていたか、私達は正確に解っていなかった」


それでも17歳の時、両親の許しを得てパリ・オペラ座バレエ学校のオーディションに応募。ビデオを送った2週間後、フランス語のレターと招待状が届いた。


ホールバーグは孤独な1年をパリで過ごした。
言葉も分からず、友達は打ち解けにくかった。家には惨めなハガキが何通も届いた。
だからデイヴィッドがクリスマス休暇で家に戻って来た時、家族の皆から"無理して戻る必要はない"と言ったが、彼は「もちろん戻るに決まってるさ!」と憤慨した。そうしたら「じゃあ、もう湿っぽいハガキは送らないで!」と言い返されたそうな。笑

パリオペ学校の後は、物事は早いスピードで進んだ。
ABTは彼に、ジュニアチーム、メインチーム見習い、コール・ドと、次々とポストを与えた。

ホールバーグ本人が自覚するように、それでも彼は急いでいた。
「僕は最初からプリンシパルになりたかったし、それを言外にすることを厭わなかった」。屈辱感を味わうこともあった。


ABTのマッキンゼー監督は言う。
「デイヴィッドは非常に才能に恵まれ、またとても頭が良かった。しかし、準備が整う前に進めば、ただの"ポテンシャルがあった(のに伸びきれなかった)人"になってしまう」


コール・ドで3年、ソリストとして1年ののち、2005年にプリンシパルに昇格。彼のエレガントでクリーンなライン、王子的な物腰、浮力を伴ったかのような軽快なジャンプに磨きがかかり、評価も高まっていった。

デイヴィッドは「ジゼル」のアルブレヒトや、「白鳥の湖」のジークフリート王子などのクラシックの役にぴったりだ。多くのバレリーナと組んだが、オシポワがボリショイ(注:オシポワはその後デイヴィッドとほぼすれ違いでマリインスキーに移籍)からやって来た時には特別な何かが起こったと皆信じている。
Osipova and Halleberg in Giselle

「あれが彼に火をつけてしまった」とマッキンゼーも同意する。

このダークヘアーの、小柄で驚くほど身体能力の高い、激しく感情的なバレリーナはホールバーグにぴったりのパートナーのように見える。
2人は記憶に残る「ジゼル」を演じた。しかし、昨年7月の胸の潰れるような「ロミオとジュリエット」には、誰も心の準備が出来ていなかった。
しかもそれは、オシポワのジュリエット初役だった。

舞台は2人の恋人の死で幕を閉じる。ジュリエットは胸を刺して墓石の上に倒れ、ロミオは毒に命を奪われ床に横たわっている。
カーテンコールに起き上がった時、彼らは涙に打ち震えているように見えた。ステージメイクが顔をつたい流れ落ちていた。


「僕たちはむせび泣いていました」とホールバーグは今告白する。
「僕たちはある意味正反対です。彼女の持つ炎と、僕の抒情的な柔らかさと」。



その9カ月ほど後、ホールバーグはボリショイでゲスト出演していた。
ある日芸術監督のセルゲイ・フィーリンからランチに誘われ、そこで仕事のオファーを受けた。

「僕は非常に驚いて、とにかくありとあらゆる質問をしました」

デイヴィッドはマッキンゼーに相談した。
厄介なスケジューリング問題を除けば、彼は大賛成だった。

「彼より他に、あちらへ送り込む代表としていい候補などいるだろうか?と考えました。
潮の流れを逆向きに変える、歴史的な出来事なのです」。

「デイヴィッドが他からオファーを受けることは想定内だったけれど、驚いたのは、それをしてきたのがボリショイだったということです。。。。あのバレエ団はアメリカより3~4年古い歴史を持っているのですからね!」
マッキンゼーは言う。
「そして移籍は非常にうまく行った。フィーリンの行動は勇敢でしたね」
 
Vail Dance Festival 2009 August
それからホールバーグは家族と先生に相談し、数か月の間、複数のシナリオを想定して悩んだという。

そして9月、遂にニュースが公開されると、バレエが一斉に注目を浴びた。
ホールバーグにはインタビューの要求が殺到し、The Colbert Reportにまで出演することになった。

*デイヴィッドは「コルバートに一緒に踊ってくれと頼むと思う」と言ったそうですが、実際にとても面白い番組に仕上がっています。
http://www.colbertnation.com/the-colbert-report-videos/403810/december-07-2011/david-hallberg

「ロシア人はバレエの見識が深く、それぞれがクラシックバレエとは何かについて意見を持っている。だから僕はダンサーとして誇らしく感じます。そしてこれは、あなたがどこから来ようと、バレエはバレエだという証。
僕はサウスダコタ生まれで、有名なバレエ学校に行った訳ではないけれど、家族のサポートとこの上ない先生たちに恵まれた。必要なものが全てあったのです」。

ホールバーグの家族は、ボリショイでの「眠りの森の美女」を観に駆け付ける予定だ。

「私達が最も嬉しく思っているのは、デイヴィッドが人としてしっかり地に足のついた人間になってくれたことです。この人となりは、今回の移籍によって変わったりしないと思うのです」と母親は語る。

そして、ハン先生はきっとこう言うだろう。
デイヴィッドは特別な人間の1人。長く活躍するダンサーとなるだろう、と。

fin.


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